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鉄道高架は誰かが裸の王様だと言えば終わる話

鉄道高架は誰かが裸の王様だと言えば終わる話

 大きいことはいいことだという高度経済成長の時代に計画された人口20万人の都市には破天荒の規模の箱もの事業、2000億円の費用、20年の年月を要する公共事業の「沼津駅周辺鉄道高架事業」は今になっても、川勝知事も栗原市長も何も決められず、20余年も只店晒しのまま、紛争の種になって市政の混迷が続いている。元々馬鹿げた事業、何のためになるのか分からない箱もの事業で、公共事業として市民がその費用を負担しても、作られる施設は高架橋梁、新貨物駅、新操車場などさして利用価値があるとは思えないJRの施設ばかり、市民の利益は20年先に交通事情が改善されるかもしれないというメリットだけ、今の時期、市民には何の恩恵のないそんな事業を、衰退する沼津を再生する事業だという大義名分を掲げて、将来の子供や孫のためにもやるべき事業であり、経済財政事情からも実現できる事業だと、ほんとに心からそう思っている人は、川勝知事、栗原市長のみならず、おそらく市民の誰にもいないであろう、いたとすればよほどの理解力に欠ける馬鹿者だし、本心ではそう思っていないのに、しがらみや立場上でそういうならば、いかさまペテン師、詐欺師の類の話だと思われても仕方なかろう。沼津駅周辺鉄道高架事業は嘘だと分かっていても誰も正直に嘘だと言えないイソップ物語の裸の王様であり、誰かが正直に鉄道高架、王様は裸だといえば、それで話は終わるのだ。

 行政は結論の先伸ばしのためなのか、専門家、有識者の客観的な評価を経る、市民との対話を図るという建前で、有識者会議やPI委員会での論議を続けてきており、曖昧模糊としているが、一応その結論も出て、今は政治、行政が決断する段階にあるに係わらず、いまだに、どうするのか決められず、不透明な空気が消えていない。今こそ、市民の間にいらぬ不協和音を生み、20数年続いてきた無責任、無意味な論議の収束を図る時である。この時こそ、本来鉄道高架事業に利害損得のない立場にいるリーダーの政治的力量が発揮されてしかるべきで、後始末の損な役をさせられるだけの川勝知事と栗原市長は、過去のしらがみに囚われて、優柔不断にただ先伸ばしを図り、その責任を県だの市だのと互いに押し付け合うのではなく、相互に真剣に本音を話し合い、如何に結論したら県民、市民の利益になるのかを二人の判断、評価として県民、市民に表明すべきではないのか。それをするのがリーダーの責任というものである。

 川勝知事からは、時代の大きな変革の中で自治体の置かれている経済財政事情の現状、施策の方向を語り、栗原市長からは東部地区の一体化、街づくりの道筋を語り、その中で鉄道高架事業をどう具体的に見直していくのかを示すことであり、あるいは、なお推進するというのであれば、その可能性、市民の負担、取るべき政策を明確にして、川勝知事、栗原市長が二人そろって、政治、行政の方向を県民、市民に明確に示し、説明してしかるべきであろう。確かに判断に当たっては、過去の経緯から国、県、市、JRの間の利害損得の調整、財政損失の処理、行政政治の責任など様々な課題が山積しているであろうが、もはや無責任に先伸ばしを続けて、責任を回避することは、できはしない。さらに、ことに当たってきた県、市の役人、専門家も、プロとしての識見を発言すべきであり、市議会も逃げ腰で、だんまりを決め込んで目をつぶることなく、自らの判断をしっかり論議することであり、沼津市民も他人事だと只傍観しているのではなく、自らの問題として積極的に意思を表明することである。今こそ、沼津市民の市民意識の高さ、政治行政の責任感の強さ、民主主義、地方自治の在り方が強く問われる時である。沼津の街を愛する元沼津市民として、一言申し上げたい。

   2014.7.14    長谷川 徳之輔  明海大学名誉教授
               沼津出身、元建設省勤務、社会工学専門
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故郷沼津への誇りと自信を取り戻そう

