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有識者会議の答申を見て2

 ⑤ 長谷川徳之輔
 第4章 推進と見直し、二十年間の市民意臓の分裂
 どういう経過を経てきたのか
 ここで、鉄道高架事業がここまで進んできた経過を振り返ってみましょう。
 沼津駅周辺総合整備事業は一九八〇年代半ば、石油危機を脱して日本経済が再び力強く成長する勢いから、経済成長は無限に続くと錯覚されたバブルの時代にスタートし、大型の公共事業が国家的課題になっていたこともあり、鉄道高架事業は、静岡駅と浜松駅に続いて、今度は沼津駅の番だと、昭和六十三年、一九八八年のバブルの最中に、沼津市議会にも鉄道高架化促進の組織が作られました。
 建設費を積み立てるために「沼津駅周辺総合整備基金」が設置されるなど、沼津市と市民が一丸になって大型公共事業を推進する意気込みだったのは、その時代の産物であり、市民みんなが、その成果を期待していました。
 沼津市民だけでなく、日本中がバブル景気に浮かれている時代でした。日本経済は成長をし続ける、それ行けどんどんだと、誰も日本経済の先行きに疑問を持っていなかったのでしょう。
 大きいことはいいことだと、事業は膨らむだけ膨らんで、六種類、二千億円、二十年という大型の都市計画事業になっていきます。しかし、それから四半世紀を経て、バブル経済の崩壊によって成長神話は崩れ、本来は、鉄道高架事業にも、その影響が及んでいたはずです。
 しかし、バブル経済の崩壊で時代は転換しましたが、この事業に直接影響することなく計画づくりが進み、逆にバブル後の経済再生のために、一時的に公共事業の拡大が進められていたことから、二〇〇〇年に道路側と鉄道事業者との間に鉄道高架事業の計画が結ばれています。
 その後、さらに財政危機が深刻化。小泉内閣の構造改革路線が進む中でも、二〇〇三年、都市計画法に基づいて鉄道高架 事業の都市計画が決定され、さらに二〇〇六年には国土交通省により事業認可されています。経済社会の変動にもかかわらず、確かに事業化への法律上の手続きは、適正に進められています。
 他方、この事業を巡る市民意識も当初の熱気は薄れて、事態は様変わりしていきます。
 原地区では地元に押し付けられる貨物駅移転への疑問が生まれて反対運動が起こり、沼津市民全体にも、無駄な公共事業をやめるべきだという市民運動も現れます。
 改めて計画の見直しを求めて鉄道高架事業へ住民投票を求める条例制定の要求や、その条例を否定する市長に対するリコール要求など市民運動が続き、沼津市と市民の間に要らぬ不信感が生まれ、市民の間にも深刻な対立が生じてしまっています。不毛の対立は市民には不幸の極みです。
 冷静さを欠いた政治紛争へ
 この間に市長選挙も市議会議員選挙も行われました。市長選挙は、政策や計画を見直す絶好の機会だったのですが、うまく機能せず、沼津市の負担による、鉄道高架化のつけたりの用地買収だけが、だらだらと続いていきます。
 十年前の桜田光雄元沼津市長と斎藤衛前市長との市長選挙。二人は沼津東高の出身で、旧建設省では公共事業や都市間題の専門家であったのですが、先輩後輩で沼津市長選挙を競い合ったのです。
 しかし、鉄道高架事業の計画を立てた責任者の桜田さんが見直しを主張し、批判すべき立場で引き継いだ斎藤さんが推進を主張するという、摩詞不思議な逆転した立場だったのですが、結果は斎藤市長が勝利しました。しかし、市民の支持は、ほぼ半分ずつ、どちらが勝利したのか分からない状況でした。
 私は市長選挙が終わった後、推進と見直しが半々だから、専門家の二人が協力して市民の利益を考えた計画、政策を方向付けることが必要ではないか、と、同じ建設省の仲間の立場から、二人に忠告してみました。しかし、二人共、しがらみにとらわれて相互に協力することなく、それぞれの立場に固執し続けたのです。
