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長谷川名誉教授の講演 渡辺利明

長谷川名誉教授の講演 渡辺利明
 長谷川徳之輔・明海大学名誉教授は、四小、四中、東高を卒業。昭和三十四年に東北大から建設省に入省、国の建設行政の中核に身を置き、戦後経済、社会資本のあるべき姿などを研究し、六〇年代の不動産を中心としたバブル経済の進行に対し、いち早く警鐘を鳴らし、当時はNHKや民放番組に解脱者として連日駆り出されていた。
 バブルに手を貸した不動産業、ノンバンク、金融機関の経営姿勢を厳しく糾弾する彼とは、当時銀行に席を置いた私は、よく議論を交わした。しかし、その後の事態の推移を見れば、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行の倒産など激変が続き、我が国経済は「失われた二十年」と冒われる経済の低迷を受けて現在に至っている。
 最近、ようやく全国レベルで問題化しつつある「地方の衰退化問題」について、彼は生まれ故郷沼津の鉄道高架事業を具体的事象として取り上げ平成二十年、『衰退し続ける地方都市再生の道をさぐる』を出版したが、これより以前から、建設経済にかかる豊富な体験かち沼津駅付近鉄道高架事業の抱える問題点を鋭く指摘していた。これまで何回となく川勝平太知事、栗原裕康市長、地域有力者らに問題提起してきたが、中央官庁に長く携わってきた彼にすれば、この事業はバブル期に企図されたもので、これに固執していることが沼津衰退の一因と捉えている。知事、市長に、この事業の基本的問題を直視するよう提言してきたが、何の反応もないという。
 また、高校、建設省の後輩である櫻田光雄氏、斎藤衛氏が、かつて市長の座を争い、長谷川名誉教授は二人の先輩の立場から、「この間題について市民のために、どうすれば良いのか」建設のプ回として十分話し合うよう求めたが、二人とも聞く耳を持たなかった。また二人が、この問題に深く関わって来たのに、何の発言も、弁解もしていないことに失望しているという。
 知事は難航する原地区への貨物駅移転を前提に,鉄道高架事業実施の腹を固めたようだが、移転用地の確保には、これから何年掛かるか分からない。ましてや高架事業の完成までには十五年から二十年、あるいは何十年先のことになるのかも知れない。
 長谷川名誉教授は、事業目的であった沼津駅の南北交通渋滞は既に解消されているのだから、として現在の不便な状態を解消するために沼津駅に自由通路、さらに、これを幅約一〇〇㍍ぐらいに拡大して八千平万㍍程の空中空間の建設を提唱している。これなら人やベビーカー、車椅子、自転車などが自由に南北を通行できるようになり、問題は一挙に解決するという。この空中空間の上に他に何を設けるかは検討しなければならないが、空中空間そのものは三十億円程度で出来るだろうとし、鉄道高架事業と異なり短期、ローコストの建設が可能だという。
 実は、この提案は(昨年のPI委員会でも取り上げられたものだが、十四日の講演では、この問題を中心に脱明したいという。
 講演では、沼津市、三島市、長泉町、清水町、函南町は、人の交流、経済活動などで一つの地域として形成されており、この観点からの取り組みが必要であることを指摘したいといい、具体的なデータなどを墓に、沼津が現在の低迷から脱する処方箋が示されると思う。
 十四日の講演には、沼津の未来に関心を寄せる多数の方々の来場をお願いする次第です。聴講は無料です。
 時間は午後七時から八時四十分。会場は市立図書館四階の視聴覚ホール。(下石田)
(沼朝平成26年11月12日「言いたいほうだい」)
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徳之輔エッセイ:日本と中国、外国をどういう文字で表現するか