2014.6.29

                     明海大学名誉教授  長谷川 徳之輔

鉄道高架を超えて、故郷沼津への誇りと自信を取り戻そう

1 聴くに忍びない沼津の衰退、落日ぶり

 かって、沼津の地は知名度の高い東海道の雄都、自然環境に恵まれ、農工商住・教育文化にバランスの取れ、誰からもがいい街だと評価されていた町であった、それが今、人口は減少、経済は低迷し、三島の郊外の名のない衰退した地方都市のイメージの街だと思われている。静岡県の3都市、浜松、静岡、沼津は、遠江、駿河、伊豆の3国の地にあり、市民性、気質の違いから、世評では、犯罪者に例えるなら、浜松は強盗、静岡は詐欺、沼津は乞食だと、浜松のパワー、静岡の知性に比べて沼津は何事にも他人頼りの消極的な街だと揶揄されてもいるようだ。残念ながら合併も刷新も進まない、沼津の立ち遅れ、退嬰的な市民性、何事にも2番煎じ、3番煎じ、鉄道高架も浜松、静岡の次が沼津の番という言う負け犬根性から始まったのかもしれない。

 このような沼津への市民の嘆き、落胆の声が聞こえるが、何時までも市民意識を分断している鉄道高架に拘泥しているのではなく、沼津の再生のために、もっとほかの道を探るべきであり、どうしたら沼津市民の故郷、沼津への誇りと自信を取り戻すことができるのか、岡目八目かもしれないが、元沼津人として考えてみよう。

面積   人口    人口密度     東京から  運賃 

浜松     1558㎢    80万人   513人/㎢    120分   7770円 

静岡     1412㎢    72万人   506人/㎢    90分   5800円

沼津      187㎢    20万人  1070人/㎢    60分   4000円

周辺5市町   350㎢    43万人  1214人/㎢    60分   4000円

沼津の人口は減少し、都市機能が周辺へ拡大しても、周辺5市町で観ば、なお成長の過程にある。沼津、三島、長泉、清水、函南の5市町は、市街地が連担し、地理的にも、経済社会的にも、生活圏でも、一体とした街であり、一体として機能すれば悠々浜松、静岡を凌駕する自治体であるが、行政区分の分断と市民意識の立ち遅れが、地域の成長を阻んでいる。現実には、新幹線三島駅を中心に、東駿河湾環状道路が、この地域の一体性を形成しており、東海圏より、東京圏、首都圏との一体化、西の拠点としての機能が強い地域である。交通では、東京へは浜松に比べて、時間半分、交通費半分の日常生活圏であり、新幹線通勤圏がいっそう強まる。

2  沼津と三島、双子都市、姉妹都市でも微妙な格差意識

 沼津は駿河の国の辺境の地、三島は伊豆の国の国府、府中であり、別の国、国堺は清水町の境川、天領と小藩、国府と辺境、直参と陪臣、大社と神社、微妙な格差が生んだ地域意識がある。交通が生んだ格差の転変、明治22年の東海道線開業、沼津を交通の拠点、沼津機関区、お召列車の停車する1等駅、最高のリゾートとしての沼津御用邸の権威、沼津中学の教育が沼津の中心性を作り、伊豆駿河の生活、経済の拠点都市の成長へ向かい、他方、三島は鉄道から見放され、宿場町を転落、昭和8年丹奈トンネルが開通し、富士山を形どった新駅が生まれるが、沼津に追いつかず。ずっと従属的だった、沼津へ通勤し、通学するという格差が三島人の自負心を痛めていた。

 昭和39年東海道新幹線の開業で事態は逆転する、三島に駅が作られ、沼津を通過する、沼津機関区は廃止され、交通の拠点性を失い、駿河湾の環境悪化で沼津御用邸は下田に転出し、沼津中学、沼津東高は、学区制からも伊豆駿河の中心性を失う、交通、権威、教育、文化の機能が薄れ、教育、医療、商業、文化の都市機能は次第に駅北方面、愛鷹方面、周辺都市に移り、マイカー、車社会の到来で中心市街地は繁栄を喪失し、沈滞化して、人口は減少、若年層は周辺へ向かっていく。工業機能は減少し、経済商業活動も停滞し、シャッター街が日常化して、中心市街地の衰退がますます強まっている。古き沼津への誇りと自信が失われていく。しかし、周辺5市町を単位にすれば、この地域はなお人口は増加し、成長の過程にあり、医療、教育、文化、工業などの都市機能の分散、分担が進んでいる、沼津は衰退したのではなく、都市の成長に伴い、その機能を周辺に分散、拡大しているとみることも出来よう。

