市長選の争点は何だったのか 長谷川徳之輔
ー投票率47%の悲喜劇
今回の沼津市長選挙、投票率は前回と変わらない四七%の低率で、民主主義が発揮された選挙だとはとても思えない。その結果で鉄道高架事業が認められ、これを推進するという市民の意思が明確に表明されたとも言えない。皮肉に見れば、この結果に一番困惑しているのは、静岡県と国土交通省であろう。
計画を立てた時点と今では経済社会情勢が全く異なる。深刻な財政難、公共事業への国民の評価から、無駄な箱モノ事業はやれない、やらないというのが国民のみならず官庁の常識である。
しかし、一度決めたことは止められない。ずるずるとでも進めなければ立場がないというのも、行政の姿勢であり、自ら止めるとは口が裂けても言えない。決めるのは民意であり、民意が求めているという理由で、仕方なく変更するのが通例であり、これが彼らの責任逃れの理由になる。
民意を問う選挙は方向転換する最有力の手段である。本音のところ、静岡県、国土交通省とも今回の市長選挙で、無駄な事業はやらないという沼津市民の民意を期待していたのであろう。しかし、そうはならなかった。
たとえ、沼津市民が推進すると決めたところで、現下の経済情勢は、それを簡単に許すことはできない。金融恐慌とか大不況とかいう国際経済情勢は、沼津市の財政にも、沼津市民の生活にも確実に影響してくる。
しばらくは、厳しい時代が続き、財政難は目に見えている。二千億円もの大型公共事業を進める実力は沼津市には全くない。現に、事業認可が済めば工事はすぐ始まると言われたが、今年の予算にも、来年の予算にも鉄道高架事業本体の予算は一円も計上されていない。二年先延ばしされた用地買収の遅れが理由とされているが、先行き膨大な負債を負う事業を進めるのに、国も、静岡県も、沼津市も逡巡(しゅんじゅん)しているのが本音であろう。
時期を経れば、ますます困難は増すであろうし、二、三年先には県知事も代わって、大型公共事業を推進する姿勢を転換し、静岡県は事業主体から降りてしまうだろう。
人口二十万人の都市に二千億円もの投資をするのは県財政からも不可能であり、もし沼津市が進めたいのであれば、沼津市に事業の責任を移そう、沼津市民の負担で進めたらいいのではないか、と言うかもしれない。
そのために人口二十万人以上の市が、事業主体になれるように制度も改正されている。しかし、沼津市に、その実力は全くない。膨大な借金を抱えたまま、事業化をあきらめざるを得ないということで、最もみじめな終末を迎えることになろう。
今なら賢明に止められたはずである。機会を失した沼津市民の判断ミスが露呈することになる。
選挙で市民の考えが見えた今、もう一度、沼津駅周辺総合整備事業の何が問題なのか、鉄道高架事業の本質を考えてみよう。
(一)鉄道高架事業と旧国鉄救済策
この事業は、本質は旧国鉄の財政救済策であったのである。旧日本国有鉄道がJRとして民営化されたのは一九八〇年代、中曽根内閣の時であり、多額の財政資金が国鉄救済に使われることになった。
JRは、新規の事業はできなくなり、土木建築の国鉄職員の働き場所がなくなる。鉄道高架事業は旧国鉄、JRの事業としても浮かび上がり、建設省と運輸省で鉄道高架事業を進める方策が検討され、鉄道サイドの負担を極力少なくし、ガソリン税等の特定財源を有する道路サイド、自治体の負担を大きくして事業を進めることにして所要の仕組みを打ち立てた。
大都市の連続立体交差事業は鉄道側にも便益があるので、費用は道路が八〇%、鉄道が二〇%とし、地方都市の連続立体事業では、鉄道に利便が薄いために道路が九五%、鉄道が五%として道路、自治体が大部分の費用を持つことにし、さらに高架事業で貨物駅や車両基地を移設する時は、その費用は原則として、全て道路、自治体が負担することにして旧国鉄を援助することにしたのである。
