8月15日、終戦記念日、毎年、多くの議員さんたちが参拝して、公式参拝だとか、私的な参拝だとか、奇妙な質問が聞かれるが、今年は一段と騒がしかった。小泉首相は、自民党総裁の重要な公約だとして、国際紛争が激化するのを覚悟して、第2次大戦が終わって、中国、韓国が勝利した8月15日に靖国神社の公式参拝をしたからである。世情は、新聞の予定稿のように、さまざまの意見評価が、百家争鳴の状況で一斉に噴出している。政経分離を主張する公明党の神埼党首は、与党の立場であるにかかわらず、遺憾の意を表明し、自民党内でも、支持不支持の異論が続出している。一般国民も同感する人もおり、反発する人もいる。
特に、中国、韓国は、首相の公式参拝は、日本の軍国主義の現われだと猛反発している。正直言って、内外で何故、靖国参拝がこんなに論議を呼ぶのか、一般市民としてはなかなか理解しがたい。報道がなければ、靖国神社問題に、関心を持つ市民は多くはないだろう。この60年、戦争の象徴だという靖国神社など意識しない、平和ボケと言われるほど、日本の平和が続いているからである。心の問題であれば、それぞれ個人が、自由に参拝すればよいだろうし、お互いに国際紛争の手段にすることもないのにと思われる。論議を呼ぶのは、靖国参拝が神社、神道という宗教問題なのか、政教分離の憲法問題なのか、日本の戦争責任を認識するか、しないかの国際問題なのか、はた、日本固有の歴史文化の問題なのか、何が問題なのか、一般市民はよく分からないのが本音ではないのか。
今年特に問題が鮮明になったのは、靖国参拝が、日本、中国、韓国と言う儒教文化を共有する3力国の国際問題になっているからだと言う。中国は、中日戦争の悲劇を生んだ日本の軍国主義の復活は許さない、A戦犯が、合祀される靖国神社に首相が参拝しするのは、日本が戦争責任を認めないからだと言う。韓国は、独立国朝鮮を30数年間植民地にした日本の責任が問われており、靖国参拝の首相参拝は、その責任を認めない現われだという。そうだとも思えるし、61年前の古い話を持ち出して、日本を攻める国際紛争のカードにする、典型的な内政干渉だとも思える。同じ歴史を共有する同文同種の国だけに余計、相互の歴史感覚は、教科書問題でも対立することがあろう。
我々世代は、歴史の勉強は、西洋史で欧米は一括で、中国は4000年の中国史として習ったのであり、小学生から、「遠方より友来る、また楽しからずや」と孔子様の論語を習ってきている。その勉強で、中国の歴史は、王朝の歴史も、その王朝が終わって、歴史上の評価が固まるまでは、正式な歴史書、正史は書かれない、だから、100年前に終焉した清朝時代の正史はまだ書かれていないと習ってきた。そうなると、ほぼ200年前のアヘン戦争も、100年前の日清戦争もまだ歴史として総括されていない、ということだろうか。とすれば、60年前の第2次大戦、中日戦争は、中国では、まだ現実であり、日本から、古い話であるから、もう今になって、歴史問題として、責任を糾弾するのは、やめてくれとは、言えないのかもしれない。
中国が、イギリスの理不尽なアヘン戦争を国際問題にしないのは、イギリスはもう老大国で、いまさら大国中国が相手にすることもない、しかし、日本は、かっては、文化文明では東夷の国として中国の下風に立ちながら、中国が苦難をなめた時代に中国を反面教師として成長して、経済大国になった実力ある国だと思っているから、生意気だという思いで歴史問題を持ち出すのかもしれない。ある意味では、日本に敬意を持ち、尊敬しているから干渉するのだと、大人の評価をしても、いいのでのではなかろうかとも思える。
(長谷川徳之輔エッセイ)