「沼津駅周辺総合整備事業、鉄道高架事業に関する有識者会議の答申を見て」
① 長谷川徳之輔
第1章 妥当性に欠けた有臓者会議の答申
失望させられた有織者会議の結論
沼津駅付近鉄道高架事業に関する有識者会議の答申が出されました。
答申は、鉄道高架事業の妥当性について、交通対策、地域対策、物流の視点から検証した結果、この事業は、沼津市都心部が抱えている交通環境や南北市街地の分断の問題を抜本的に解消し、県東部地域の拠点都市を形成するための効果的な事業である、とし、事業の費用便益分析にも辻会経済的に合理性があり、沼津貨物駅移転にも妥当性がある、と結論しています。
しかし、さすがにそれだけではあまりにもお粗末で、理解されないだろうと、事業の問題点の可能性も否定しない、と逃げを打ち、さらに、事業には、地域住民の理解と協力が必要だと住民に下駄を預けているのです。
なんとも理屈に欠けた無責任な答申であり、論理性も、社会性も、政策意思にも欠けた答申で、とても、専門家の論議を経たとも思われない、おためごがし、体制に追従するだけの抽象的な作文で、これが専門家、学者の知恵と経験の産物とは、とても思えません。
一年間、有識者会議が、論理的、客観的な立場で広く論議することを期待していた立場から見ると、有能な専門家が集まって、一体何を論議していたのかと憤慨し、川勝県政もこんなものかと、がっかりするより、悲しくなってしまうのです。
答申は、A4判で五〇ページを超える長文ですが、内容は、交通、地域、費用便益からの若干の鉄道高架事業の妥当性の検証と沼津貨物駅の取り扱い、それに沼津市の新しい都市コンセプトに触れるだけであり、結論まとめも、極めて抽象的な記述で、事業の妥当性の評価と沼津貨物駅の移転を可とするだけで、本質論に欠けた無意味な報告に過ぎないと思います。
記述でも、これまで事業を説明するのに使われていた沢山の図表やグラフを掲げるだけで、静岡県当局が有識者会議への諮問で期待したであろう本質的な鉄道高架事業の計画、政策の在り方を分析した検証の結果は、残念ながら見当たりません。これでは、事態は元の木阿弥、この答申を受け取った静岡県、沼津市の当局が、どう対応していいのか、方向転換もままならず、戸惑ってしまうのではないのかと、逆に心配ですね。
雅もやれると思っていない鉄道高架事業
東日本大震災の大災害を機に、経済社会に大きな変化が起きているこの時期に、この無意味、無責任な答申を受けて、県民、市民はどう見るのでしょうか。県民、市民は経済社会の変動をしっかり意識して、市民意識も高まり、何事にも賢明になっています。答申の結論がそのままに受け入れられるとは、とても思えません。
誰もが、今の時期に、たかだか人口二〇万人に過ぎない地方都市に、周辺整備も含めて二〇〇〇億円、市民一人あたり一〇〇万円の費用をかけて、二〇年もの長期の時間がかかり、大して効果もありそうもない、大型で無駄な公共事業をやれるとも、やらなければならないとも思っていないでしょう。
答申を求めた川勝平太知事も、栗原裕康市長も、県議会や市議会の議員さんも、県や市の専門家も、多分JRの技術者でさえ、今のままの姿の鉄道高架事業を、やりたいとも、やれるとも考えているはずがないし、時世に合わせて見直したいのが本音だと思います。もし、本心でやりたい、やれると思っているなら、よほどどうかしているということです。県民も市民も、おかれた現状を素直に考えれば、そのことを容易に理解できるでしょう。
事業に利権や損得のある組織だけが、利権がらみで、そうしておきたいと思っているだけです。問題は、誰でもが、そう思うのに、当の責任者には、誰にも正直な発言はなく、解決を先延ばしする、他人に下駄を預けることしか考えていないことです。有識者会議の論議そのものが、結論の先延ばし、当局の責任逃れの手段だと冷評されなければなりません。
雄のための、何のための鉄道高架化事業か
静岡県や沼津市の何人かの専門家と個人的に意見を交換したことがあります。誰もが、この事業への疑問を持ち、今の時代のあるべき地域政策を熱く語っていました。
