沼津も新しい問題、古墳の維持か道路整備か、古くして新しい問題、経済優先か歴史文化の優先か、市民の声も盛り上がっているようです、この問題、古墳という限られた論議でなく、沼津が抱える都市問題を広く論議する機会にしてほしいですね、この正月に、暇に任せて書きましたエッセイ、故郷沼津を巡る初夢と正夢、本物の伊豆駿河環状道路、サークルラインを、韮山反射炉世界遺産へ、伊豆駿河の歴史、文化の広がりを、江川担庵と江原素六、芙蓉愛鷹高校と芙蓉龍城高校のこと、駄文ですが、沼津の識者に読んでもらいたく、お送りしました。
故郷沼津を巡る初夢と正夢 大晦日の放談会暮れの大みそかの高校同級生の喜寿の男たちの忘年会、高校生の時代に戻って、日本や故郷の来し方行く末を語り合おうという集まりで、もう30数年続いているが今年も20数人の仲間が、象山のふもとのさる料理旅館に集まって例年通り開かれた。ちょうど宿の近くに静岡県の道路工事が行われており、宿への道もわからず、行き着かない不便さもあって、一体沼津の街づくりはどうなっているのだという話題も出て、高校生の時代に戻って来し方行く末を語り合う無礼講の宴席が始まった。喜寿の歳の同級生、思い返してみると、沼津の空襲の時は小学生、沼津駅からツートンカラーの湘南電車が走り始めた頃が中学生、原と沼津が合併した時が高校生、狩野川台風の大嵐の時が大学生、駿河湾コンビナート騒動の時は、就職し、世の中に出て、高度経済成長の戦士として未来を信じて働いていたのだ、それから高度経済成長が継続する20数年、石油危機や列島改造の失策で一時頓挫しかけたことがあったが、1980年代の後半のバブル景気を謳歌して、やがてバブルが崩壊して日本の経済社会が暗転し、失われた20年になる前に、引退してしまう、戦後の経済成長の恩恵をフルに受けている幸運な世代である。給与は平均でも初任給と退職時の給与を比べれば、100倍になっているだろう。平成時代の世ではとても想像すらできないだろう。その世代が見てきた故郷沼津の来し方行く末である。この世代には、子供のころは飢餓すら知る貧しい時代はあったものの、経済成長の過程では何時でも先が開ける、今より未来がいいという思いをしてきたのだ。だから、常に昔はよかったということで、今をなんだと否定しがちである。故郷沼津の姿にも繁栄に輝いていた時代を思い返し、人口が減少し、商工業が停滞し、繁栄が失われていくことに困惑し、自分たちの時代がよかった、回帰したいと願っている、そういう愚痴が聞かされて、もう10年にもなる、今年も沼津の停滞、衰退、混迷を危惧する声が耐えなかった。このところ三島や周辺都市の隆盛さがテレビにも新聞にも報道されるのに、沼津は衰退する地方都市という扱いしか見当たらないという苦情も聴かされる。たまたま宿のちかくの静浦バイパスが話題になったので、故郷沼津の今の情勢、不安と危惧の念について、思うところを分析し、沼津復権の道を正月の夢として語ってみたいのである。まず、話題の静浦バイパスである。本物の伊豆駿河湾環状道路、サークルラインを国道414号線、静岡県が管理する沼津市大岡と下田市の間を結ぶ79キロの国道で、駅北から南下して三つ目ガード、みその橋、市役所、八間通り、静浦、三津へ向かう沼津市の南北軸を形成する幹線道路、伊豆へ向かう観光道路でもあり、道幅の狭い三津あたりでは慢性的に渋滞が発生して、解決が急がれている。このため、静岡県が島郷から口野に向かう静浦バイパスを整備しようとしているが、平成6年着工されて以来20年近くも過ぎているのに、象山を通過するトンネルすらまだ姿を現さず、海岸線の混雑は一向に解決せず、414号線の立ち遅れが沼津の衰退の一因でもある。この静浦バイパスは、下香貫東郷から伊豆中央道路長岡インターへの7.9キロの4車線、幅27メートルの高規格道路で、総事業費は500億円が予定され、そのうち第1期工事として、大平地区までの2.5キロ、150億円の事業が進められてはいるが、年間1億円程度の工事費では、20年経っても半分もできていない。ましてや、大平地区から伊豆の国市口野に向かう残りの5.4キロの区間の整備のめどは全く立っていないという。 他方、東駿河湾環状道路は、総延長22.8キロの内、東名高速沼津インターから長泉、裾野、三島市、函南へ至る15キロの区間が完成し、日2万台近い交通量で、この道路の完成が地域構造を大きく変えようとしている。沼津駅周辺のガードを通過する交通も目だって減ったという。この幹線道路は、環状道路という名のように三島・沼津周辺の5市町を大きく取り囲む環状サークルの形態になるものだが、沼津インターからの西の原地区に向かう7.9キロの区間の整備の見通しは立っていない、何事にも西側の街づくりは、立ち遅れて、東と西の格差は広がる一方である。