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鉄道高架と財政見通し:第1章~第5章:長谷川徳之輔


 鉄道高架と財政見通し
ー現場と矢行きを分析する 長谷川徳之輔
 第1章 【始まって30年、何も進まない鉄道高架事業、最大の問題は財政問題】
 高度経済成長の負の遺産 沼津駅付近鉄道高架事業の話が生まれて、既に四半世紀を超え、30年近くもの年月が過ぎている。1985年(昭和60)頃に高度経済成長には陰が生まれていたが、地域振興には「箱もの」事業が欠かせない、として静岡駅、浜松駅に続き、両駅とは異なり新幹線駅とは無関係な沼津駅にも、南北交通の円滑化という名で鉄道高架事業が話題になってきていた。
 88年(同63)には沼津市議会に鉄道高架を推進する特別委員会が設置され、高架推進のためにと300億円の基金が積み立てられ、16万人から署名を集めたということで、高架事業推進の意義が高まり、行政にとって大きな目標となり、沼津再生の要だと期待されたが、これはまさに、「何でもあり」「それいけどんどん」の、あのバブルの時代の産物であった。
 ◇
 90年(平成2)にバブル経済は一挙に崩壊し経済社会は激変するが、その変化に注目することなく事業は進められ、2003年(同15)、鉄道高架事業は、関連する土地区画整理事業など5つの都市開発事業を含めて2000億円の事業費、20年の工期、市民一人当たり100万円という、沼津市にとって財政的には不可能な、破天荒な規模の沼津駅周辺総合整備事業として都市計画決定
される。
 他方、市民の間からは、無用で無駄な「箱もの」事業であり、見直しすべきだという声が高まり、住民投票を求め、あるいは市長のリコールを要求する市民運動が広がった。
 そうした市政混乱の中、06年(同18)には都市計画法により静岡県の鉄道高架事業が認可され平成34年度(2022年度)に高架化が完成するとして、形の上では鉄道高架事業の推進の制度上の体制は整った。しかし、それから10年近く経ているが、事業主体である県は事業に消極的、原地区の新賀物駅移転予定地の買収が進まず、鉄道高架本体工事には全く手が付けられていない。
 話が始まってから四半世紀余、30年近くがたっても、鉄道高架事業は全く進んではいないのだ。
 ◇
 30年全く進んでいない鉄道高架事粟経済社会の激変とともに、国民、市民の、政治、財政への視点は一層厳しくなっている。2020年の東京オリンピックの新国立競技場の建設費に国民の関心が集まり、新競技場ですら1550億円の規模を政府一体で決めるものであり、全国各地で財政上の理由から、市民が期待する「箱もの」事業ですら取りやめる動きが続いている。財政問題について国民、市民の意識が高まっていることは無視できない。
 沼津駅周辺総合整備事業の事業費は、新競技場をはるかに超える2000億円であり、人口20万足らずに過ぎない地方都市の開発事業として、その規模も内容も、どう評価されるのだろうか。
 沼津市の資料によると、現時点で、沼津駅周辺総合整備事業は総額1996億円コうち鉄道高架本体に787億円、新貨物駅等の先行用地買収などの鉄道高架関連事業が445億円で、鉄道高架のために合わせて1232億円。関連する、その他の「箱もの」事業は764億円で総額1996億円となる。
 しかし、この事業がどう進んでいるのか、現実の事業の進捗状況を見れば、都市機構が実施した駅北整備と、市による大手町地区市街地再開発によるイーラdeの「箱もの」以外、高架事業は、ほぼゼロであり、7年後の2022年に完成するという、事業認可された計画の中にあるのは虚構の数字である。
 ◇
 避けて通れない財政問題 沼津駅付近鉄道高架事業の最大の問題は、経済社会大変動の中で2000億円、工期20年、赤ちゃんから高齢者まで市民負担が1人当たり100万円という「箱もの」事業が本当に必要なのか、やる価値があるのか、沼津市の財政力からして、本当にできるのかということに尽きる。
 行政当局は最近、平成27年度から36年度まで十年間の沼津駅周辺総合整備事業の財政の見通しを公表し、市長も、県当局も、「財政は心配ない」と公言したが、冷静に見れば、行政当局による財政見通しは、鉄道高架事業の推進の根拠とは逆に、鉄道高架事業は財政的にやれないと告白したに等しい。
 ◇
 鉄道高架事業の事業認可の際、市当局により15年度(平成27年度)まで10年間の財政の見通しが作られたが、それがどうなったのか見れば財政見通しの無責任さがよく分かる。
 経済成長率は政府の「改革と展望」の数値から名目成長率の3%台への回復も見込みながら、財政規模は平成18年度の696億円から27年度(今年度)に788億円と1・13倍、年率1・2%の伸び、市税収入は350億円から431億円と1・23倍を確保できる、とし、この10年間累計の財政収入の規模を7522億円としていた。
 他方、歳出は、沼津駅周辺総合整備事業を含めて全体で7322億円、鉄道高架事業へは平成18年度の24・9億円から27年度は42・5億円に伸び、10年間の累積投資額は536億円の確保が可能だとして、これを推進の根拠にしていたようだ。
 つまり、歳出の内容は分からないが10年間の累積財政収入7522億円は、累積歳出支出の7322億円を上回るから財政に心配ないということだったようだが、その結果はどうなったのか。
 財政収入を過度に大きく予測し、歳出を縮減したところで、鉄道高架事業の見通しなど絵空事に等しかったことが明白になっている。
 その反省もなしに今回、新たな財政見通しが示されたわけだが、公表された、今年度から平成33年度(2024年度)までの10年間における沼津駅周辺総合整備事業の財政見通しについて、客観的に、冷静に分析してみたい。(以下、次号)
 (はせがわ・とくのすけ=沼津市出身、元建設官僚・明海大学名誉教授。東京都目黒区)
【沼朝平成27年9月16日(水)号】