3 5市町一体的な都市、海山川の自然、最高の景観、スイタリアとも言える街

 愛鷹山からも、箱根山からも、香貫山からも、この都市を見下ろした時、日本一、いや世界一の自然環境・都市環境に恵まれた街の姿が一望できる。牛臥山の小さな丘陵から伊豆の山々、箱根山連山、愛鷹山につらなる山稜が一望され、平野に清流の狩野川が北流して、駿河湾に注ぐ、市街地の向こうには群青の駿河湾が広がる、そして、その背後に富士山の雄姿がそびえ立っている、最大のインフラの2本の高速道路と新幹線が北の丘陵を走っている。

 高さ3776メートルの富士山から深さ2500メートル余りの駿河湾まで、高低差6000メートルの自然が一目で展望できるのだ、6000メートルの高低差の生む四季の自然、食材の豊かさ、山海のグルメ、山登り、スキーからヨット、ダイビングまで、この地域で一挙一刻に手にできる。このような豊かな自然に恵まれた地域は、日本はおろか世界にもなかろう、スイスはアルプスの山だけ、イタリアナポリは地中海の海だけだ、この地は6000メートルの高低差のある自然が目の前にあるのだ、言ってみれば、この地域は最高のリゾート地、スイスもイタリアの合わせたスイタリアとも言ってよかろう。この地域にスイタリアの評価を定着させたいものだ。

4 沼津アルプスと沼津リビエラ、皇室御愛用の景勝地なのだ。

 先日のニュース、皇孫妃の愛子さまが駿河湾の海を称賛されていた、皇太子さまは、沼津アルプスを縦走されたということである、いや散策されたのかもしれないが、皇室の親子がそろって沼津の自然を愉しまれて、称賛されたとのこと、沼津の海山川の自然が、皇室御愛用の地と評価されたと見てよかろう。お二人が愉しまれた沼津アルプス、沼津リビエラの方がバラバラに集めた沼津百景よりずっとインパクトが強かろう。沼津御用邸の威光はまだ残っている。海には名称がないが、沼津アルプスに合わせて、とりあえず沼津リビエラ海岸とでもしておこう。

 沼津のイメージづくりに、皇室の権威に便乗する折角の好機である、沼津アルプス、沼津リビエラに関する興味深く洒落た情報を、グルメや温泉案内も含めて、地図、写真、映画、パンフ、観光案内などにして旅行社、マスコミ、商工会議所、外国大使館など広く世の中に知らせることにしたらどうだろうか。海の日に加えて山の日も、国民の祝日になっている、東京の高尾山は外国観光客に超有名な名所だそうだ、うまく演出すれば、この地はグルメも温泉も愉しめる東京近郊の一日周遊圏として、山の沼津アルプスも海の沼津リビエラも超、超有名な名所になれるかもしれない。

5 芙蓉市、ふよう市、FUYOU・CITYの奨め

 あらゆる意味で一体的なこの地域が、何故合併も一体化もしないのか、残念ながら、この地域には、その気運に乏しく、地域の小事の利害に拘泥し、リーダーシップの欠落から、この地域の市民生活や経済社会活動に対応する地方自治体が形成されていない。政令指定都市になった浜松、静岡との地域格差は、ますます拡大している。たとえ5つの市町が合併して、単独の都市になったとしても、合併後の自治体の名称をどうするのか、沼津市にしろ、三島市にしろ、そう簡単に合意されないし、伊豆市にしても駿河市にしても、歴史的な利害は収まらない。伊豆市も、富士市も、既に存在している。一体化へは、地域住民に一体感をもたらす新しい地名を市民が一体となった論議することから始めたらいい。

 この地域にふさわしい名称は何をさておいても、富士山をイメージするものだが、富士山には富士市も、富士宮市もあり、富士は使えない。しかし、富士山には、不二とか別名があり、古来からの名称に「芙蓉」という表現がある。芙蓉とは楊貴妃の美しさを連想させる蓮の花の一種で、何故富士山を芙蓉の峰というのか、神秘的で美しい山、峰ということから言われたらしい。芙蓉こそこの地域にふさわしい名称であり、両市民から共通の評価を受けられよう。新しい都市の名称は、「芙蓉市、ふよう市、FUYOU CITY」としたらどうなのか。こんな地名を話題にして、この地域の将来を市民に語ってもらいたいものである。その前に、もっと簡単な一体化の方策もある、新幹線の駅名を三島沼津駅に、東名高速道路の沼津インターを沼津三島インターに、新東名の長泉沼津インターを東駿河湾インターに改称してみることも考えたらいい。