用地買収も全て自治体の責任であり、自治体が買収する。しかし、出来上がった高架鉄道施設、貨物駅、車両基地は全てJRの資産であり、費用全額を税金で負担したにもかかわらず、自治体のメリットは、やや自動車交通が便利になる程度であり、高架下の用地も一五%もらえるだけで、ほかに何のメリットもない。
市民の税金はJRに移行して、何年にもわたって、JR職員の給与は自治体の負担で支払われることになる。
工事はJRお気に入りの企業に発注される。現に、JRは貨物駅や車両基地の必要性や利用状況などについて、費用を負担する市民に何の説明をしようともしない。
民間企業であるJRが自分の利益を増やそうとするのは当たり前だが、あの時とは異なり、鉄道財政は好転し、利益を計上している、他方、地方財政はひっ迫し、深刻な財政難に直面している。これから二十年間も自治体、市民がJRを救済し続けることが妥当なのか。
(二)鉄道高架事業と市民の負担
この事業は鉄道高架事業のほか、五つの事業で構成され、総額ほぼ二千億円、事業期間が二十年、沼津市民の負担は、ほぼ六百億円で、全体で三分の二は国と県が負担するので沼津市の負担は約三分の一で済み、六百億円だと説明されている。しかし二千億円自体がアバウトな数値であり、確定したものではない。公共事業の予算では、費用はより小さく、効果はより大きく計上させるのが常道であり、数字が変わるのは常識であり、事業費の増加は避けられない。
そもそも、この試算はあのバブルの時期に策定したもので、大きいことはいいことだという期待の数値に過ぎない。国や静岡県の補助、援助もそうしてくれれば、という数値であって、確定したものではなかろう。
その時と比べて今、公共事業の事業規模は半分以下になっている。来年度も五%の減である。事業量が半分になれば期間は二倍になる。かつての右肩上がりの経験で、そうなると期待することは危険である。厳しい時代が続く先の二十年には不確定なことが多すぎる。数字でごまかしてはいけない。
その不確実な数字でさえ、市民の負担は六百億円とされている。市には、基金として蓄積した二百七十一億円があり、その費用は他の市民サービスを減らすことなく、増税しなくても、借り入れをしなくても、十分やっていけると説明されている。果たしてそうなのか。
その基金は借入金を積んだものであり、それも貨物基地、鉄道用地や代替え地の買収に使われて底をついており、さらに土地開発公社が百億円の負債を抱えているという。毎年減少を続けている沼津市の財政を見れば、そんな余裕は全くない。増税か借り入れをしなければ高架事業工事費の資金が出るはずはない。
今でも千四百億円の負債を抱えている。高架事業の資金を借入金で進めるならば、事業負担が六百億円だとしても、負債は二千億円に増加し、金利を算入すれば、さらに大きく、沼津市にとって返済不能の額になろう。「夕張への道」である。
鉄道高架が完成するのは二十年後。今、推進に懸命になっている人達の子どもが四十歳、五十歳の時であり、完成を見ることができない親も多かろう。
それまでに積み重なった負債が、次の世代の子ども達、その次の世代の子ども、今の世代の孫達に転嫁されることである。三十年、四十年の先まで大きな負債を残すことである。
しかし、子どもや孫達まで及ぶ膨大な負債を今の我々親達が残していいものだろうか。資産は残しても負債は残さない、それが親の世代の務めではないのか。
(三)土地収用と高架事業
原の貨物用地の買収が、頓挫して動いていない。これから、土地は売らないという抵抗運動がさらに強まろう。
そもそも、なぜ原地区にこのような大規模な貨物用地が必要なのか、十分に市民を納得させてはいない。東京の汐留でも、飯田橋でも貨物基地は撤廃され、オフィスやショッピングの町になっている。
なぜ大した貨物量がないと思われる沼津駅の貨物のために、原地区に巨大な貨物駅が必要なのか、理解に苦しむ。JR貨物は、その理由を説明しようともしない。貨物駅移転措置がJR救済対策であることを説明しにくい事情もあるだろう。
沼津市当局は貨物用地の買収のために土地収用法を使うということで、予算を計上したと伝えられている。