 鉄道高架と財政見通し
 現状と先行きを分析する 長谷川徳之輔
 第2章 【沼津駅付近鉄道高架鉄事業の財政見通し、財政ひっ迫に直面】 財政ひっ迫の中での鉄道高架事業 この数年の沼津市の財政は、市民税の減少、市民税等の財政収入の縮小傾向が進み、逆に財政支出の増加の勢いから財政状況は悪化し、財政危機が憂慮されて、財政ひっ迫の度合いが高まっている。
 そんな中にあっても、沼津市、静岡県は沼津駅付近鉄道高架事業を実施することに財政上の問題はないとして、沼津市は、平成27(2015)年度から36(2024)年度まで10年間の鉄道高架事業の財政見通しを示している。どんな内容なのか。
 沼津駅周辺総合整備事業の6種類の公共事業は1996億円、うち鉄道高架事業が1232億円であり、平成27年度以降の残事業費が1032億円だとして、沼津市が10年間で617億円、年間平均で62億円の事業を実施することとし、このために、この試算では、財政規模が平成26年度の709億円から、10年間平均で1・09倍の773億円に増加させる。
 このための財政収入は、市民税、固定資産税の自主財源は増加が期待できず、財源は、もっぱら国・県の交付金や補助金に依存し、自らの負担分も大半が借入金、借金に頼らざるを得ないとしている。もともと無責任な、あてにはならない他人依存の財政なのだ。
 ◇
 圧迫される福祉、市民生活他方、財政規模が1・09倍に拡大するにせよ、財政支出では、毎年度62億円の鉄道高架事業を計上することから、他の予算は縮減せざるを得ず、民生費は平成26年度の247億円から194億円と20%を超える減少が予想され、普通建設事業は106億円から96億円と10%の減少、教育費も同様に減少し、公債費だけが68億円から83億円に22%増加するほかは、すべての予算に減少が迫られるという極めて厳しい超緊縮予算になっている。
 このために、福祉、教育、普通建設事業などの支出は極限まで縮小され、切り捨てられかねない。消防、教員の人員は減少、福祉施設の雇用もままならず、行政サービスの低下は避けられない。人口減少、少子高齢化が進む中で、福祉の充実が求められても、民生費は、20%を超える減少を迫られることになるが、それは不可能だし、現実性に欠けている予算であり、このままでは、福祉、教育も鉄道高架事業の犠牲になり、市民生活の劣化は必至だと思わざるを得ない。
 ◇
 次世代に回される負債さらに、問題は、借入金の増加により、沼津市の負債が大きく増大することであり、平成26(2014)年度に既存の市債残高は1274億円、市民一人当たりで62・7万円が、10年後の平成36(2023)年度には一般会計で269億円の負債が増加し、特別会計まで含めると、債務残高は、1700億円を超えて、市民一人当たりの負債額は88万円にも膨れ上がる。先行きの人口減少を見れば、市民一人当たりの負債は100万円にもなろう。この負債を鉄道高架事業に責任のない次の世代が負担させられることになるのだ。
 ◇
 鉄道高架事業に財政上の心配がないとは、とても言えない。鉄道高架事業をこの財政見通しにより実施するなら、財政も、市民生活も極めて厳しい状況に陥ることになるであろう。
 鉄道高架事業の財政は6種類の事業が重なり、事業主体も、静岡県、沼津市、公団、JRと分かれ、国、県、市、JRの財政負担が複雑に絡み合い、財政の全体像がなかなか把握しがたいが、ここでは、鉄道高架事業が始まった20数年前から今日までの沼津市の財政の推移を見ながら、それとの比較をし、今の財政事情から、今後10年間の鉄道高架事業の財源がどう位置付けられるのかを比べ、財政問題への理解をさらに深めることにしたい。(以下、次号)
【沼朝平成27年9月17日(木)号】

 鉄道高架と財政見通し
 現状と先行きを分析する 長谷川徳之輔
 第3章【この20年の沼津市の財政、拡大から縮小へ、財政困難に直面】 財政ひっ迫の度合いが増す財政の現状鉄道高架事業が始まった20数年前から現在まで、沼津市の財政がどのように進んできたのか、次の表で全体を見てみたい。