一番の問題は、地域経済の見通し、静岡県や沼津市の財政能力、これからの地方の在り方を考えた時に、右肩上がりが続く高度経済成長の時代の大型の公共事業がやれるはずがない、と誰もが思っていることです。体制の見方と個人の見方が大きく異なるのです。
問われる最大の問題は、鉄道高架事業が何のための事業であり、誰のための事業かということです。誰がその利益を受け、誰がその費用を負担するかということであり、負担に対応する利益があるかどうかということなのです。本質は、この鉄道高架事業が沼津市民の本当の利益になるかどうかということです。
静岡県には、富士山静岡空港というバブル時代の負の遺産があります。やはり二〇〇〇億円もの公共事業で、高度経済成長が終焉した今でも、静岡県に空港が要るのか、要らないかの論議が、県民を悩ましていた事業でしたが、それでも完成すれば、飛行機が飛び立ち、空港の利用価値は、それなりに発揮されています。
人口三七〇万人の静岡県全体の事業であり、利用されれば、採算性はなくても、それなりの効果はありますが、沼津駅の鉄道高架事業は、電車の走行が増える訳でも、時間が短縮される訳でもなく、自動車の走行が、やや便利になる程度で、なんらの収入を生むことがありません。放漫財政が緊迫してしまい、静岡空港にすら逡巡していた静岡県が、人口二〇万人の沼津市にしか利益を生まない金食い虫の鉄道高架事業に力を入れる訳がないと思います。当事者である静岡県は、一体どういう意識で、この答申を受け取ったのでしょうか。(はせがわ・とくのすけ=沼津生まれ。東高出身。元旧建設省官僚、元大学教授。東京都目黒区)(次号へ。次号からは二面掲載になります)
【沼朝平成23年7月10日(日)号】
② 長谷川徳之輔
第2章 有職者会議の答申の妥当性を検証する
妥当性の妥当性を検証する
最初に、有識者会議が鉄道高架事業に妥当性がある論拠として取り上げた交通対策、地域対策、物流対策、費用効果分析の検証と、その理由付けから、「妥当性がある」とした結論の妥当性を検証してみましょう。
A、交通対策の視点
交通対策の視点からは、現在の経済社会の現状から見ると、CO2の削減の環境対策からも自動車交通より鉄道輸送を重視して、貨物駅の移転、輸送能力の拡大は必要であるということ、また市内の自動車交通の南北間の混雑から見て、円滑な自動車交通を確保するために、鉄道施設の高架化が不可欠であるという結論に持っていくものだと思いますが、論拠は、あまりに抽象的にすぎます。
大きな交通政策の流れとして、交通混雑、環境の悪化など自動車交通のマイナス面からも、もっと大量輸送手段である鉄道を見直すべきだという鉄道へのモーダルシフト(編集部注・貨物や人の輸送手段の転換を図ること)の議論は有益だと思います。CO2の削減も大切ですが、鉄道高架事業が、これにどう結び付くのでしょうか。完成後に多少の削減はあるとしても、周辺整備も含めて二〇〇〇億円の建設事業から生じるCO2の方がはるかに大きいでしょう。また、沼津貨物駅が、世界的な鉄道へのモーダルシフトの動きというほどの大げさな話ではないでしょう。
確かに、現在の市内の自動車交通で、朝晩の通勤時間帯に南北の交通が混雑することは事実ですし、改善を図ることも、ぜひ必要でしょう。しかし、鉄道高架事業は完成に二〇年もかかる事業であり、それまでの間、線路のかさ上げ工事が続き、混雑はいっそう激しくなるでしょう。
二〇年先の都市構造からは、人口の減少、経済の低迷、市街地の郊外化の終焉で市内の自動車交通量は、どう変化するのでしょうか。
さらに、今、東駿河湾環状道路の一部分が開通しただけで、沼津市内の自動車の南北交通は緩和されているということです。三つ目ガードなど三カ所の横断地下道路の改善も進み、自動車交通量も減ってくるでしょう。