6 沼津駅周辺鉄道高架事業の終焉への川勝知事、栗原市長のリーダーシップこそ

 大きいことはいいことだという高度経済成長時代に計画された、2000億円の費用、20年の歳月を要する箱もの公共事業の沼津駅周辺鉄道高架事業、20年余りも棚ざらしであり、その費用を沼津市民が負担しても、作られる施設は高架橋梁、貨物駅、操車場とJRの施設ばかり、今の時期、市民にはその恩恵が何もない箱もの事業を、沼津の再生のためだとの大義名分で、未来のためにやるべき事業だ、経済財政事情から実現できる事業だと、ほんとに心から思っている人は、恐らく誰もいないであろう、いたとしたら、よほどの理解力欠けた馬鹿者だし、そう思っていないのに立場上でそういうならいかさまペテン師、詐欺師の類と思われても仕方がなかろう。沼津駅周辺鉄道高架は、イソップ物語に言う裸の王様である。誰かが王様は裸だと言えば、それで終わりなのだ。

 今こそ、市民の間にいらぬ不協和音を招き、20数年も続いてきた鉄道高架事業の無責任、無意味な論議の収束を図る時である。この時にこそ、事業に利害損得のない地域のリーダーの政治的力量が発揮されてしかるべきであろう。後始末をさせられるだけの立場の川勝知事と栗原市長は、その責任を互いに転嫁し合うのではなく、相互に話し合い、如何に結論したら県民、市民の利益になるのかの方策を二人の意見として表明すべきではないのか。

 川勝知事には、時代の変革の元で、経済財政事情から地方自治体の置かれている現状、施策の方向を語り、栗原市長には、東部地区の一体化、街づくりの方向への道筋を語り、その中で、懸案の沼津駅周辺鉄道高架事業をどう見直していくのか、知事、市長がそろって、政治、行政としての方向を県民、市民に説明し、明示して欲しいものである。確かに、国、県、市の間の損得利害の調整、失われた財政損失の処理、行政当局の責任など解決には様々な問題が山積していると思われるが、もはや無責任に先伸ばしを続けて、解決を回避することはできまい。沼津市民も只他人事として傍観するのではなく、自らの問題として、その解決に意を払うべきであり、市議会でも逃げずにしっかり議論してしかるべきである。それが行政、政治の責任である。今こそ、沼津市の市民意識、民主主義、地方自治の在り方が強く問われる時である。