 財政全体の変化から鉄道高架事業との関連を考察し平成27年度以降の財政の見通しと鉄道高架事業がどう関連するのか数字を追ってみた。
 鉄道高架事業の計画が策定された平成9(1997)年度頃から平成26(2014)年度までの17年間で、財政規模は642億円から709億円と1・1倍に増加しているが、ピークは平成19(2007)年度の730億円であり、この間に1・14倍に増加している。それ以降は、財政状況が変わって減少傾向に向かい、730億円から709億円と0・97倍、3%の縮小に転じ、財政のひっ迫ぶりを物語っている。
 この間の財政の内訳を見ると、大きな流れは、民生費(福祉などに支出される費用)が118億円から247億円へ2・1倍と倍増しているが、土木費は168億円から106億円に0・63倍、教育費は69億円から60億円へ0・87倍などと他の予算は縮減を迫られており、予算がモノから人へ向かっていることが分かる。
 さらに、平成19(2007)年度以降は、自主財源が落ち込み、財政収入が減少するが、逆に財政支出は増加するので、財政規模は全体に縮小の傾向が強まり、財政ひっ迫の度合いがより強まっている。
 ◇
 第4章【これからの10年間、現実性に欠ける鉄道高架事業の財政状況】. 財政規模773億円、1・09倍に、しかし、福祉は滅 このような財政ひっ迫の最中にかかわらず、鉄道高架事業の財政見通しでは、この間に沼津市が実施する鉄道高架事業は617億円で、年度平均62億円であり、これを支出するために沼津市の財政規模は10年間に7730億円、年度平均で773億円と平成26年度の709億円の1・09倍の規模の拡大が必要だとしている。
 しかし、財政規模が1・09倍に増えるにせよ、新規に鉄道高架事業の62億円を計上するために、他の予算は縮小せざるを得ず、民生費は247億円から194億円と0・79倍で、20%もの縮小を迫られる。
 普通建設事業費は116億円から159億円と1・37倍に増加するが、鉄道高架事業62億円を除くと96億円と0・9倍に減少する。教育費も同様、ピーク時の95億円から大幅に減少するであろう。ただ、借金の付け払いの公債費だけが77億円から83億円と1・08倍に増加する。鉄道高架事業だけが、超優先的に扱われる財政見通しである。
 ◇
 この財政によっては、福祉、教育、普通公共事業などの支出は軒並み極限まで縮小され、教育、福祉は切り捨てされかねない。人件費、給与は10年間変わらず、職員の削減で対応するしかない。
 行政サービスの低下は必至で、消防、教員の人員の減少、福祉施設での雇用もままならない。橋梁、学校等の公共施設も高度経済成長時代に積み上がったストックが建て替えの時期を迎えており、維持修繕費の重圧が避けられない中で、建物の維持修繕も賄えない。
 とりわけ、沼津市の人口は、2010年に20・2万人であったものが2030年には16・7万人と0・83倍にも減少すると見込まれる中、少子高齢化が進むにかかわらず、市民ニーズが最も高い扶助、助成の福祉、民生費は過去10数年では2倍以上に増加していたものを、先行き20%以上縮減するなど、とても不可能であり、現実性に欠けている予算と思わざるを得ない。
 ◇
 自主財源は伸びず、すべて他人依存 一方、肝心の歳入では、人口減少、経済低迷の中で、市民税、固定資産税の自主財源は、平成27年度までの財政見通しで示していたような、市民税が1・3倍に、財政収入は1・25倍に増えるなど、とても言えず、356億円からやっと367億円と、ほぼ横ばいだとして、増加は、とても期待できないとしている。
 773億円の財政規模を確保するのに、他人の財源頼りであり、国の交付金が59億円から85億円へ1・44倍に、国と県の負担金、補助金が153億円から178億円へ1・16倍に、公債の発行が61億円から91億円へ1・5の増加を期待せざるを得ない。これは、沼津市が期待しているだけの話で、確約されたわけでも、計画されているわけでもない。増加するどころか減少だってしかねない。
 人口減少、企業の撤退、地価の低迷で、市民税も、固定資産税も、増加は期待できず、自由になる自主財源は極めて乏しい。773億円の財政規模を維持するには、すべて国・県への財政依存の強化と多額の公債の発行によることになる。財政改革の途上にある国・県の負担、補助は確約されたものではなく、およそ当てにはならない、折角の財政見通しも所詮は絵に描いた餅に過ぎないのだ。(以下、次号)
【沼朝平成27年9月18日(金)号】
鉄道高架と財政見通し
 現状と先行きを分析する 長谷川徳之輔
 第5章【次の世代への負債の理不尽なつけ回し】 財政見通しは単なる期待値、膨れ上がる負債 ことは、これで終わるわけではない。鉄道高架が完成したとしても、それから先に、沼津市が再生するのか、沼津市の財政はどうなるのか、肝心なことは、沼津市は鉄道高架の完成により、計画通り人口は増加し、経済は再興し、財政は好転して、復権するかどうかであるが、その先行きは不透明であり、誰にもわからない。
 第2章でも説明したように、鉄道高架事業の財源は、沼津市の自主財源ではなく、その大半が国と県の補助金」交付金によるものであり、沼津市の資金も市民税、固定資産税の税収ではなく、大半が借入金、借金で担保されているもので、これから返済しなければならない財源なのだ。国・県の補助、交付金も、確約されたものではなく、沼津市が期待しているに過ぎない。鉄道高架事業が財政見通しの通りに進む保証は全くない。
 さらに問題なのは、沼津市が抱える借入金、借金がどうなるかである。市の試算では、平成26年度に既存の市の負債残高は、すでに1274億円、市民一人当たりの負債額は、62・7万円、うち一般会計で701億円、一人当たり34・5万円これに、10年間の借入金が積み重なり、平成36年度には、一般会計の債務残高は969億円になり、268億円の負債が増加することになる。
 特別会計まで含めると、平成36年度の負債残高は、1700億円を超え、一人当たりで88万円、減少する人口で計ると優に一人当たり100万円を超え、自主財源の4倍、5倍という計算になる。
 この負債を、人口が減少し、経済が低迷する時代に、次の世代の子ども、孫が負担し続けるという、実に理不尽の結果になるのである。
 ちなみに、市民一人当たりの負債額を、沼津周辺の自治体で比較すると、三島市33万円、富士市29万円、長泉町10万円であり、沼津市の負債が際立って大きく、借金地獄であり、これらの自治体が沼津市からの付け回しを嫌い、沼津市への合併も、協力もせず、忌避する理由がよく理解できる。
 ◇
 やみくもな実施、悲劇的な事態に 沼津市・静岡県は、このような財政見通しでも、鉄道高架事業は財政的に心配ないというが、本当にそう思っているのだろうか、この数字を見ると、やみくもに鉄道高架事業を実施することは、将来の財政にも、市民生活にも、取り返しがつかない悲劇的な結果を生みかねないと言わざるを得ない。市民は鉄道高架事業を実施するために、それ以外の予算はゼロどころかマイナスすらも覚悟しなければならない。行政サービスは極度に落ち込み、福祉、教育などの市民生活は劣化の一途をたどり、あまつさえ、その負担、付けが鉄道高架に責任のない次の世代に回されるという、実に理不尽な結果をもたらすのである。
 ◇
 政治、行政のリーダーは本音を語れ この沼津市自身が作った財政見通しによって判断する時、沼津市の財政は健全であり、鉄道高架事業は財政面からも心配ないと、本当に言えるのだろうか。静岡県知事、沼津市長、国会議員、県会議員、市会議員の責任ある立場にいる政治、行政のリーダー達は、2000億円、20年、市民一人あたり100万円の鉄道高架事業が、沼津の再生のために、ぜひとも実施すべき公共事業であり、財政的にも問題はなく、市民生活を向上させる事業であり、責任もって実行できると、心底、そう思っているのだろうか。
 それとも、これまでの政治行政の流れに拘泥した呪縛、しがらみや立場から、そう思っていると言わざるを得ないのか。政治家、リーダーとして、明確な責任のある答えを示してもらいたいものである。それが行政、政治にある者の責任ではないのか。
 誰が見ても、沼津駅鉄道高架事業は終焉の時期を迎えているのだ。
 そもそも、財政計画の初年度である平成27年度の予算からして、財政見通しとは全く編成が異なり、財政規模が増えることはなく、鉄道高架事業の姿は現れていない、財政見通しとは似ても似つかない予算なのだ。
 平成28年度以降の予算編成が計画通り進む保証は全くない。沼津市、静岡県が、実行可能として公表している沼津駅周辺鉄道高架事業の財政見通しは、全くの虚構であり、ごまかしである。(おわり)
(はせがわ・とくのすけ=沼津市出身。元建設官僚、明海大学名誉教授。東京都目黒区)
【沼朝平成27年9月19日(土)号】
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故郷沼津を巡る初夢と正夢