この東駿河湾環状道路は将来的には伊豆縦貫高速道路につながり、伊豆全体の発展に寄与するものであり、本来国土開発縦貫道路として位置づけが必要であるが、暫定的に国道1号線のバイパスとして位置づけられて、国土交通省が直轄事業として整備しているものであり、環状道路という名前であっても、力が東に向かうのは仕方がないことで、高架の高速道路の下の側道は、三島から伊豆に向かう国道136号線のバイパスでもあり、その先は静岡県道路公社が事業費111億円で整備した修善寺道路4.8キロの有料道路につながり、伊豆縦貫高速道路を形成していくことになる。東名高速道路の沼津インター、東海道新幹線の三島駅を起点とする高規格の環状道路のインフラの整備が、この地域のこれからの中心機能を形成していくことに間違いなかろう。本来は沼津、三島、清水、長泉、函南の5自治体は、面積350㎢、人口42万人の都市として一体的な都市機能を発揮して、それにふさわしい都市計画があってしかるべきであるが、都市計画の名称は東駿河湾都市計画と言われながら、沼津市が2000億円、20年の資金と時間がかかる無意味な沼津駅鉄道高架事業に呪縛されて、本来やるべき事業をやれずに、時間と資金を無駄に浪費してきた付けが回って、5市町の環状道路の形成もほど遠く、沼津が地域の発展から見捨てられ、周辺市町から軽視されて、合併も一体化もやれない状況に追い込まれてしまったのだと思う。このまま衰退を重ねていいのだろうか。 地域の自治体のリーダーとして、もう一度この地域の一体化、中心性を取り戻す努力をしなければなるまい。このため、先の414号線静浦バイパスの整備を、5市町の南の環状道路形成の手段として位置付けることはできないものなのか、事業主体や道路の管理は別々でも、国道1号線の東駿河湾環状道路、国道136号線の修善寺道路、それに、国道414号線の静浦バイパスの路線の全長30キロ余りを一体的、円滑に結び付けて、環状形態の道路網として位置付けることである。一向に進まない静浦バイパスに集中的に投資して、早く伊豆縦貫道の一部の修善寺道路に結びつけて、環状形態としての道路として整備する。回遊は東名沼津インターから始まって、時計回りで国道1号の東駿河湾環状道路を通り、国道136号の修善寺道路まで南下して、それから国道414号の静浦バイパスに入り、象山トンネルを通り、八間道路を北上して沼津インターに至る30数キロの路線を、伊豆駿河サークルライン、あるいは芙蓉伊豆駿河サークルラインなどの新しい名称で、5市町の基軸の環状道路として扱うことである このサークルラインは5市町の連結を強めるだけでなく、観光道路、ドライブ道路としても、何処からも富士山が見え、伊豆箱根の峰、狩野川、駿河湾の海・山・川が展望され、沿線の温泉、グルメ、沼津アルプスや海上スポーツが楽しめる絶好の観光ルートになり、多くの観光客を集めることに寄与しよう、伊豆長岡温泉は、沼津からも2,30分の郊外の距離、駿河湾と一体になった短期滞在型のリゾート地になることも期待できよう。 5市町の合併なり行政の一体化が難しくても、観光や商工業、国際交流や文化活動では、それぞれの地域の単位、組織ではなく、一体とした民間組織を整備して、5市町の恵まれた観光資源を全国に、全世界に発信したらどうなのか、富士山、箱根、伊豆の国立公園の真っただ中に位置し、海、山、川に恵まれ、東京に近接したこの地が、外国人観光旅客者の関心を高めて、国際的なリゾートになることも夢ではあるまい。このためには、沼津駅鉄道高架という古い呪縛から覚めて、小さな地域利害を捨て去ることが必要だと思うが、沼津市民はどう考えるだろうか。 歴史、文化のひろがりを何事にも恵まれた伊豆駿河のこの地域は、日本列島の中心にあり、歴史的、文化的な資産にも恵まれているのであり、市民が故郷への誇りや自信を取り戻すためにも、この地域の歴史、文化資産を掘り起こすことも大切だと思う。伊豆の国市が韮山反射炉を、日本の産業、科学技術の源点だとして世界遺産の登録しようと運動を続けていると聞く、同時に韮山反射炉を作り、軍事や産業育成の祖となった江川太郎左衛門、江川坦庵を歴史上の人物として売り出したいということの様である。この地域には、伊豆駿河の地として、源頼朝、北条早雲から始まって、日本の国づくりの舞台になった数々の歴史がある。江川坦庵もその一員であり、彼をして、韮山反射炉のみならず、幕末維新の歴史を語らせる価値は十分にある。さらに、幕末維新の歴史には、この地域全体として世に語らせる話が沢山あると思う。NHKの大河ドラマでは、幕末維新の人気が高く、一昨年は会津を舞台にした「八重の桜」が、今年は長州萩を舞台にした「花燃ゆ」が放映されることになる、この地域にはそれに匹敵する歴史文化が語られてよい。韮山反射炉も江川坦庵もその一環である。