もう一度終焉を迎えている 鉄道高架事業の本質を語りたい

「もう一度終焉を迎えている
 鉄道高架事業の本質を語りたい」
 上 長谷川徳之輔
 ばかかペテン師かこの二十数年、四半世紀もの間、沼津市民の間の不毛の諭争、争いの種であった沼津駅鉄道高架事業も実質的には終焉の時を迎えているようである。
 先日の沼津駅の高架化を実現する市民の会でも、発言は後ろ向き(及び腰であり、推進しようという勢いは見られず、沼津市議会の論議も数年前とは大違いで、議会での質疑は意図的に避けられて、話題にする様子すらなく、選挙の争点にもならない。正直、誰もが、黙って顔を見合わせ「様子見をしているだけのようである。
 今の時期に、二〇〇〇億円、十五年をかけて東海道線と御殿場線の数キロの区間を高架化する事業が、沼津市の衰退を解消し、再生を図るために、ぜひともやるべき事業であり、財政的にも心配はなく、沼津市には推進する実力があると、本当に、心からそう思っているとしたら、よほどの理解力の欠落した、大ばか者だと思うし、本心ではそう思っていないのに、建前上でそう思うというのであれば、いかさまペテン師、詐欺師と言われても仕方あるまいとも思う。ばか者だのペテン師だの言い方は品がないが、昨今の行政や政治の曖昧な姿勢に、正直、誰でもが、そう感じているであろう。
 無視された中立、理性的な主張 
私も、沼津市民でもないのに、この問題にかかわって、十年以上たつ。二十年くらい昔、建設省に在籍したころ、沼津市に誘われて、都市計画について、当時の沼津軒の屋上から駅の周辺を眺めて意見を交換したこともあった。
 建設省を辞めて、大学に転じた頃、沼津市長は、高校、建設省の後輩の桜田光雄さん、彼から計画の話をうかがったこともあるし、市長が斎藤衛さんに変わった時も、意見を伝えた記憶がある。
 その後、斎藤さんと桜田さんが、鉄道高架を巡る対立で市長選挙を争った時、なぜ計画を作った桜田さんが見直しを言い、見直すことで引き受けた斎藤さんが推進だというのか不可思議だった。結果は、ほぼ同数の票で、推進と見直しに決着がついたわけではなく、桜田さんも斎藤さんも行政のプロだし、役所や故郷の先輩として、二人によく話し合って市民にとって最良の計画を考えたらどうかと提言したが、二人とも耳を貸さなかった。
 残念だと思い、その後は一市民として、一専門家として、その知識、経験から鉄道高架事業について、問題点の指摘や意見や提案をマスメディアや目分のブログに掲載し、自費で出版物まで作って、行政や市民への啓発を続けてきた。誰に頼まれたのでもなく、利害損得の全くない立場で、その本質を問う中立的、理性的な言動を続けてきたものと思っている。
 鉄道高架事業が、理論的、理性的に論争されずに、リコール運動などの政治闘争の手段となっていることで市民を批判したこともあった。多くの市民からの理解、賛同の声はあっても、行政も、政治も、いまだにその反応は乏しい。賛成にしろ、反対にしろ、行政も政治も何も言ってこないし、間違いがあったなら質すこともしない。ただ、論争を避けるために、無視して、さわらぬ神にたたりなしという消極的な姿勢しか見せてくれない。
 せっかくの私の本も市会議員さんからまとめて送り返されてきたのにはびっくりした。正論で、反論できないから黙っているのも、仕方なかろうと思うしかない。
 そんな十数年も過ぎ去った。今、終焉を迎えているこの問題に最後の主張をしたい。もう一度肉上品ではないが、思うところ正直に、露骨に、意地汚く語ってみたいので
ある。
 数字で鉄道高架事粟の本質を間う 
もう一度、鉄道高架事業の本質を、もっと易しく、数字で説明してみよう。沼津市の資料によると、沼津市の中心市街地の衰退は、東海道線、御殿場線が南北に市街地を分断しているからであり、分断を解消するには、鉄道線路をカサ上げして、高架にする、これによって沼津の衰退は解決するという話である。
 JR東海道本線3・7㌔、御殿場線1・6㌔を高架にする鉄道高架事業を中心に関連する六本の公共事業を策定した沼津駅周辺総合整備事業の全体事業費は、鉄道高架事業が七八七億円、高架関連冨業が四四五億円など全体で一九九八億円で、これまでに五四〇億円を使い、箱モノのイーラdeやコンベンション施設は完成したが、肝心の鉄道高架事業には手が付かず、全く進んでいない。
 全てこれからの事業で、その額は一四五八億円と計算され、どういう計算なのか不明だが、この事業費のうち沼津市の負担は五〇三億円、残りのおよそ一〇〇〇億円は国や県が補助し、負担するということである。
 もともと鉄道高架事業は旧国鉄への経営救済の事業でもあり、事業で生まれる施設は全てJRの資産であるにもかかわらず、JRは僅かな費用しか負担しない。大部分の費用を自治体が負担するにもかかわらず、市民の利益は、あるのかないのかも、よく分からない二十年先の南北の自動車交通の便が良くなるかもしれないということであり、市民にとっては、まことに、何のためなのか分からない、間尺に合わない事業である。
(明海大学名誉教授、東京都目黒区)
《沼朝平成25年7月18日(木)号》