沼津も新しい問題、古墳の維持か道路整備か、古くして新しい問題、経済優先か歴史文化の優先か、市民の声も盛り上がっているようです、この問題、古墳という限られた論議でなく、沼津が抱える都市問題を広く論議する機会にしてほしいですね、この正月に、暇に任せて書きましたエッセイ、故郷沼津を巡る初夢と正夢、本物の伊豆駿河環状道路、サークルラインを、韮山反射炉世界遺産へ、伊豆駿河の歴史、文化の広がりを、江川担庵と江原素六、芙蓉愛鷹高校と芙蓉龍城高校のこと、駄文ですが、沼津の識者に読んでもらいたく、お送りしました。

故郷沼津を巡る初夢と正夢

  大晦日の放談会

暮れの大みそかの高校同級生の喜寿の男たちの忘年会、高校生の時代に戻って、日本や故郷の来し方行く末を語り合おうという集まりで、もう30数年続いているが今年も20数人の仲間が、象山のふもとのさる料理旅館に集まって例年通り開かれた。ちょうど宿の近くに静岡県の道路工事が行われており、宿への道もわからず、行き着かない不便さもあって、一体沼津の街づくりはどうなっているのだという話題も出て、高校生の時代に戻って来し方行く末を語り合う無礼講の宴席が始まった。

喜寿の歳の同級生、思い返してみると、沼津の空襲の時は小学生、沼津駅からツートンカラーの湘南電車が走り始めた頃が中学生、原と沼津が合併した時が高校生、狩野川台風の大嵐の時が大学生、駿河湾コンビナート騒動の時は、就職し、世の中に出て、高度経済成長の戦士として未来を信じて働いていたのだ、それから高度経済成長が継続する20数年、石油危機や列島改造の失策で一時頓挫しかけたことがあったが、1980年代の後半のバブル景気を謳歌して、やがてバブルが崩壊して日本の経済社会が暗転し、失われた20年になる前に、引退してしまう、戦後の経済成長の恩恵をフルに受けている幸運な世代である。給与は平均でも初任給と退職時の給与を比べれば、100倍になっているだろう。平成時代の世ではとても想像すらできないだろう。その世代が見てきた故郷沼津の来し方行く末である。

この世代には、子供のころは飢餓すら知る貧しい時代はあったものの、経済成長の過程では何時でも先が開ける、今より未来がいいという思いをしてきたのだ。だから、常に昔はよかったということで、今をなんだと否定しがちである。故郷沼津の姿にも繁栄に輝いていた時代を思い返し、人口が減少し、商工業が停滞し、繁栄が失われていくことに困惑し、自分たちの時代がよかった、回帰したいと願っている、そういう愚痴が聞かされて、もう10年にもなる、今年も沼津の停滞、衰退、混迷を危惧する声が耐えなかった。このところ三島や周辺都市の隆盛さがテレビにも新聞にも報道されるのに、沼津は衰退する地方都市という扱いしか見当たらないという苦情も聴かされる。たまたま宿のちかくの静浦バイパスが話題になったので、故郷沼津の今の情勢、不安と危惧の念について、思うところを分析し、沼津復権の道を正月の夢として語ってみたいのである。まず、話題の静浦バイパスである。

本物の伊豆駿河湾環状道路、サークルラインを

国道414号線、静岡県が管理する沼津市大岡と下田市の間を結ぶ79キロの国道で、駅北から南下して三つ目ガード、みその橋、市役所、八間通り、静浦、三津へ向かう沼津市の南北軸を形成する幹線道路、伊豆へ向かう観光道路でもあり、道幅の狭い三津あたりでは慢性的に渋滞が発生して、解決が急がれている。このため、静岡県が島郷から口野に向かう静浦バイパスを整備しようとしているが、平成6年着工されて以来20年近くも過ぎているのに、象山を通過するトンネルすらまだ姿を現さず、海岸線の混雑は一向に解決せず、414号線の立ち遅れが沼津の衰退の一因でもある。この静浦バイパスは、下香貫東郷から伊豆中央道路長岡インターへの7.9キロの4車線、幅27メートルの高規格道路で、総事業費は500億円が予定され、そのうち第1期工事として、大平地区までの2.5キロ、150億円の事業が進められてはいるが、年間1億円程度の工事費では、20年経っても半分もできていない。ましてや、大平地区から伊豆の国市口野に向かう残りの5.4キロの区間の整備のめどは全く立っていないという。
 
他方、東駿河湾環状道路は、総延長22.8キロの内、東名高速沼津インターから長泉、裾野、三島市、函南へ至る15キロの区間が完成し、日2万台近い交通量で、この道路の完成が地域構造を大きく変えようとしている。沼津駅周辺のガードを通過する交通も目だって減ったという。この幹線道路は、環状道路という名のように三島・沼津周辺の5市町を大きく取り囲む環状サークルの形態になるものだが、沼津インターからの西の原地区に向かう7.9キロの区間の整備の見通しは立っていない、何事にも西側の街づくりは、立ち遅れて、東と西の格差は広がる一方である。この東駿河湾環状道路は将来的には伊豆縦貫高速道路につながり、伊豆全体の発展に寄与するものであり、本来国土開発縦貫道路として位置づけが必要であるが、暫定的に国道1号線のバイパスとして位置づけられて、国土交通省が直轄事業として整備しているものであり、環状道路という名前であっても、力が東に向かうのは仕方がないことで、高架の高速道路の下の側道は、三島から伊豆に向かう国道136号線のバイパスでもあり、その先は静岡県道路公社が事業費111億円で整備した修善寺道路4.8キロの有料道路につながり、伊豆縦貫高速道路を形成していくことになる。東名高速道路の沼津インター、東海道新幹線の三島駅を起点とする高規格の環状道路のインフラの整備が、この地域のこれからの中心機能を形成していくことに間違いなかろう。