そもそも、高齢化社会がさらに進み、通勤や買い物に、自動車を利用しなければならない地方都市の都市構造、土地利用の見直しも行われ、都心居住への転換も進むと思います。これからの経済社会の動きを見ると、南北の自動車交通の混雑を解消するために、なぜ、この時期に大型で長期の鉄道高架事業が必要なのでしょうか。
交通政策には、いくつもの交通手段、交通機関がどう分担すべきなのかという総合交通体系、交通分担の論議が大切です。船舶、航空、鉄道、自動車などが貨物、旅客で、どう分担しあうのか、交通機関は、経済の進展、社会の変化の中で常に激しい競争が行われて、船舶から鉄道へ、鉄道から自動車へ、航空機へと効率の悪い交通手段の淘汰が進んできました。新幹線や高速道路の出現で、競争関係は劇的に変化します。JRは、新幹線の旅客輸送にシフトして、これまでの古い非効率な鉄道からは撤退しています。
一般的に、貨物では長距離は船舶、中距離は鉄道、短距離は自動車とされていますが、鉄道の貨物輸送の後退は、歴史的事実であり、特にJR貨物の衰退は、劇的に進みました。JR貨物の輸送量は、一九七〇年には二億トンで、総輸送量の四・三%であったものが、二○○○年には四、一〇〇万㌧と五分の一に減少し、総輸送量の一%を割り込んでしまっています。
二〇〇八年には三、三〇〇万トンと、さらに二〇%の減少を示し、旅客輸送も同じ流れにあり、大都市でのJRの輸送量は増えてはいますが、地方では減少し、沼津駅で見ると、利用客は一九九〇年から二〇〇三年の間に一、〇四四万人から八四二万人と二〇%も減少、JR輸送の凋落は顕著です。国鉄民営化の中で、貨物輸送の最大の基地であった新橋汐留も、飯田橋も、大阪貨物駅も廃止になり、跡地は民間に売却されています。
この時に、ほとんど貨車の姿が見えない沼津駅の貨物輸送が増加し、新たな貨物駅を整備する必要があるのでしょうか。既設の四万トンの貨物処理容量を一四万トンに増加して、新たな貨物基地を造らなければならないのか、やはり不思議です。川勝知事の貨物駅移転は不要だという考えも常識的で、理解できます。
もし、JR貨物にそれほどに新貨物駅の必要性があれば、JR貨物は、自分の費用で自らが用地を買収して整備するでしょうか。たまたま、鉄道高架事業の公共補償として、自治体がその負担で整備することから、新貨物駅に利用価値があろうと、なかろうと、経営上は好都合であるということで、受け入れているのではないでしょうか。
このローカルな貨物駅の計画を有識者会議が、世界的な鉄道へのモーダルシフトの進展からだと、外国の大規模な輸送基地の物流機能を例に挙げて、妥当性があると評価するのは、為にする話で、お門違いとも言うものでしょう。
【沼朝平成23年7月12日(火)号】
③ 長谷川徳之輔
B、地域対策の視点
地域対策の目的は、衰退する沼津市の再生、東部の拠点都市になるためには、東海道線と御殿場線の鉄道高架事業が不可欠であり、都市再生の鍵であるという認識だと思います。
しかし、沼津市のパワーの欠落、中心市街地の衰退は鉄道による分断が原因であり、鉄道を高架化すれば、中心市街地の衰退は止まり、沼津市の人口は再び増加し、経済が活性化することになるのでしょうか。鉄道高架化によって生まれる土地、高架下の用地を利用して、ここに国際会議場や大学や研究所のような高次の都市機能を整備することに、現実性があるのでしょうか。
そもそも、沼津市の衰退の原因は鉄道により南北に分断されているからだ、という認識に疑問を持たざるをえません。
原因は、自動車交通の進展、大型店舗や病院、学校の郊外移転という構造的な問題から生じているのであり、沼津市でも、郵便局、市立病院、沼津東高、明治史料館などの主要な都市機能が北部に移転しています。
中心市街地、城内地域の衰退は、東海道線、御殿場線の鉄道線路が平面交差で、市街地を分断しているからだと言いますが、鉄道による分断は、今に始まったわけではありません。
南北の地域は、東海道線が開通した一八九〇年から百二十年間、遮断されているのであり、また、高度経済成長期に地価に追われて郊外化した市街地という、構造的な問題から生まれているものであり、単純に鉄道で分断されているからではありません。