「もう一度終焉を迎えている
 鉄道高架事業の本質を語りたい」
 中 長谷川徳之輔
 人口一人当たり一〇〇万円、破天荒な投資規模
 そもそも、人口二〇万人の中小都市が二、○○○億円もの箱もの事業を実施できるのかどうか、その規模が財政面から見て現実的かどうかである。大きいことはいいことだ、何でもありのバブルの時代の悪しき遺産であり、今見れば破天荒の規模である。
 二、○○○億円の投資額は、二〇万人の人口では、子どもまで含めて一人あたりの金額は一〇〇万円、世帯あたりの額は年収の三、四百万円にも相当する規模である。これをやれるとすると、人口三七〇万人の静岡県では三・七兆円、人口一億二、六〇〇万人の全国では、一二六兆円もの新規事業を進めることに等しいのではないのだろうか。
 あの東日本大震災の復興事業費一六兆円さえ、財源調達に無理をした予算規模である。人口二〇万人の都市に二、○○○億円もの新規投資は不可能であり、分不相応な投資規模だと言わざるを得ない。
 これからの事業費が一、四五八億円でも、なんとかやれるという理由として、億円を万円単位に替え、この鉄道高架事業を、家庭が住宅を新築する仕組みに例えて、こう説明されている。
 二、○○○万円の新築費に対して、収入は七〇〇万円あり、親からの遺産や補助が一、五〇〇万円あるので、自分の負担は五〇〇万円に過ぎず、七〇〇万円の収入で借金を返せるから大丈夫。だということらしいが、そんな説明で市民が納得し、話が通るものだろうか。そもそも、極度に悪化した財政難を抱えた、親だという国や県の遺産や補助が当てになるはずもない。本当に新築する気なら、その分も自分が負担する覚悟が必要なのだ。
 なけなしの収入七〇〇万円は年々減り続け、今の生活を賄うのにさえ十分ではなく、毎年借金を重ねている始末であり、鉄道高架の巨額の借金の返済に回せる余裕は全くない。おまけに過去の負債が一、三〇〇万円も残っている。
 とすると、二、○○○万円の住宅を新築するためには、過去の借金も含めて三、三〇〇万円もの負債を抱え、それを別会計で、その負債を、収入が増えない次の世代が背負っていくことになる。
 金利すら大変だ、元金が返せるはずがない。財政のフィージビリティー(可能性、実現性)をどう説明するのかが肝心であり、鉄道高架問題の根源はここにあるのだ。
 沿線人口一〇〇〇万人、どこの都市に連続立体があるのか東京駅から沼津駅まで一二九㌔、東海道線は都心の新橋駅を過ぎれば、道路と鉄道の平面交差が続き、どこにも連続立体などは見当たらない。新橋を過ぎて、品川駅まで一〇㌔あまりの区間は巨大な車両基地と鉄道線路で分断されて、横断する道路も見当たらない。陸と海岸とが完全に分断されている。
 品川から蒲田を過ぎて多摩川の河原まで大都会の真ん中でありながら、一〇㌔の区間に延々と平面交差の線路が続いて、自動車の横断はままならず、まともな道路は環状七号線と八号線だけしかなく、南北を横断するのに一㌔も、二㌔も迂回せざるを得ない。
 川崎駅も横浜駅も全く同じ。鉄道を潜る道路が、ようやく両サイドを結んでいる。品川駅では、巨大な駅中の歩行者だけの横断橋が南北を結んでいるだけである。どこにも、連続立体の姿はない。
 藤沢駅、平塚駅、小田原駅と、沼津市より人口が多い都市のどこの駅にも連続立体交差は見当たらない。なぜ沼津駅だけに鉄道高架が必要なのか。
 一時間に四本しか通過しない御殿場線に高架が必要か東京駅から沼津駅まで一二九㌔の沿線の人口は、東京駅南西区部二一一〇万人、川崎市一四三万人、横浜市三七〇万人と並び、全体で一、○○○万人に近い市民が生活している、当然に沿線の経済活動も、交通量も沼津市の人口二〇万人に比して、はるかに大きいにもかかわらず、連続立体はどこにも造られていない。
 蒲田駅周辺の鉄道交通量は一時間当たり、京浜東北線は四分間隔で上下三〇本、東海道線は八分間隔で上下一五本、合わせて四五本の列車が通過する。一本一〇画編成で時間当たり四五〇両の車両が通過するのであり、まさに開かずの踏切の連続である。
 他方、沼津周辺の鉄道交通を見ると、御殿場線は一時間二本の列車で、上下で四本、三両編成だから一時間に通過する車両は一二両に過ぎず、踏切はほとんど開いている。東海道線にしても、せいぜい五〇両程度であろう。交通密度に四五〇両対一二両と三八倍もの格差のある線路で、なぜ密度が極端に低い御殿場線を高架にする実益があるのか、誰しも疑問に思うはずである。
(明海大学名誉教授、東京都目黒区)
《沼朝平成25年7月19日(金)号》