本来は沼津、三島、清水、長泉、函南の5自治体は、面積350㎢、人口42万人の都市として一体的な都市機能を発揮して、それにふさわしい都市計画があってしかるべきであるが、都市計画の名称は東駿河湾都市計画と言われながら、沼津市が2000億円、20年の資金と時間がかかる無意味な沼津駅鉄道高架事業に呪縛されて、本来やるべき事業をやれずに、時間と資金を無駄に浪費してきた付けが回って、5市町の環状道路の形成もほど遠く、沼津が地域の発展から見捨てられ、周辺市町から軽視されて、合併も一体化もやれない状況に追い込まれてしまったのだと思う。このまま衰退を重ねていいのだろうか。
 地域の自治体のリーダーとして、もう一度この地域の一体化、中心性を取り戻す努力をしなければなるまい。このため、先の414号線静浦バイパスの整備を、5市町の南の環状道路形成の手段として位置付けることはできないものなのか、事業主体や道路の管理は別々でも、国道1号線の東駿河湾環状道路、国道136号線の修善寺道路、それに、国道414号線の静浦バイパスの路線の全長30キロ余りを一体的、円滑に結び付けて、環状形態の道路網として位置付けることである。一向に進まない静浦バイパスに集中的に投資して、早く伊豆縦貫道の一部の修善寺道路に結びつけて、環状形態としての道路として整備する。回遊は東名沼津インターから始まって、時計回りで国道1号の東駿河湾環状道路を通り、国道136号の修善寺道路まで南下して、それから国道414号の静浦バイパスに入り、象山トンネルを通り、八間道路を北上して沼津インターに至る30数キロの路線を、伊豆駿河サークルライン、あるいは芙蓉伊豆駿河サークルラインなどの新しい名称で、5市町の基軸の環状道路として扱うことである
 
このサークルラインは5市町の連結を強めるだけでなく、観光道路、ドライブ道路としても、何処からも富士山が見え、伊豆箱根の峰、狩野川、駿河湾の海・山・川が展望され、沿線の温泉、グルメ、沼津アルプスや海上スポーツが楽しめる絶好の観光ルートになり、多くの観光客を集めることに寄与しよう、伊豆長岡温泉は、沼津からも2,30分の郊外の距離、駿河湾と一体になった短期滞在型のリゾート地になることも期待できよう。
 5市町の合併なり行政の一体化が難しくても、観光や商工業、国際交流や文化活動では、それぞれの地域の単位、組織ではなく、一体とした民間組織を整備して、5市町の恵まれた観光資源を全国に、全世界に発信したらどうなのか、富士山、箱根、伊豆の国立公園の真っただ中に位置し、海、山、川に恵まれ、東京に近接したこの地が、外国人観光旅客者の関心を高めて、国際的なリゾートになることも夢ではあるまい。このためには、沼津駅鉄道高架という古い呪縛から覚めて、小さな地域利害を捨て去ることが必要だと思うが、沼津市民はどう考えるだろうか。

 歴史、文化のひろがりを

何事にも恵まれた伊豆駿河のこの地域は、日本列島の中心にあり、歴史的、文化的な資産にも恵まれているのであり、市民が故郷への誇りや自信を取り戻すためにも、この地域の歴史、文化資産を掘り起こすことも大切だと思う。伊豆の国市が韮山反射炉を、日本の産業、科学技術の源点だとして世界遺産の登録しようと運動を続けていると聞く、同時に韮山反射炉を作り、軍事や産業育成の祖となった江川太郎左衛門、江川坦庵を歴史上の人物として売り出したいということの様である。この地域には、伊豆駿河の地として、源頼朝、北条早雲から始まって、日本の国づくりの舞台になった数々の歴史がある。江川坦庵もその一員であり、彼をして、韮山反射炉のみならず、幕末維新の歴史を語らせる価値は十分にある。さらに、幕末維新の歴史には、この地域全体として世に語らせる話が沢山あると思う。NHKの大河ドラマでは、幕末維新の人気が高く、一昨年は会津を舞台にした「八重の桜」が、今年は長州萩を舞台にした「花燃ゆ」が放映されることになる、この地域にはそれに匹敵する歴史文化が語られてよい。韮山反射炉も江川坦庵もその一環である。

幕末維新を1853年嘉永6年のペルリの砲艦外交から始まり1868年の徳川幕府崩壊、明治開国までの話でなく、もう少し長く19世紀を通して捉えてみよう。江川坦庵はペルリの来航以前の人物であり、兵学者、軍事指導者で、西洋事情や西洋の技術、軍事に精通して、金属を溶かして大砲を鋳造する技術で韮山反射炉を作り、東京湾のお台場の28門の西洋式大砲を作って外国の侵略に備えようとした人物であり、維新のために多くの人材を育成し、技術を開発した、「花燃ゆ」の吉田松陰にも匹敵する人材ということが出来よう。
幕末維新は多くの人材の群雄劇であるが、その先駆けの偉人にもう一人、江川坦庵の次に、同じ幕府の下級役人の江原素六(1842~1922)がいる、1842年生まれ、幕臣として洋学や軍事の教授、戊申戦争を戦い、1868年の徳川幕府が崩壊して70万石で駿河の地に転封した時に、沼津兵学校の創立や旧幕臣の子弟の教育に力を注ぎ、維新の力になる多くの人材の育成、さらに愛鷹山麓の開発でこの地の産業を育てるなど、さらに自由民権運動の指導者でもあり、第一回帝国議会の衆議院議員、政友会の政治家を務め、クリスチャン、教育者として、名門の麻布学園を作り、1922年大正11年90歳で亡くなるまで明治維新の成長に大きく寄与した人材、沼津の愛鷹に墓所があり、明治記念館も置かれている。今でも麻布学園の入学者はそろって、沼津を訪れて、愛鷹の地で、江原素六の薫陶を受けるのだという。
江原素六の作った沼津兵学校、名前は、徳川藩の軍事の教育の場であるが、軍事のみならず、西洋の科学技術、政治、経済を教え、伝える教育機関であったが、ごく短期間しか存在していない、他藩からの人材も集めて、明治新政府の軍学校や人文科学の教育機関に成長し、維新の大きな礎となっていくのである。その沼津兵学校に沼津の豪農の子弟の井口省吾(1855~1925)が学び、軍人になって日露戦争時の児玉源太郎の参謀として勝利に寄与し、薩摩長州ではない農民の子が陸軍大将にもなったとして、偉大な明治の人材の一人に数えられる。井口省吾に限らず沼津兵学校には数多くの有力な明治維新の人材を輩出しており、維新の群雄像を見ることが出来る。江川坦庵から荏原素六を経て、井口省吾へ繋がる幕末維新の歴史文化を司馬遼太郎に書いてもらいたい、叶わないが、是非とも浅田次郎なりの筆で、駿河伊豆の幕末維新の歴史小説を書いてもらいたいものである。それからNHKの明治維新の底力となった人材の大型歴史ドラマにしてもらいたいものである。
 