日本と中国、外国をどういう文字で表現するか


  このところ、歴史問題を中心に日本と中国の関係がギクシャクしている。「同文同種、同族同州」とか言われる同じ文化、文明を共有すると思われる二つの国の間には、経済、通商のように合理的に解決できる問題ばかりでなく、簡単に片づけられない心情的、政治的に相克する文化、歴史の問題が横たわっている。尖閣列島をめぐる領土、領海争いにも、それが顕著に表れている。黄帝以来4千年の歴史を持つ中国は、中華思想を根底にする覇権国家であり、黄河流域の中原に統一国家が成立して以来、まさに中華、文明国として天下、世界の中心だと自負し、周囲からもそう意識されてきた。周辺諸国は、東夷、北秋、南蛮、西戌と禽獣の名で侮蔑される非文明国で、中華の下にある属国、朝貢国であったのだ。東の夷と言われる日本が国家として成立したのは、たかだか千3百年前の7世紀のこと、中国では、階、唐の世で、文化練乱の時代であった。確かに日本の文字、芸術、宗教などの文化、政治体制はすべて中国からの輸入品であり、長い間に換骨奪胎して、独自の文明を作り上げたというが、漢籍、漢語は、日本人の政治、文化、学術の基礎であり、誰もが孔子、孟子を学び、李白、杜甫を唄い、中華文化を畏敬してきた。

 日本、中国が国際化の波にさらされたのは、19世紀半ば、欧州諸国の帝国主義の膨張によってであり、砲艦外交で中華主義、鎖国体制が失われ、欧米流の国際社会に組み入れられた時である。ただ、欧米の帝国主義の圧力の中で国際化をどう進すめたかが、その後の中国と日本の格差をもたらしたのである。日本は1868年に明治維新により開国し、近代化に踏み切った。中華思想を背景に近代化、国際化が遅れる中国を反面教師にして、鎖国から開国に向かい、富国強兵の道を歩み、脱亜入欧を図り、20世紀前半には経済的テイクオフを遂げることができた。他方、中国の近代は苦難の歴史である。1840年のアヘン戦争以来百数十年、中国は欧米帝国主義の圧力で、アロー号事件、清仏戦争、日清戦争、義和団事件、英国の香港、ロシアの遼東半島、ドイツの青島などの植民地の争奪や国内の軍閥の割拠、内戦など外憂内患の苦しみを味わってきた。20世紀後半、やっと中華人民共和国が成立した後でも、朝鮮戦争、中ソ対立、毛沢東の大躍進の失敗、文化大革命の混乱が続き、共産主義の崩壊の後に、天安門事件を経てやっと今の状況に達する。近代化に道に実に200年余りを要したことになる。中国の人たちは、この200年の苦難の歩みの後、今、苦難の連続だった国力、経済も日本を追い越して、やっと世界第2位の経済大国になったと、中華の自信を取り戻しているのではないのだろうか。日本への見方も、東夷として見下していた後輩国に立ち遅れ、経済的、国際的に後塵を拝していたときの劣等感、敗北感を脱して、ようやく優越感を回復する時代になったという気持ちがあるのだろう。良かれ悪しかれ中華意識の復権である。だから、余計に歴史問題を持ち出すのかもしれない。

 中華思想から中国が国際社会を見る目は、周辺の外国を東夷、北秋、南蛮、西戌と禽獣の名を使っていたように、各国を歴史的にどのような文字で表現したかでも理解できる。日本は、魏志倭人伝で言われるように東の夷の倭国であった。北の秋の国は勾奴、鮮卑、女真などで奴の国、西の戌の国チベットは吐蛮、南の蛮の国インドは身毒と表現されていた。いずれも国家として誉めた文字ではなく、非文明の国だと貶めた文字である。しかし、微妙な中華意識も垣間見られる、欧米諸国の呼称には、別の表現がある。イギリスは英国、アメリカは美国、フランスは法国、ドイツは徳国、イタリアは義国であり、この言葉、文字にも、欧米文化への畏怖、畏敬の念が感じられる。日本は倭国で、禽獣ではなく、まだ人偏の文字であるだけ準文明国視されていたのかもしれない。同じ欧米諸国でも、ロシアは、日本と同じ人偏の文字の俄国と表現されるようだが、中国から見れば、ロシアは文明が遅れた野蛮な北秋の国と考えたのであろう。歴史問題は実に複雑であり、一筋縄ではいきそうもない。しかし、文字、言葉によって、理解できることにも、同文同種の文化を共有しているということは否定できまい。
(長谷川徳之輔エッセイ)

