Q4
市民の声は反映してきたのか?
A4
①市民は鉄道高架化事業をどのくらい理解しているか
今では,市民全員が鉄道高架化事業の何であるかを知っていますが,この超巨大な公共事業はどうして生まれ,どうして,一つの方向になってきたのでしょうか。事業化の過程で市民の声はどう反映したのでしょうか。振り返ってみましょう。
1)自らの力量を知らない「夜郎自大」の三大中心都市意識
始まったのは,昭和60年,1985年,高度経済成長に影がさして,バブル経済が頭をもたげた頃であり,70年代の石油危機を脱して,再び日本経済が力強く躍動すると思われ,金融緩和,地価・株価の異常な上昇で,経済成長が永久に続くと錯覚された時でありました。国際公約から公共事業の拡大が国家的課題になった時代で,どこの都市でも大きな公共事業に奔走する機運がみなぎっていました。静岡市,浜松市の次の拠点都市を自負する沼津市も,静岡市,浜松市に続いて,鉄道高架化事業を導入しようとしたのも,当時では当然の空気だったのです。まさに「夜郎自大」(古代中国の漢時代の言葉)とはこのことをいうのでしょう。
2)バブル経済期みんなで決めた事業計画
昭和62年,1987年,「沼津駅周辺総合整備計画調査委員会」が設置されて,国や県の応援も受けて,専門家や中央官庁の役人の参加を得て,事前調査に着手しました。思い返してみると,私も研究会の一員として,沼津へやってきて,沼津軒の屋上から沼津
駅を見ながら,"なんだかんだ"と論議したことを思い出しました。翌年,昭和63年,1988年に沼津市議会にも「鉄道高架化促進対策特別委員会」が設置されて,同時に,この建設費を積み立てる「沼津駅周辺総合整備基金」が設置されました。さらに沼津駅の高架化を実現する市民の会がスタートし,16万人の署名を集めて静岡県,建設省に鉄道高架化の実現を陳情したのです。確かに,「それ行けドンドン」の,バブル経済の最盛期であり,財政的にも,都市計画でも,この事業の推進に,誰も疑問を持つこともありませんでした。今になれば鉄道高架化事業にさまざまな問題はありますが,スタートした時に環境,考え方にはそれなりの背景があったのですから,やはり,その時代背景を理解する必要があります。
②バブルの崩壊そして経済社会の激変の中で
1)バブル経済の崩壊
平成2年,1990年バブル経済が崩壊して,経済社会の大変化が現れた頃,バブル崩壊の先行きに注目することなく,静岡県が主体となり,基本構想の策定に着手したわけです。鉄道高架化事業としては,建設省と運輸省の協定で実施される立体交差事業の採択基準(交通量が大きい平面の交差点を対象にする。沼津駅は,平面交差の踏切ではなく,既に地下道の立体構造になっています)に適合せず,そのままでは補助事業としての採択が難しいために,鉄道高架化事業を前提にした旧国鉄用地,駅南の土地の土地区画整理事業および国道414号線(三つ目ガード)の道路整備と一体になった「六つの事業」を一体にした沼津駅周辺総合整備事業として,都市計画の必要性を高める計画案の調査検討が進められてきたわけです。
2)二人の建設省出身の市長の推進
この間に,建設省出身の二人の市長が相次いで就任し,政治的な立場から,推進を図ろうとします。建設省から都市計画の専門家が市役所の助役として就任して,必要な調査研究を行い,街路整備事業の国庫補助の対象になる連続立体交差事業としての都市計画の検討が進められました。以降数年間,バブル経済の崩壊,経済社会が激変する中で,バブルの崩壊が強く影響することなく,沼津駅周辺総合整備事業が沼津市役所,静岡県,建設省,JR株式会社との間で協議が進められてきました。一時的に,経済再生から公共事業の拡大が国政の重要施策になり,事業の可能性が強まったかに見え,平成12年,2000年に鉄道事業者と都市計画に関する協議が成立します。
3)21世紀の経済環境の激変「公共事業の見直しへ
しかし,21世紀に入る頃には,公共事業,鉄道高架化事業を巡る経済環境は激変してしまいました。公共事業費は最盛期の半分になり,骨太の方針では,さらに5年間,毎年1%から3%の削減が行われることになりました。公共事業で鉄道経営を救済する連続立体交差事業は,高度経済成長期,財政拡大期の施策であり,財政事情の悪化から,それを維持することは難しく,国は公共事業の見直しによって,既存の公共事業を見直し,中止,延期する対策を採らざるを得ない状況になっています。
③二人の市長の相克,ねじれ現象
1)国と沼津市の財政悪化,事態の激変
その中で,鉄道高架化事業を推進しようとした前市長は退陣し,後始末をゆだねられて,後任に建設省出身の今の市長が就任しています。この間,国の財政は悪化の一途をたどり,沼津市の財政も逼迫して,財政的な余裕は薄れてしまっています。しかし、平成14年,2002年に鉄道高架化(車両基地,貨物駅を含む)等の都市計画法による公聴会が開催され,平成15年,2003年に,現市長の手で,鉄道高架化事業の都市計画が決定され,同時に国土交通省は,連続立体交差事業の新規事業として採択し,鉄道高架の事業が認可されています。
2)ねじれた前市長と現市長の対立一市長選挙の争点になる一この事業を巡る市民意識も,様変わりしており,無駄な公共事業は止めようと言う勢いが強まり,住民投票を求める住民運動や市長のリコールなど事業に反対する市民運動が進みます。沼津市政においても,計画を作った前市長が見直しを唱え,後始末を任された現市長が推進を主張するなどで,鉄道高架化事業は市長選挙の争点になり,沼津市政にも奇妙なねじれ現象が起きてしまっています。沼津駅鉄道高架化事業は,まさに経済社会の大転換のなかで,先行き不透明なままに,混迷を続けていると見ていいでしょう。
④問われる不十分な市民参加の意味
1)問われる市民参加の意義
市民が,この事業の存在を理解するのは,原地区で新貨物駅の事業が始まり,市役所の土地買収が進む時点になってからであり,市民が鉄道高架化事業の問題点を理解し,事業に疑問,質問を持つのは,都市計画が決定してからだと思います。市役所は,事業の推進には長い歴史があり,16万市民の署名もあり,市議会においても十分に論議されてきたもので,十分な説明責任が果たされていると言います。しかし,通常の公共事業なら,市民が市議会に任せたのであり,市議会の意向が市民の意向という理屈も通るでしょうが,2,000億円に及ぶ巨大な,沼津市の運命を決するような鉄道高架化事業であり,時代の転換とともに,住民参加や情報公開などのあり方,手続きが,もっと論議される必要のある公共事業を,市議会の予算決議や都市計画の手続きで十分だと言うのは,情報公開,市民参加が重要な政治的動きになっていることからも,決して十分とは言えないでしょう。当たり前の形式的な手続きで終わっては,市民の意見や希望を拒否する行政だして,市長や市議会の姿勢に,納得しかねると思う市民がいるのも当然であろうと思われます。
2)住民投票からリコール運動への発展まで
事業の検討を求める市民運動は,政治的な動きではなく,純粋な市民運動として,平成17年には,鉄道高架化事業に住民投票を求める条例の制定を市議会に訴え,5万5千票と言う圧倒的な賛成を得ており,市議会の論議が期待されましたが,残念ながら市議会では,「住民投票は必要なし」と一蹴されてしまい,さらに,平成18年には,現市長の解職を求めるリコール運動が開始されて,さらに混迷が深まりました。リコールは成立しませんでしたが,有権者の半数に近い5万2千人の賛同を得たと言う結果になっています。
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