 芙蓉愛鷹高等学校と芙蓉龍城高等学校を

この江川坦庵、江原素六、井口省吾の歴史の伝統、文化を今に継承するのが、旧制沼津中学、今の沼津東高であり、旧制韮山中学、今の韮山高校である。二つは、歴史と伝統に満ちた静岡県内の進学校であり、ライバル関係を自負している。韮山中学は、1873年、明治6年に江川邸に創立された県内最古の公立高校であり、147年もの歴史、江川坦庵の承継から龍城の名を持っている。沼津東高は1901年創立の静岡県の御三家と言われた沼津中学の継承校、香陵という愛称だが、香陵はかって校舎のあった沼津の香貫山のことであり、正確には今は愛鷹が正しい、いずれにしても沼津兵学校、さらに江原素六の後継者を自任して、麻布学園に匹敵する高等学校という自負を持ってもよかろう。
この二つの県立高校、この地域の一体化、歴史、伝統を数えるために、名称,高校名を変えたらいい、北部にある沼津東高は、芙蓉愛鷹高校に、南部にある韮山高校は、芙蓉龍城高校にして、事実上の一体的な教育機能、共有の体育館、運動場、水泳場などの施設を整備し、同じカリキュラムを持ち、体育芸術はどちらで受けてもよく、年中行事も一体となるような教育機関であり、卒業生の連携を強め、OB意識を持ち、夏の甲子園へは愛鷹龍城と一体としたチームで当たるというような存在になってもいいのではないだろうか。駿河伊豆の狭い地域のなかで一体としての都市機能を持ちながら、共通の自治体組織も市民意識も持たずに、旧態依然としたばらばらの小さな市町に不満も、問題意識も持たずに、ただ自己の損得利害に拘泥している行政の姿勢や政治情勢、時代の変革を直視して、広く、大きな視点で考えることが出来ない沼津駅鉄道高架事業の体たらくを見るとき、せめて合併の機運を高めるために、この地域の新名称を芙蓉市にしたらという提案をしたことがあるが、それを進めるためにも、暮れ大晦日の、仲間との七喧会の集まりで、仲間たちが思っていることを、具体的に整理しようと思って、2015年の初夢として描き始めたが、こんなレポートになってしまったのである。もちろん、この論は、仲間を代表する見解ではなく、筆者の個人的な評論として描いたものである。

  2015年1月4日  長谷川 徳之輔(明海大学名誉教授)

沼津駅周辺鉄道高架の本質的な問題 長谷川徳之輔メールより



沼津駅周辺鉄道高架の本質的な問題点

 世の中の誰に聞いても、今の時代に意義に乏しい、ばかげた鉄道高架事業をやるべきであり、やれる筈だと心から思っている人は、知事や市長、議員らの政治家にも、行政当局にも、市民にも、いる筈はないだろうと思います。見直しへの結論は見えているのです。問題は、全員が鉄道高架の問題点を理解しつつも、その全体像や仕組みを知ることが出来ず、どうしても自分の利害得失だけで考えてしまうことです。沼津駅周辺鉄道高架事業は6種類の事業の複雑な仕組みの上に、計画されて20年以上を経過し、時代の激変の中でその仕組みや本質が変わっているにも関わらず、所要の検証をされることなく、市民はもとより、政治にも行政当局にも、その本質、全体像を理解しない、理解できない状況に陥っているのではないかと思います。

 私は折に触れて、適切な論議が行われることを期待して、元建設省に勤務した知識経験から、誰にも見てはもらえなかった鉄道高架事業の解説書などを描いてきました。「なぜ、沼津市民は沼津駅周辺鉄道高架事業を考え治さなければならいか」2008年の市長選挙の時に市民向けに鉄道高架を易しく解説したもので、計画の内容、コスト、費用負担、その効果、財政事情、現実的な事業の提案、さらに如何にして撤退するかを、本文20ページに及ぶ文書としてまとめたものです。もう一つは2012年の有識者会議やPI委員会の論議の際に、「沼津駅鉄道高架PIプロジェクト・実施計画に関する意見」は私の意見として、大型公共事業の妥当性、利益に見合う投資効果、沼津の復権の可能性、だれが責任者か、さらに如何にして円滑に撤収するのかを専門的な視点で描き、当局に提出したものですが、県、市の当局からは忌避されて、審議されることもなく、お蔵入りになったものです。本質を知ることが怖かったからだろうと当局の無礼も許すことにしていたものです。

 この10数年、一市民、一専門家として、利害損得とは無縁に、行政当局、市民にその本質を訴えてきましたが、放置され続け、残念ながら私の意欲も無駄骨であったのかもしれません。でも、ここまで来たことに、私のささやかな正義感が少しは貢献したのとも思いたいものです。最終段階に当たり、行政、市民の間で合理的、民主的な論議が行われますよう、これら資料、ご担当の事務方にお渡しいただき、何かご利用されるなり、参考にしてくだされば幸いであります。