 市長選挙という絶好の見直しの時期があったのにかかわらず、ことは解決せず、行政と市民との軋轢(あつれき)は、ますます深刻になり、鉄道高架事業は政治紛争の手段へ悪化していくように感じたので、旧建設省で仕事をし、大学で教鞭を執る立場から、なんとか公正な論理的な情報、見方を市民に知ってもらいたい、沼津市や静岡県の責任者にも伝えて、冷静な論議が行われるようにと思うに至り、論議に参加することになったのです。
(沼朝平成23年7月15日号)

 ⑥ 長谷川徳之輔
 私の関与、市民の本当の利益こそ優先
 沼津朝日新聞が、この問題を熱心に報道しており、公正な世論作りが期待できると思い、沼津朝日新聞に投稿して、十数本のレポートを掲載してもらいました。
 新聞だけでは意が尽くせないと思い、論議の参考にしてほしい、と『衰退し続ける地方都市再生への道を探る、素晴らしかった沼津市を再建しよう』という沼津市の街づくり、鉄道高架事業についての分かりやすい専門的な本を自費出版して書店で販売する一方、市長や市議会議員に献本してみましたが、どうしたものか、私と議論したくないのか、議員から、せっかく送った本がまとめて送り返されてきたのには、びっくりしました。
 誰に頼まれたのでもなく、どの組織に味方するのでもなく、ただ都市間題の専門家の視点で、その在り方を冷静に、論理的に見たい、その昔には私自身が市民であったことから故郷のためにと、沼津市民の本当の利益は何かだけを考え、利害なし、損得なしの立場で論議に参加してきたつもりです。
 しかし、私の発言が必ずしも市民の理解を得られたわけではありません。当初は友人達も、せっかくの機会を邪魔するな、国や県の金が流れるのだから沼津にとっていいことだ、誰かが費用を負担してくれて、地元で事業ができるのだから、やった方が得だ、という評価であったようでした。
 役所に任せておけば問題はない、という信頼感もあったと思います。しかし、多くの市民に、時の流れとともに、その考え方にも変化が出てきており、ことの本質を考えるようになっています。
 今は、多くの市民が、国や地方が置かれた立場を現実的に見ても、市民の費用の負担や、事業の時間から見ても、長期で高額の鉄道高架事業より、短期で安く出来る南北自由通路の方が合理的であるという見方に変わっているように思えます。
「推進」「反対」不毛の対立
 この十数年、沼津市民の論議は、「推進」「見直し」と二つに分かれ、収拾のつかない政治紛争の種となる動きもあったと思います。市民の意識が分断されておりました。
 反対者は、貨物基地が移転する原地区の住民が主体であり、貨物駅の移転が原地区に押し付けられることへの反対運動から、政治紛争になってしまい、住民投票を求める動きから、さらに沼津市長のリコール運動にまで進んでしまい、かえって解決が困難になってしまったという事情もあったと思います。行政と市民の間に相互信頼が欠落して、互いに耳を貸さないという不毛の対立が、解決をさらに困難にしたという事情も否定できないと思います。
 平成十九年の市議会議員選挙では、鉄道高架事業の見直し、中止を求める数人の新しい議員が誕生しましたが、政策論議はそれなりに高まったものの、事態に変化はなく、むしろ不毛の対立が激化した面も増えたのかもしれません。
 翌二十年の市長選挙では、これまでのしがらみにとらわれないと思われる新しい市長が誕生しましたが、推進派の支援を受けていたという理由からか、長年のしがらみから脱しえず、新しい方向を打ち出せないでいます。
 今の時点での現場を見てみましょう。鉄道高架事業の本体は、まだ全く姿を現していません。関連する沼津貨物駅の移転事業だけが、原地区にその用地を選定し、沼津市による買収が続いていましたが、原地区の反対運動がますます強くなり、用地買収は頓挫してしまいました。
 沼津市は窮余の策で、残る数十人の地権者を相手にして土地収用法を適用し、強制収用を行うと発言しましたが、公共補償の代替地の用地が強制収用の対象になるのかという土地収用法の適否の問題もあって、その声はきわめて弱く、及び腰です。