立体化にしても機能は十分ではありませんが、三つ目ガード、一つ目(現あまね)ガード、のぼり道ガードは立体構造になっており、すでに鉄道と自動車交通は分離されています。最近の街づくりでは、郊外での開発を抑制し、これまで郊外に転出していた病院、学校、文化施設などの都心回帰を図ろうとしています。中心市街地の衰退は、郊外化した土地利用の現状が最大の問題なのです。
鉄道高架事業により、鉄道跡地一四㌶、高架下に四・七㌶など駅周辺に新たな空間が創出され、高度都市機能を備えた県東部の拠点都市になるような効果もあると言われていますが、人口の減少、経済の停滞や沼津駅周辺の土地利用の空洞化の状況から見ても、この土地が高次都市機能の用地として有効に利用されるという効果は、全く幻想に過ぎないと思われます。
鉄道高架事業によって生まれる土地に、国際会議場などの高次都市機能を整備して、沼津市が東部の拠点都市になりたいという意欲は理解できますが、問題は、沼津市の周辺地域が一体的な都市機能を発揮した都市群であるのにかかわらず、一体化しない、合併しようとしないのは、逆に鉄道高架事業の負の効果だと思います。
三島市、長泉町など周辺自治体にとって、沼津駅の鉄道高架事業は、地元にはなんの恩恵もなく、それでなくても、財政困難な沼津市が、さらなる財政負担を抱えこんでしまい、合併で、そのツケが自分達に回るのを嫌っているからでしょう。鉄道高架事業は、東部の拠点都市への鍵どころか、重い負担となっているのだと思います。
C、肝心の費用効果分析
もともと、鉄道高架事業の費用対効果は、計画の時点では示されず、事業が認可された平成十八年度当時には2・74だと計算されていましたが、数字だけが一人歩きして、詳細の算定の基準が明らかにはなっていませんでした。今回、この算定基準を変えたことで、平成二十二年度の試算では1・3から1・7と、当初の数値から半分に減少したとされましたが、それでも、1以上だから、費用効果分析が有効であり、事業に妥当性があると評価しています。
本当に、こんな議論でいいのでしょうか。道路整備をする場合に使われている費用効果分析、自動車交通量の時間便益や費用軽減の分析が鉄道高架事業の費用効果分析として有効なのか、どうかという論議もありません。
もともと、ここで使われている費用効果分析は、同じ種類の事業の効果の優劣を比較する手段であり、沼津駅の鉄道高架事業とJR京浜線の鉄道高架事業の優先度を比較する場合に利用することはできても、沼津駅鉄道高架事業の絶対的な価値、費用効果を評価する手段にはなりえないのです。
この地域の将来の姿、二十年先の人口や経済の見通し、財政、土地利用などなど、基本的な要素が不明確な費用効果分析では、道路整備の費用効果分析ですら万全のものではなく、鉄道高架事業の絶対的な費用効果の評価は困難だし、数字が出たとしても、ほとんど意味がないと思います。
鉄道高架事業の目的は前述したように、沼津市が衰退する原因が、市街地が東海道線、御殿場線によって南北に分断されていて、南北の自動車交通が阻害されているからであり、沼津の南北間の交通事情を改善すれば、市街地の衰退が止まる、人口の減少も止まり、経済が再生し、財政も健全化して、中心市街地も復権するという触れ込みであります。
となれば、交通機能の分担や貨物駅の役割などの部分的な効果の論議ではなく、本当に都市の復権になるのかという本質の費用効果の検証が一番に必要なのです。残念ながら、それを客観的、合理的に評価する手段、方法を行政は持っていませんし、学問的にも確立したものはないので、所詮、有識者会議に期待するのが無理なのでしょう。
だから、自動車交通量の時間便益、走行便益という部分的な費用効果分析で代替するだけなのだと思います。費用対効果が、1以上であるから鉄道高架事業に妥当性があるという評価は、本当は意味のない分析なのです。
【沼朝平成23年7月13日(水)号】