そもそも、なぜ事業主体ではない沼津市が、なぜ土地収用をするのか。この貨物駅が土地収用法の対象になるのかどうか疑問である。
この五十年間、市町村が土地収用法を発動した事例は全くないと言われている。この土地は土地収用、強制買収ができる土地なのか国土交通省の有権解釈を聞いてみなければならないし、裁判沙汰になれば最高裁までいく案件である。
確かに形式的には、この用地は都市計画法で事業用地として事業認可されて、公共性があるものとされている。しかし、最終的には、貨物駅の土地の所有、利用、処分の権限はJRに帰属するものであり、静岡県にも、沼津市にも権利はない。
また、貨物駅設置は、制度的には鉄道高架事業の本体ではなく、その移転補償、公共補償として行われるので、本来は土地収用の対象にはならないはずの土地である。たとえ公共補償の対象の土地であって強制収用できるとしても、実行するのは静岡県であり、沼津市ではない。静岡県には、強制収用する気はないようである。
強制収用するなら、鉄道施設としてJR貨物が主体的に実行すべきものである。JR貨物には、その意志は全くないと思われる。少しでも反対者がいれば、この事業は成立しない。
(四)広域行政と高架事業
この地域での大きな課題は、日常生活や経済活動で一体化したこの地域で、いかにして広域行政を進めるか、広域一体化、合併への道筋である。行政主体同士の反目もあって容易に進みそうもなく、道州制ともあいまって混乱がなお続く恐れも強い。周辺自治体が合併を進めたくない理由の一つが、沼津市の持つ膨大な負債であり、鉄道高架事業でさらに増えることを危惧していることである。貧乏で借金まみれの婿に嫁に行きたくないということであろう。
さらに、沼津市の中心部だけに二千億円の投資を集中することへの反発であろう。
今、新幹線三島駅の駅一前の改修が行われて、新一幹線三島駅がこの地域の交通の中心であることは間違いない。沼津駅中心の沼津の考え方がどう評価されているのか、周辺自治体を含めた広域の都市計画の中で、周辺自治体から鉄道高架事業がどう評価されているのか、改めて考えてみなければならない。
広域行政、政令指定都市構築が大きな課題であるならば、鉄道高架事業がどう影響するのか、大きな課題である。
東京駅から沼津駅まで湘南電車で二時間の旅、沿線を見た時、どこに鉄道高架施設があるのか。新橋まで高架下は飲み屋や駐車施設に使われているが、新橋を過ぎれば平面で延々と鉄道敷地が続いている。品川、蒲田、川崎と開かずの踏切の連続である。横浜駅も横断は駅の地下道を使うしかない。
沼津市より大都市の藤沢、平塚の駅も平面交差、不便だろうが自動車は地下道路なり横断橋で通行している。小田原駅には、駅内を通る歩行者専用の道路が市街地を結んでいる。どこにも鉄道高架施設は見られないのである。部分的な立体交差は意味がない。なぜ沼津駅周辺で数キロの鉄道高架をしなければならないのか、議会や識者には、ぜひ論議してほしいものである。
新しい沼津市長となる人が誕生して、新しい政策が実行されるものと期待されている。新市長は沼津駅周辺総合整備事業について、これまでの計画を実施するという公約であるが、以上述べた諸問題をどう考えるのか、新しい議会の論議で大いに論じてほしいのである。(前明海大不動産学部教授)
(沼朝平成20年10月31日(金)号)
PR
http://tokusan.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E5%B8%82%E9%95%B7%E9%81%B8%E3%81%AE%E4%BA%89%E7%82%B9%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9A%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%BE%B3%E4%B9%8B%E8%BC%94市長選の争点は何だったのか:長谷川徳之輔