 当初、原地区への貨物駅移転の施行主体は沼津市とされていたものが、これも急きょ、施行主体に静岡県を加え、沼津市と静岡県が一緒になって強制収用を行うことになったという、とんだ茶番劇が起きましたが、静岡県には施行主体としての意識も財源も欠落していて、まさに中途半端な姿勢で、鉄道高架事業自体が頓挫しかねない状況になってきました。
 そこへ川勝平太知事の沼津貨物駅不要の話が加わり、事態は、ますます混乱してきたのです。
 静岡県と沼津市は、事態を鎮静化しようとしてか、先延ばし、責任転嫁の常套手段で第三者機関の論議に下駄を預けることとし、時間稼ぎするということで有識者会議を設定し、今に至ったものです。
 原地区の用地買収は、強制収用を進めるどころか、県知事が反対しているという理由で、これ幸いと、沼津市は用地買収を放棄してしまったようで、混沌とした状況は、いまだに解決されていません。
(沼朝平成23年7月16日号)

 ⑦ 長谷川徳之輔
 第5章 再度の検証、なんのため、誰のための鉄道高架化事業か
 東海道線の東京ー沼津間のどこに鉄道高架化はあるのか
 ここで、問題を明確にするために、もう一度、なんのための鉄道高架事業であり、誰のための事業なのかを検証してみましょう。その前に、ぜひとも専門家には、東京駅から沼津駅まで新幹線ではなく、東海道線の湘南電車に乗って沼津まで来て、沿線の風景を見てもらいたいのです。
 東京ー沼津間一二〇㌔の区間に、どこに鉄道高架をした都市があるでしょうか。新橋を過ぎれば線路は平面交差が続き、品川から蒲田まで、この間の鉄道線路で街は南北に隔てられており、京浜東北線と東海道線が走行するこの区間ー一時間に百本を超える電車が走行する区間ですがーどこも鉄道は高架化していませんし、すべて平面交差です。
 踏切は、ほとんど閉まったままの開かずの踏切、六十分のうち五十分は閉まったままです。自動車が南北を横断するには、踏切を探して数百㍍も横に走らなければなりません。大都市の川崎駅にも、横浜駅にも鉄道高架は見当たりません。藤沢駅も、小田原駅も同様に、地下道路や横断道路橋で南北交通をさばいております。
 本来、鉄道高架事業は、このような地域にこそ進められなければならない事業であるはずです。しかし、JR中央線ですら立川ー新宿間の高架化が完成したのは昨年のことであり、JR京浜線には、その計画すらありません。一時間に二、三本の三両連結の電車しか通過しない御殿場線に、なぜJR京浜線を差し置いて、高架化が必要なのか、誰もが不思議に思うでしょう。
 都心の交通困難解消のために、小田急線の複線化、立体交差化が必要ですが、高架化は環境を破壊するとして、地下トンネルを求める住民の反対運動も激化して、なかなか思うように進んでいません。
 沼津駅と新宿駅の間に「あさぎり号」が走り出して、ほぼ二十年たちましたが、未だに一日四本しか運行されていません。利用効率も悪く、観光客の誘致にも、あまり役に立っていないようです。
 沼津市民には、なんの負担もない小田急線の複線化、高架化が完成することが「あさぎり号」の運行本数を増やし、沼津の観光の活性化につながることになるのだと思います。大型の公共事業にあっては、地域的な狭まれた利益の論議ではなく、日本全体、公共事業全体を見た、もっと広い視点からの論議が必要なのです。
 複雑な沼津駅周辺総合整備事業
 沼津駅周辺総合整備事業は、次の六つの事業が一体となって機能するものであり、複雑な仕組みで、全体像の理解が難しく、全体像が分かった専門家も、あまりいないのではないでしょうか。
 事業の中心が、東海道線、御殿場線の線路の鉄道高架事業、いわゆる連続立体交差事業であり、事業費は八百二十三億円、沼津市の負担は百九十三億円だと計算されています。
 鉄道高架事業を中心に六つの事業で総事業費は、ほぼ二千億円(価格修正で千八百二十三億円)で、うち沼津市の負担は六百二十五億円、事業の完成には二十年の時間が必要だとされています。
(1) 沼津駅周辺の鉄道高架化事業=東海道線三・七㌔、御殿場線一・六㌔、合わせて五・三㌔区間の東西に高さ十数㍍の高架構造物を整備する。
(2) 新貨物駅、新車輌基地四原地区への既設の貨物施設の移設と片浜地区への車輌基地の整備、沼津市の費用負担、用地買収