 2014.8.7  長谷川徳之輔  明海大学名誉教授

参考資料クリックしてお読みください。

沼津市役所都市計画部 静岡県庁都市基盤部都市局街路整備課 沼津土木事務所御中

   沼津市役所都市計画部
 静岡県庁都市基盤部都市局街路整備課
 沼津土木事務所御中


川勝知事の沼津駅鉄道高架推進への発言を契機にまた、論議が高まるものと思います。私は、現在は沼津市民ではありませんが、沼津の出身であり、沼津の街に愛着を持つ、元沼津市民です。建設省に勤務した土地都市問題の専門家でもあります。この10数年、一市民、一専門家の立場で、故郷沼津の街づくりに関心を持ち、鉄道高架問題への発言をしてきました。行政、市民が、合理的で市民の利益を考えた街づくりへの論議が行われるように願っての、ささやかな市民活動だったと思います。無為に続いてきた鉄道高架論義も、もはや決着をつける最終段階にあり、今こそしっかりした論議が行われるように、私の知見を市民や行政にお届けしたい、少しでも参考にしていただきたいという思いで、最近のニュースで東京都心、JR三田駅と品川駅の間の13ヘクタールの鉄道用地の再開発事業が報道されておりますが、お調べかと思いますが、その話と、さらに最終段階にあって、知事、市長、議員、専門家、マスコミ、市民の活動への評価と期待について、私の見方をお話しし、お聴きいただきたく、この文を送らせていただきました。意のあるところをご理解いただき、お聴きくださるよう、よろしくお願いいたします。
  2014.7.29   
明海大学名誉教授 長谷川徳之輔
 


東京都心のJR再開発と沼津駅鉄道高架との比較、あまりに大きな格差

沼津駅鉄道高架事業は如何に意味がなく、無駄な事業なのかを、今進み始めている東京都心の鉄道用地の再開発と比較して見てみよう。山手線、京浜東北線、東海道線、京浜急行線、それに東海道新幹線が行き来する三田駅から品川駅の間に、広大なJR用地が広がっており、南北の交通は全く遮断されており、都心の都市活動が著しく阻害されているが、百数十年も放置されたままであった。鉄道線路を高架にしようなどと誰も考えてこなかったのであろう。
そこに、臨海部開発に関連したのか、この広大なJR用地に都市再開発の動きが出て、東京都やJR当局からその計画が発表されている。この地のJR用地13ヘクタール、三田駅と品川駅の間に山手線の新しい駅が設置されて、ここに8棟の160メートルの高さの超高層ビル、うち3棟のマンション、5棟のオフイスビルが建てられて、10万人もの従業者が働く新都心の街になるのだという。注目されるのは、自動車や歩行などの南北交通や地域内の交通は、用地の2階に道路、歩行者通路、駅前広場が作られて、南北自由通路で処理され、5本の基幹の鉄道はそのまま平地を走り、今2階を走っている京浜急行も1階部分、平地に下して運行することになる。はなから鉄道の立体交差など全く考えてはいない。コストの面からも土地利用の面からも、極めて合理的な計画を選択している。それでいて、その整備の費用は5000億円と計算されているという。その費用は、多分鉄道料金、都市再開発が生み出し、多額の公的資金、税金を使うものではあるまい。
他方、同じJR用地の沼津駅周辺鉄道高架、数キロの区間の鉄道高架事業だが、その費用の大半は公的資金、税金であり、静岡県民、沼津市民が負担するのである。土地利用面からも、出来上がったJR施設の用地に新しい土地利用は生まれない、JR鉄道運行の運行以外の商業活動も経済活動も予定されていない、鉄道の走行便益が増える訳でも、都市再開発に寄与するわけでもない。20年先に南北の自動車交通の便が良くなるかもしれないという利益だけである。それでいて、その総費用は2000億円だという。公的資金、税金であるが、その見返りはほとんどない。5000億円と2000億円、規模のスケール、その投資効果、新しい都市機能などから見て、あまりに格差が大きすぎる。沼津駅鉄道高架は無駄な事業の極致ではないのか。両者は同じJRの計画であり、どちらが効率的であり、どちらを優先するかはだれが考えても、すぐわかる話である。静岡県も、沼津市のもう一度頭を冷やして、もっと合理的に考えることであり、計画の評価を長いお付き合いになるJR当局によく聞いてみることである。

知事、市長、議員、役人、マスコミ、市民の姿勢を問う

川勝知事の沼津駅鉄道高架の推進か見直しかに関する判断にあたり、知事として諸情勢を観察し、鉄道高架の計画、事業を熟慮、熟考した結果、推進する決断をしたというのは、あまりに自分勝手な言い方であり、その言い分、姿勢は理解の外である。何をおいても、一番肝心な判断は、鉄道高架事業の目的、事業の効果、必要な費用、その負担などをどう見て、どう評価したのかの説明であり、それは何も説明されてはいない。政治力学からなのか、既得権に縛られているからなのか、只推進することに決めたというだけの学者らしからぬ実に乱暴な結論の出し方ではないのか。有識者会議やPI委員会の論議に留まらず、これまで積み上げられてきた論議や意見などを知事はどう理解し、評価しているのか、熟慮、熟考したというならば、具体的な数字もあげて、しっかり説明しなければなるまい。

県会議員や市会議員の政治家の判断はどうなのか、推進することに同意するという言は、ほんとに県民、市民の利益と負担を十分に知った上での判断なのか、体制への付和雷同、既得権の擁護や過去のしがらみに囚われた政治家の事なかれ、利害損得の立場からの主張ではないのか。経済社会の大変動の中で、財政が窮迫している人口20万人足らずの地方都市に2000億円もの新規投資ができるし、やるべきであると、自分の意見として本心からそう考えているのだろうか。議員一人一人の意見を聞いてみたいものだ。

都市計画、街づくりの専門家、プロたち、国、県、市には役人として、その知見を発揮する人材がそろっている筈である、街づくりへの知識、経験が十分で公正な評価、判断ができるプロフェショナルである。この10数年、鉄道高架の計画づくり、事業実施について、プロとして、彼らは何をしていたのか、内心忸怩たる意識はないのか、政治が混迷する今だからこそ、専門家プロとしての、見識を発揮すべきだと考えないのか。

適切な世論を形成するのは、メディア、マスコミがどう報道するかにかかっている、本来マスコミには公平公正で中立的な立場が求められるものの、自らの判断、評価をすることもマスコミの重要な役目であろう。それには、しっかりした取材と分析評価する知見が欠かせない筈だ、地方の記者は若くて、経験不足であるのは否めないが、鉄道高架に関する体制の報道をただ伝えるだけでなく、適切な評価ができるように知識経験を広めてもらいたいものである。