④ 長谷川徳之輔
第3章 財政問題こそ、本質的な問題
時代の激変を見ずに、避けてきた本質的な論議
有識者会議の肝心な役割は、経済社会の変化に対して、鉄道高架事業の優先度をどう見るかであり、これからの経済、財政事情がどう変わるかを見通して、国や地方の財政能力から見ての事業の位置付けを考え、その在り方を論議することだと思います。将来の国や地方の財政能力から、このような大型で長期の事業が可能かどうかを論議しなければなりません。その際、定性的な論議もさることながら、国、静岡県、沼津市の将来における財政状況を定量的に考察し、鉄道高架事業の財政的なフィージビリティー(編集部注・可能性)を分析し、考察することが求められます。
国の財政は危機に瀕しており、財政再建は必至であり、無駄な費用の削減のみならず、大幅な増税論議も俎上に載っております。地方自治体が、その外にあるはずはありません。静岡県も財政悪化の声が高まり、非常事態が告げられています。これまで比較的財政に恵まれていた沼津市とて例外ではありません。
しかし、有識者の中に肝心の経済財政の専門家が見えません。有識者会議では、定量的な考察はもとより、定性的な論議すら、なされてはいないようです。むしろ、この肝心の経済財政の論議をあえて避けていた感がしてなりません。
有識者会議の座長を務めた森地茂・政策研究大学院大学教授は、土木計画学の最高の専門家、有識者であり、私もその昔、仕事の仲間として、お付き合いをしたこともあり、個人的には尊敬している学者です。
土木学界の重鎮であり、政府の有力な助言者であり、衰退する土木学を発展させ、減少する公共事業を、なんとしてでも食い止めなければならない立場にあり、専門家集団の頂点にいることからも、その見方は、どうしても土木事業からの判断にならざるを得ず、公共事業が減少する政策には賛同しかねることは容易に理解できます。
今、公共事業の在り方が広く論じられております。鉄道高架事業は、その渦中にあるものです。公共事業は、その体制は、政・官・業・学の一体とした利権構造で成り立っている巨大な同業者組合、ギルド体制であり、政官業学が一体となって既得の利権を維持し、拡大しようとするエスタブリッシュメント(編集部注・既成社会)の体制であり、今話題になっている原子力発電を推進する組織、政官業学が一体として機能している「原子力村」と言われる体制と同じなのです。
それも道路、河川、農業、港湾などの省庁ごと、部門別に構成されています。鉄道高架事業、連続立体事業は都市土木と言われる部門の利権です。地方の公共事業も同じ構造を持っています。
しかし、今回の問題は公共事業を否定するものではなく、公共事業の中で何を促進するのか、何を抑制していくかという政策順位からの論議をするべき問題であり、沼津駅の鉄道高架事業は、実施する価値があるのかどうか、実施できる事業であるかどうかであり、その視点からの論議が求められています。
その本質的な論議を欠いて、派生的な交通対策、物流対策や道路整備の費用対効果からしか論じられていないこの報告害の結論は、森地座長が本心からは、決して満足すべき答申ではないと思っていることは、容易に理解できます。
長年、地元でも、政治家や行政だけでなく、市民からも、いろいろ論議が行われ、推進するにしろ、見直しするにしろ、反対するにしろ、論議の積み重ねがあったのであり、それらの論点をしっかり把握し、客観的に評価してみることこそが、有識者会議の論議の前提であるはずであり、森地座長からも、推進反対の論点の整理をすることが求められていたと思いますが、地元の声を聴くこともなく、その声を封殺するような姿勢で論議が進められてきたことが残念でなりません。
議論は、慎重な論議という名目で、本質の論点を避けようとする逃げの姿勢に過ぎなかったとも思います。
【沼朝平成23年7月14日(木)号】
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