(3) 沼津駅南土地区画整理事業=沼津市施行、宅地、市街地の整備事業
(4) 静岡県東部拠点特定再開発事業=駅北の旧国鉄用地を中心にした土地区画整理事業、民間都市開発推進機構の施行
(5) 大手町地区再開発事業=駅前市街地の市街地再開発事業、沼津市施行、イーラdeの整備
(6) 関連道路事業=三つ目ガード、中央ガードなどの拡幅整備など
その他 キラメッセ、シネマコンプレックス、コンベンションホテルなどの民間投資
 なぜ、沼津駅付近の鉄道の高架化が必要なのかについては、こう説明されています。
 沼津市の旧市街地の衰退は、沼津市の市街地が東海道線と御殿場線で南北に分断されているからであり、沼津駅周辺の二つの鉄道線路を高架化して、南北の自動車交通を円滑化させれば、中心市街地の衰退は解消し、南北問題は解決する。
 まず、鉄道線路の高架化のために、今の沼津駅の西側にある貨物駅と東側にある操車場を高架線路の外に移転することとして、貨物駅は原地区に移す。その上で、操車場用地と貨物駅用地の跡地周辺の地域を区画整理して、高架事業の線路用地を生み出すとともに、市街地を整備する。
 これに関連するいくつかの道路整備などが加わる。さらに、駅前の土地の有効利用のために、駅南の再開発事業を行う、駅南のイーラdeはその一環です。
 このような六種類の事業をまとめて、沼津駅周辺総合整備事業と言い、鉄道高架事業は、その中心事業なのです。
(沼朝平成23年7月17日号)

⑧ 長谷川徳之輔
 割の合わない沼津市、裏に隠れたJR貨物
 六つの事業は事業区分としては、別々の都市計画事業であり、施行主体も費用負担も、それぞれ異なります。鉄道高架事業は静岡県が施行主体、貨物駅の移転と用地買収は沼津市の施行、ただ、後から静岡県が加わっています。
 現貨物駅跡地の土地区画整理は沼津市が施行主体、駅北旧国鉄用地と操車場の跡地の土地区画整理は、民間都市開発推進機構が施行主体、駅南の都市再開発事業は沼津市が施行主体となっているのです。
 都市計画も制度的には個別に決められており、沼津駅周辺総合整備事業は、これらを一体としての名称であり、鉄道高架事業が、その中心に位置付けられている訳です。鉄道高架事業がなければ、残りの五つの事業は形式的には別事業でも、実質的には存在しえない事業なのです。
 沼津市は、多額の費用の負担と用地買収などの裏方を担当する、割に合わない仕事ですが、地元ということもあって、一生懸命やってはいるようです。しかし、不思議なことに、鉄道高架事業の最大の恩恵を受ける肝心のJR貨物は事業主体として、どこにも姿を現していません。

 貨物駅中止は全体の中止
 もちろん、川勝平太知事が言うように貨物駅移転をやめても、都市計画としての鉄道高架事業は形式的には存在し得ます。しかし、それには現在の貨物駅と操車場の機能を維持するために、平面の線路を、そのまま存続しなければならないのですし、鉄道を高架化しても意昧のないことになってしまいます。
 貨物駅を移転しないで、現在の貨物駅を撤去する選択もあり得ますが、貨物翰送の機能は失われるので、JR貨物が受け入れないでしょう。
 鉄道高架事業が消えれば、御殿場線の高架事業の用地を生み出すために行われる操車場用地、富士見町地区の区画整理は必要なくなってしまいます。もちろん、かさ上げを前提にした鉄道高架事業に関連する沼津駅周辺の道路整備事業も意味がなくなります。
 現在、三つ目ガードの北側で行われている道路拡幅、かさ上げの工事は全く役に立たない事業になってしまうのです。貨物駅の移転を取りやめることは、結局、全体の事業を止めるということになるのでしょう。

 JR救済の国策事業
 そもそも、沼津駅周辺総合整備事業は旧国鉄、JRの存在なくしてはありえなかった事業です。当時、旧国鉄は巨額の債務で経営不振が極まり、国を挙げての救済を迫られていました。
 中曽根内閣の行政改革では、旧国鉄の二十数兆円に上る膨大な債務を棚上げして、その債務を処理する国鉄清算事業団を作り、鉄道輸送の仕事は、JR東海など六つの株式会社に分割して、新生のJR株式会社にして再出発させたのでした。JR貨物株式会社もその一環です。