ことを最終的に決めるのは市民であり、市民の意識こそ肝心であるが、かって、石油コンビナートの進出を拒み、この地域の優れた自然環境を守り抜いた先輩市民がいたにもかかわらず、恵まれ過ぎた自然、都市環境に安住して、何事にも「おらは知らないよ」という退嬰的な市民意識が強まり、市政の刷新が遅れ、鉄道高架の混迷を招いてきたのではないのか、沼津市民は他人事だと只傍観しているのではなく、時代の厳しい変化を認識し、自らの問題として積極的に声を上げることが何より必要ではないのか。

20数年の混迷の時代を経て、今こそ沼津市民の市民意識の高さ、政治行政の責任感の強さ、民主主義、地方自治の機能、役割が強く問われる時である。故郷沼津の街を愛する元沼津市民として、一言申し上げたい。

    明海大学名誉教授  長谷川徳之輔 沼津市香貫生まれ、沼津東高 第7期、1959年建設省入省、道路局、計画局、経済企画庁、住宅都市整備公団等勤務、1985年 建設経済研究所常務理事 1995年明海大学教授、2010年退職。

沼津市民へ議員へ

鉄道高架での川勝知事の妄言
 

 あの発言で川勝知事は、全くの素人の政治家、知事だということがばれて、鉄道高架の墓穴を掘ったことになると思います。唯我独尊の発言では国土交通省も、県と市の役人たちもついていけないでしょうし、鉄道高架事業が進む筈もないでしょう。推進するという結論ならば、事前に国、国土交通省、地元、沼津市との了解があってしかるべきであるし、キーパーソンに会って決めるというのも、どういう意味なのかよく分かりません。
そんな裏話をするのが問題で、裏工作なのか、相手は政治家や役人のことなのか、なんとも妙な話です。そんな裏話を語るのではなく、推進するというならば、その目的、可能性、事業の見通し、財源措置、市民・県民の負担などを少しでも納得がいくように話すのが当たり前、立ち話の記者会見で、喧嘩腰でやります、やりたいというだけでは、全くの素人の知事であることを、県民、市民に見せてしまっただけです。本来、鉄道高架については、知事は調整役であり、主体ではない筈、大所高所からの調整役の判断こそ期待されるのであり、自ら喧嘩に乗り出す立場ではなかろうと思います。なんとも危なっかしい素人知事で、みていられないというのが、私の人物評ですし、もともと歴史や文化のかっこいいことが専門の文明評論家で、政治家や行政官には遠いい人物だと思いますね。
 キーパーソンに国土交通省の高級官僚がいるのだろうか、いても裏工作なんかやる筈もない。
実は沼津東高の後輩で、今度の人事で局長を超える政策統括官に就任した官僚がいます、清廉潔白なクリスチャンで、仕事は高度のレベルの政策の総合評価、調整を行い、政策の見直し改善を進めるという大事な役で、彼にもかねてから沼津の事情を故郷の出来事として、情報提供していましたが、今度も資料を渡しています。政策、計画の見直しを進める責任者というのも、皮肉な話だと思いますが、多分、川勝知事が言うキーパーソンではないでしょう。でも、実に適切なポジションにいます。

 知事、市長、議員、役人、マスコミ、市民の姿勢を問う
 川勝知事の沼津駅鉄道高架の推進か見直しかに関する判断にあたり、知事として諸情勢を観察し、鉄道高架の計画、事業を熟慮、熟考した結果、推進する決断をしたというのは、あまりに自分勝手な言い方であり、その言い分、姿勢は理解の外である。何をおいても、一番肝心な判断は、鉄道高架事業の目的、事業の効果、必要な費用、その負担などをどう見て、どう評価したのかの説明であり、それは何も説明されてはいない。政治力学からなのか、既得権に縛られているからなのか、只推進することに決めたというだけの学者らしからぬ実に乱暴な結論の出し方ではないのか。有識者会議やPl委員会の論議に留まらず、これまで積み上げられてきた論議や意見などを知事はどう理解し、評価しているのか、熟慮、熟考したというならば、具体的な数字もあげて、しっかり説明しなければなるまい。
 県会議員や市会議員の政治家の判断はどうなのか、推進することに同意するという言は、ほんとに県民、市民の利益と負担を十分に知った上での判断なのか、体制への付和雷同、既得権の擁護や過去のしがらみに囚われた政治家の事なかれ、利害損得の立場からの主張ではないのか。経済社会の大変動の中で、財政が窮迫している人口20万人足らずの地方都市に2000億円もの新規投資ができるし、やるべきであると、自分の意見として本心からそう考えているのだろうか。議員一人一人の意見を聞いてみたいものだ。
 都市計画、街づくりの専門家、プロたち、国、県、市には役人として、その知見を発揮する人材がそろっている筈である、街づくりへの知識、経験が十分で公正な評価、判断ができるプロフェショナルである。この10数年、鉄道高架の計画づくり、事業実施について、プロとして、彼らは何をしていたのか、内心忸怩たる意識はないのか、政治が混迷する今だからこそ、専門家プロとしての、見識を発揮すべきだと考えないのか。
 適切な世論を形成するのは、メディア、マスコミがどう報道するかにかかっている、本来マスコミには公平公正で中立的な立場が求められるものの、自らの判断、評価をすることもマスコミの重要な役目であろう。それには、しっかりした取材と分析評価する知見が欠かせない筈だ、地方の記者は若くて、経験不足であるのは否めないが、鉄道高架に関する体制の報道をただ伝えるだけでなく、適切な評価ができるように知識経験を広めてもらいたいものである。
 ことを最終的に決めるのは市民であり、市民の意識こそ肝心であるが、かって、石油コンビナートの進出を拒み、この地域の優れた自然環境を守り抜いた先輩市民がいたにもかかわらず、恵まれ過ぎた自然、都市環境に安住して、何事にも「おらは知らないよ」という退嬰的な市民意識が強まり、市政の刷新が遅れ、鉄道高架の混迷を招いてきたのではないのか、沼津市民は他人事だと只傍観しているのではなく、時代の厳しい変化を認識し、自らの問題として積極的に声を上げることが何より必要ではないのか。
20数年の混迷の時代を経て、今こそ沼津市民の市民意識の高さ、政治行政の責任感の強さ、民主主義、地方自治の機能、役割が強く問われる時である。故郷沼津の街を愛する元沼津市民として、一言申し上げたい。
 2014.7.23 長谷川徳之輔

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