幕末維新を1853年嘉永6年のペルリの砲艦外交から始まり1868年の徳川幕府崩壊、明治開国までの話でなく、もう少し長く19世紀を通して捉えてみよう。江川坦庵はペルリの来航以前の人物であり、兵学者、軍事指導者で、西洋事情や西洋の技術、軍事に精通して、金属を溶かして大砲を鋳造する技術で韮山反射炉を作り、東京湾のお台場の28門の西洋式大砲を作って外国の侵略に備えようとした人物であり、維新のために多くの人材を育成し、技術を開発した、「花燃ゆ」の吉田松陰にも匹敵する人材ということが出来よう。幕末維新は多くの人材の群雄劇であるが、その先駆けの偉人にもう一人、江川坦庵の次に、同じ幕府の下級役人の江原素六(1842~1922)がいる、1842年生まれ、幕臣として洋学や軍事の教授、戊申戦争を戦い、1868年の徳川幕府が崩壊して70万石で駿河の地に転封した時に、沼津兵学校の創立や旧幕臣の子弟の教育に力を注ぎ、維新の力になる多くの人材の育成、さらに愛鷹山麓の開発でこの地の産業を育てるなど、さらに自由民権運動の指導者でもあり、第一回帝国議会の衆議院議員、政友会の政治家を務め、クリスチャン、教育者として、名門の麻布学園を作り、1922年大正11年90歳で亡くなるまで明治維新の成長に大きく寄与した人材、沼津の愛鷹に墓所があり、明治記念館も置かれている。今でも麻布学園の入学者はそろって、沼津を訪れて、愛鷹の地で、江原素六の薫陶を受けるのだという。江原素六の作った沼津兵学校、名前は、徳川藩の軍事の教育の場であるが、軍事のみならず、西洋の科学技術、政治、経済を教え、伝える教育機関であったが、ごく短期間しか存在していない、他藩からの人材も集めて、明治新政府の軍学校や人文科学の教育機関に成長し、維新の大きな礎となっていくのである。その沼津兵学校に沼津の豪農の子弟の井口省吾(1855~1925)が学び、軍人になって日露戦争時の児玉源太郎の参謀として勝利に寄与し、薩摩長州ではない農民の子が陸軍大将にもなったとして、偉大な明治の人材の一人に数えられる。井口省吾に限らず沼津兵学校には数多くの有力な明治維新の人材を輩出しており、維新の群雄像を見ることが出来る。江川坦庵から荏原素六を経て、井口省吾へ繋がる幕末維新の歴史文化を司馬遼太郎に書いてもらいたい、叶わないが、是非とも浅田次郎なりの筆で、駿河伊豆の幕末維新の歴史小説を書いてもらいたいものである。それからNHKの明治維新の底力となった人材の大型歴史ドラマにしてもらいたいものである。 芙蓉愛鷹高等学校と芙蓉龍城高等学校をこの江川坦庵、江原素六、井口省吾の歴史の伝統、文化を今に継承するのが、旧制沼津中学、今の沼津東高であり、旧制韮山中学、今の韮山高校である。二つは、歴史と伝統に満ちた静岡県内の進学校であり、ライバル関係を自負している。韮山中学は、1873年、明治6年に江川邸に創立された県内最古の公立高校であり、147年もの歴史、江川坦庵の承継から龍城の名を持っている。沼津東高は1901年創立の静岡県の御三家と言われた沼津中学の継承校、香陵という愛称だが、香陵はかって校舎のあった沼津の香貫山のことであり、正確には今は愛鷹が正しい、いずれにしても沼津兵学校、さらに江原素六の後継者を自任して、麻布学園に匹敵する高等学校という自負を持ってもよかろう。この二つの県立高校、この地域の一体化、歴史、伝統を数えるために、名称,高校名を変えたらいい、北部にある沼津東高は、芙蓉愛鷹高校に、南部にある韮山高校は、芙蓉龍城高校にして、事実上の一体的な教育機能、共有の体育館、運動場、水泳場などの施設を整備し、同じカリキュラムを持ち、体育芸術はどちらで受けてもよく、年中行事も一体となるような教育機関であり、卒業生の連携を強め、OB意識を持ち、夏の甲子園へは愛鷹龍城と一体としたチームで当たるというような存在になってもいいのではないだろうか。駿河伊豆の狭い地域のなかで一体としての都市機能を持ちながら、共通の自治体組織も市民意識も持たずに、旧態依然としたばらばらの小さな市町に不満も、問題意識も持たずに、ただ自己の損得利害に拘泥している行政の姿勢や政治情勢、時代の変革を直視して、広く、大きな視点で考えることが出来ない沼津駅鉄道高架事業の体たらくを見るとき、せめて合併の機運を高めるために、この地域の新名称を芙蓉市にしたらという提案をしたことがあるが、それを進めるためにも、暮れ大晦日の、仲間との七喧会の集まりで、仲間たちが思っていることを、具体的に整理しようと思って、2015年の初夢として描き始めたが、こんなレポートになってしまったのである。もちろん、この論は、仲間を代表する見解ではなく、筆者の個人的な評論として描いたものである。 2015年1月4日 長谷川 徳之輔(明海大学名誉教授)PR
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