「もう一度終焉を迎えている
 鉄道高架事業の本質を語りたい」
 下 長谷川徳之輔
 鉄道高架にホントにメリットはあるのか、JRだってお荷物に連続立体は、やっと完成したJR中央線や今なお建設途上にある小田急線のように、道路と鉄道の間の交通の効率化、安全の確保だけでなく、鉄道側には、運行時間の短縮や交通量の増加など経営上のメリットがあってしかるべきだが、沼津駅周辺の連続立体にその効果は全く期待できないし、JRの収入は増えるどころか、新しい設備の減価償却もかさみ、収益は増えるどころではなく、損ばかりで、メリットに乏しい。
 ただ、当面の鉄道高架の工事費が自治体の負担で、それが大半、JRの施設のために回るという短期の利益だけがメリットなのであろう。
 金行政や市民が考えなければならないことは、沼津駅周辺の鉄道高架事業は本当にメリットのある事業なのか、誰にとって、どのようなメリットがあるのかを明確にすることである。
 南北交通の円滑化という、遠い先の、不鮮明なメリットだけで巨額の負担を強いられる沼津市、沼津市民の立場が一番に不運だし、自治体の負担で鉄道高架のために不必要な貨物駅の移転や車両基地の整備などを進め、新しい設備にしたところで、JRの経営に役にたつのかどうかも分からない。
 今の時期、地方都市における効果の薄い鉄道高架事業が、本当にやるべき国策であるのか、公共事業による自治体や市民への利益は何なのか、鉄道サイドに本当の経営上のメリットがあるのか、もう一度考えることである。
 よく見れば、鉄道高架事業は、他にやるべき事業を失わせる二、○○○億円の壮大な無駄遣いだと評価せざるを得ない。
 行政、政治の無責任体制、存在意義を示せ今は、行政も政治も、経済社会の激変を前にして事態の変化に戸惑い、動けない状況にいるようだ。本来の貨物駅移転の事業主体は沼津市であり、静岡県は高みの見物であったのだろうが、土地収用法の規制から事業主体にさせられて戸惑い、有識者会議やPI委員会に討議を委ねて結論を先延ばしにし、時間稼ぎをしている。
 本来の事業主体の沼津市は、これ幸いと静岡県に責任を転嫁し、自分が事業主体であることも忘れて、PI委員会への参加もせずに知らん顔を決め込んでいる。国やJRは、全く関心を示していないだろう。
 沼津市長も静岡県知事も、責任者としての対応もなく、曖昧な発言しかしていない。誰も火中のクリを拾おうとしない、こんな状況がだらだらと続いていくとしたら、市民の不利益、負担は増すばかりである。 このまま無責任体制を決め込んで、もたもたしていたら、国や県からは、やるか止めるかは沼津市、沼津市民の決めることだと見放され、放置されるだけ、助けてはくれまい。
 周辺の自治体からは、沼津の借金のツケを回されないで済むと安堵され、沼津の馬鹿さ加減が嘲笑されるだけだし、沼津主導の合併など論外だ。沼津市民にしても、街がますます衰退すると、周辺へ逃げ出したくもなるだろう。JRから苦言が出ないとも限らない。解決を延ばしていいことはないのだ。
 今、肝心なことは、沼津市、沼津市民が自ら、時代の激変や沼津の置かれた環境、条件を素直に理解し、如何にして事態を円滑に転換させるのか、南北自由通路でも、人工地盤でも、鉄道高架に代わるべき対案を打ち出すことであり、再検討のリーダシップをとることではないのか。
 もう放置する時間もないし、無駄に時間を費やすことは、沼津市民のマイナスを増やすだけである。今こそ、逃げていてはいけない。行政、政治がリーダーシップを発揮する時だし、それが栗原裕康市長らの行政、市会議員達の政治の責任ではないのか。(おわり)
(明海大学名誉教授、東京都目黒区)
《沼朝平成25年7月20日(土)号》

