鉄道高架は誰かが裸の王様だと言えば終わる話 大きいことはいいことだという高度経済成長の時代に計画された人口20万人の都市には破天荒の規模の箱もの事業、2000億円の費用、20年の年月を要する公共事業の「沼津駅周辺鉄道高架事業」は今になっても、川勝知事も栗原市長も何も決められず、20余年も只店晒しのまま、紛争の種になって市政の混迷が続いている。元々馬鹿げた事業、何のためになるのか分からない箱もの事業で、公共事業として市民がその費用を負担しても、作られる施設は高架橋梁、新貨物駅、新操車場などさして利用価値があるとは思えないJRの施設ばかり、市民の利益は20年先に交通事情が改善されるかもしれないというメリットだけ、今の時期、市民には何の恩恵のないそんな事業を、衰退する沼津を再生する事業だという大義名分を掲げて、将来の子供や孫のためにもやるべき事業であり、経済財政事情からも実現できる事業だと、ほんとに心からそう思っている人は、川勝知事、栗原市長のみならず、おそらく市民の誰にもいないであろう、いたとすればよほどの理解力に欠ける馬鹿者だし、本心ではそう思っていないのに、しがらみや立場上でそういうならば、いかさまペテン師、詐欺師の類の話だと思われても仕方なかろう。沼津駅周辺鉄道高架事業は嘘だと分かっていても誰も正直に嘘だと言えないイソップ物語の裸の王様であり、誰かが正直に鉄道高架、王様は裸だといえば、それで話は終わるのだ。 行政は結論の先伸ばしのためなのか、専門家、有識者の客観的な評価を経る、市民との対話を図るという建前で、有識者会議やPI委員会での論議を続けてきており、曖昧模糊としているが、一応その結論も出て、今は政治、行政が決断する段階にあるに係わらず、いまだに、どうするのか決められず、不透明な空気が消えていない。今こそ、市民の間にいらぬ不協和音を生み、20数年続いてきた無責任、無意味な論議の収束を図る時である。この時こそ、本来鉄道高架事業に利害損得のない立場にいるリーダーの政治的力量が発揮されてしかるべきで、後始末の損な役をさせられるだけの川勝知事と栗原市長は、過去のしらがみに囚われて、優柔不断にただ先伸ばしを図り、その責任を県だの市だのと互いに押し付け合うのではなく、相互に真剣に本音を話し合い、如何に結論したら県民、市民の利益になるのかを二人の判断、評価として県民、市民に表明すべきではないのか。それをするのがリーダーの責任というものである。 川勝知事からは、時代の大きな変革の中で自治体の置かれている経済財政事情の現状、施策の方向を語り、栗原市長からは東部地区の一体化、街づくりの道筋を語り、その中で鉄道高架事業をどう具体的に見直していくのかを示すことであり、あるいは、なお推進するというのであれば、その可能性、市民の負担、取るべき政策を明確にして、川勝知事、栗原市長が二人そろって、政治、行政の方向を県民、市民に明確に示し、説明してしかるべきであろう。確かに判断に当たっては、過去の経緯から国、県、市、JRの間の利害損得の調整、財政損失の処理、行政政治の責任など様々な課題が山積しているであろうが、もはや無責任に先伸ばしを続けて、責任を回避することは、できはしない。さらに、ことに当たってきた県、市の役人、専門家も、プロとしての識見を発言すべきであり、市議会も逃げ腰で、だんまりを決め込んで目をつぶることなく、自らの判断をしっかり論議することであり、沼津市民も他人事だと只傍観しているのではなく、自らの問題として積極的に意思を表明することである。今こそ、沼津市民の市民意識の高さ、政治行政の責任感の強さ、民主主義、地方自治の在り方が強く問われる時である。沼津の街を愛する元沼津市民として、一言申し上げたい。 2014.7.14 長谷川 徳之輔 明海大学名誉教授 沼津出身、元建設省勤務、社会工学専門PR
http://tokusan.blog.shinobi.jp/%E5%BE%B3%E4%B9%8B%E8%BC%94%E3%81%AE%E6%84%8F%E8%A6%8B/%E9%89%84%E9%81%93%E9%AB%98%E6%9E%B6%E3%81%AF%E8%AA%B0%E3%81%8B%E3%81%8C%E8%A3%B8%E3%81%AE%E7%8E%8B%E6%A7%98%E3%81%A0%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%88%E3%81%B0%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8B%E8%A9%B1鉄道高架は誰かが裸の王様だと言えば終わる話