 国鉄清算事業団は、旧国鉄の資産を売却して債務の支払いに充て、不足する分を国が税金で面倒を見ることになり、全国各地で旧国鉄の資産、土地が売却されてきたのです。新橋、汐留貨物用地はその目玉だったのですが、虎の子の用地の処分も大した収入にはならず、救済のために大量の税金が投入されることになり、今でも多額の税金の投入が進められています。

 JRの利益優先の事業、負担するだけの沼津市民
 鉄道高架事業は、もちろん必要です。鉄道と道路の平面交差が自動車交通の円滑な交通機能を阻害しており、とりわけ鉄道網が密である大都市においては、都市計画の視点からも鉄道高架化の必要性は大きかったのですが、その底流には、当時の旧国鉄救済の要請から、鉄道高架事業の資金については極力、道路側の国、自治体が持つことが求められていました。運輸省と建設省の協議は、それを具体化したものであり、旧国鉄救済、支援が重要な国策であったのです。
 鉄道線路を高架化しても、線路の利用効率が上がるわけでもなく、鉄道高架事業にJR側のメリットが少ない地方都市の事業には、その費用の九五%を、自治体、道路側が持つことで事業が進められてきました。
 JRとしても、新たな投資先がなくなり、有能な技術者、土木建築の専門家が働く場所をなくしていたことから、彼らに働き場所を用意することもJR当局の経営上必要であったと思います。鉄道高架事業は絶好の働き場所になりました。その費用の大部分を道路側の国、自治体が負担するのであり、JRは自らの負担なしで職員の雇用を続けることができます。
 さらに、貨物駅や操車場のような資産の有効活用が自治体の負担で進められる。原地区の貨物駅では、貨物利用量をこれまでの一四万トンから新規に四〇万トンへ拡大するなど資産の効率化が自治体の負担で進み、経営上は絶好のチャンスと言わざるを得ないのです。
 このような流れからも鉄道高架事業について、その費用は道路側の国、自治体が負担する仕組みが、極力JRのメリットを確保する方向で進められてきたのです。しかし、時はたちました。当時の旧国鉄は姿を消し、JR算も向上し、経営は大きく改善されています。しかし、地方自治体は経済の低迷、経済構造の変化から、毎年、財政は悪化の道をたどり、財政再建が極めて重要な課題になっています。とてもJRを救済するどころではないでしょう。
 今になっては、おんぶに抱っこの形で計画に参加したと内心、忸怩(じくじ)たる思いでいるJR当局は、前面に出て説明をしたがりません。市民に接することを、あえて避けているといっていいでしょう。
 鉄道高架事業の運用方法を決め、都市計画事業を認可する国土交通省(旧建設省)、静岡県当局も、明確な説明を避けざるを得ないのです。

 最大の問題、経済財政からの実行可能性の欠落
 最大の問題は、日本の経済社会に大変動が迫っている中で、これだけの大型事業を実施するだけの財政的基盤、施行能力が、国にも、静岡県にも、沼津市にも、今あるかどうかです。
 人口二十万人の都市に全体事業で二千億円の新規の投資をすることは、市民一人当たり百万円の規模であり、人口三百七十万人の静岡県にとっては三・七兆円、千二百万人の東京都なら十二兆円、一億二千万万人の日本全体では百二十兆円の新規の公共事業を実施するのと同じことなのです。とてもできる規模だとは思えません。
 有識者会議では、肝心の経済財政の論議はされておらず、むしろ、あえて避けてきた嫌いがあります。なんのための、誰のための事業なのか、誰が費用をどう負担し、誰がどう利益を受けるのか、そもそもその仕組みが十全に機能するのかどうかを、有識者会議で論議する必要があったはずです。その答えは残念ながら出ていません。
 そこで私なりに、有識者会議で論じられなかった問題点を改めて考え、どう対処すべきかを示してみたいのです。
【沼朝平成23年7月20日(水)号】
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