「同文同種の国の歴史論、文化文明の発露として語ろう」

「同文同種の国の歴史論、文化文明の発露として語ろう」 長谷川徳之輔
 またも歴史問題で、日本人の心が揺れている。タレントとしての人気、ポピュリズムの風潮の中で生まれた若輩の地方政治家の従軍慰安婦を語る片言隻句に、世界中のメディアも知識人も、これぞ日本問題という批判の声を上げているが、日本の中でも、女性への蔑視だという感情的な倫理問題で論じられる向きが多い。
 この声は一政治家への批判中傷ではなく、日本の歴史、文化、社会、日本人の存在への根深い国際的なわだかまり、非難中傷の見方をも表していると考えなければなるまい。
 従軍慰安婦という言葉の論議より、このような不条理な問題が、なぜ国際的な話題になるか、批判中傷されるのか、本質的な論議を避けてはなるまい。
 世界の五大国の一人、唯一の非白人国家だと夜郎自大の意識でいた日本人は、一九四五年の敗戦で、その誇りも、自信も砕かれて、飢餓の境、貧困の淵に陥った。
 しかし、幸運なことに二十世紀後半の国際情勢、アメリカ追随の恩恵を受け、平和憲法を極意にして経済活動に励み、飢餓の境から暖衣飽食の果てに、極貧の国から世界一の経済大国にまで上り詰める奇跡を生んできた。
 今や、飢える人も凍える人もいない、繁栄を謳歌し、言論や政治の自由は確保されて、基本的人権は保障され、自由を侵されることはない。教育は普及し、科学技術も進み、ノーベル賞も授与され、映画や音楽の芸術にも日本の文化、日本人の存在は際立っている。
 とりわけ六十数年、戦争という、人類の業病とは無縁の存在として平和を維持してきて、日本人の大部分が戦争の悲劇を実感できない、幸いな存在である。世界で唯一、最高の文明国、平和国家になった、と日本人は思っているのだろう。再び「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だという夜郎自大の意識を取り戻したのかもしれない。憲法改正問題も根本には、日本人が、この半世紀の日本をどう見るのかということにあろう。
 しかし我々は、その中には、世界各国に、日本や日本人への羨望と嫉妬、尊敬と軽侮が入り混じった複雑な感情が生まれてきたのに気付いていなかった。とりわけ同文同種の国、アジアの歴史・文化文明を共有する中国、韓国には、日本が成長すればするほど、逆に「反日本」「日本は何するもの」という国民感情が日ごとに強くなっていったのかもしれない。
 世界の大きな歴史、文化文明の流れから見れば、近代の二百年間は、十九世紀は産業革命、政治革命を経た帝国主義の、欧州主流の時代。二十世紀は世界戦争とイデオロギーの対立、経済発展が続いたアメリカ、日本の経済ヘゲモニーの時代。そして二十一世紀は遅れてきた、かつて文明国であった中国やインドなどの復権の時代なのかもしれない。
 しかし、世界には、未だに産業革命も、政治改革も経ていない中世のままの国が、アラブ、アフリカには、たくさん残っている。北朝鮮もそうで、欧州が中世以降に経験した宗教改革すら済んでいない国に、二十一世紀の論理、システムが通じるのかどうかは疑問であり、心もとない情勢にある。
 日本や日本人の文化、歴史を語る時は、このような日本の国際的位置を認識し、今は、繁栄から衰退・成熟への転換点にあり、二十世紀のイギリスが経てきたように、成熟安定した文化・文明国になる運命に置かれていることを覚悟しなければなるまい。
 従軍慰安婦などの歴史の一局面を断片的に捉え、ナショナリズムから他国を批判中傷する動きに対して、いたずらにナショナリズムによる弁護言いわけを言い立てるのでは、感情的なナショナリズムを、さらに煽るだけで、大国同士が相互に理解し合うことにはならない。
 韓国も中国も知性ある市民には、世界の歴史の流れ、日本の文化文明、日本人への理解が十分に存在しているだろう。政治が、一時の国際的なヘゲモニー争い、対立の中で、意図して、戦略的に、理解を超えた中傷非難の行動を取っているのだと、日本も、日本人もその動きを冷静に理解しなければなるまい。
 問題は、二つの文明国が、なぜ、そういう行動を取るかである。尖閣、竹島の国境問題のみならず、歴史をたどれば、中国、韓国、日本の歴史には、旧満州(現中国東北部)、琉球、台湾、日清、日露の戦争、ついには元冠や遣唐使、仏教儒教の普及、卑弥呼の時代にまで遡ることになろう。
 その昔、韓国は中国の属国、日本は朝貢国であった事実は否めない。それだけアジアの三力国の文化と歴史は豊かであり、互いに誇りと自負を持って然るべきであり、互いの歴史は、歴史として、文化論、文明論として、語り合い、理解し合うことが肝心であろう。
 短絡的なナショナリズムに便乗して非難中傷し合い、国際的な政治活動の道具にするのは、長い歴史文化を誇り、共有する文明国の在り方ではあるまい。
 まずは、歴史は文化・文明の話として、日本から、日本人から、ナショナリズムから離れて、互いの歴史を文化・文明論として語り、伝えようとする大人の姿勢を示して然るべきではなかろうか。結果は文明世界の常識に依存するしかない。
(明海大学名誉教授、東京都目黒区)
《沼朝平成25年6月2日(日)号投稿記事》

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