同文同種の国として礼を重んじることは出来ないのだろうか

同文同種の国として礼を重んじることは出来ないのだろうか


 


815日、終戦記念日、毎年、多くの議員さんたちが参拝して、公式参拝だとか、私的な参拝だとか、奇妙な質問が聞かれるが、今年は一段と騒がしかった。小泉首相は、自民党総裁の重要な公約だとして、国際紛争が激化するのを覚悟して、第2次大戦が終わって、中国、韓国が勝利した815日に靖国神社の公式参拝をしたからである。世情は、新聞の予定稿のように、さまざまの意見評価が、百家争鳴の状況で一斉に噴出している。政経分離を主張する公明党の神埼党首は、与党の立場であるにかかわらず、遺憾の意を表明し、自民党内でも、支持不支持の異論が続出している。一般国民も同感する人もおり、反発する人もいる。


 


特に、中国、韓国は、首相の公式参拝は、日本の軍国主義の現われだと猛反発している。正直言って、内外で何故、靖国参拝がこんなに論議を呼ぶのか、一般市民としてはなかなか理解しがたい。報道がなければ、靖国神社問題に、関心を持つ市民は多くはないだろう。この60年、戦争の象徴だという靖国神社など意識しない、平和ボケと言われるほど、日本の平和が続いているからである。心の問題であれば、それぞれ個人が、自由に参拝すればよいだろうし、お互いに国際紛争の手段にすることもないのにと思われる。論議を呼ぶのは、靖国参拝が神社、神道という宗教問題なのか、政教分離の憲法問題なのか、日本の戦争責任を認識するか、しないかの国際問題なのか、はた、日本固有の歴史文化の問題なのか、何が問題なのか、一般市民はよく分からないのが本音ではないのか。


 


今年特に問題が鮮明になったのは、靖国参拝が、日本、中国、韓国と言う儒教文化を共有する3力国の国際問題になっているからだと言う。中国は、中日戦争の悲劇を生んだ日本の軍国主義の復活は許さない、A戦犯が、合祀される靖国神社に首相が参拝しするのは、日本が戦争責任を認めないからだと言う。韓国は、独立国朝鮮を30数年間植民地にした日本の責任が問われており、靖国参拝の首相参拝は、その責任を認めない現われだという。そうだとも思えるし、61年前の古い話を持ち出して、日本を攻める国際紛争のカードにする、典型的な内政干渉だとも思える。同じ歴史を共有する同文同種の国だけに余計、相互の歴史感覚は、教科書問題でも対立することがあろう。


 


我々世代は、歴史の勉強は、西洋史で欧米は一括で、中国は4000年の中国史として習ったのであり、小学生から、「遠方より友来る、また楽しからずや」と孔子様の論語を習ってきている。その勉強で、中国の歴史は、王朝の歴史も、その王朝が終わって、歴史上の評価が固まるまでは、正式な歴史書、正史は書かれない、だから、100年前に終焉した清朝時代の正史はまだ書かれていないと習ってきた。そうなると、ほぼ200年前のアヘン戦争も、100年前の日清戦争もまだ歴史として総括されていない、ということだろうか。とすれば、60年前の第2次大戦、中日戦争は、中国では、まだ現実であり、日本から、古い話であるから、もう今になって、歴史問題として、責任を糾弾するのは、やめてくれとは、言えないのかもしれない。


 


中国が、イギリスの理不尽なアヘン戦争を国際問題にしないのは、イギリスはもう老大国で、いまさら大国中国が相手にすることもない、しかし、日本は、かっては、文化文明では東夷の国として中国の下風に立ちながら、中国が苦難をなめた時代に中国を反面教師として成長して、経済大国になった実力ある国だと思っているから、生意気だという思いで歴史問題を持ち出すのかもしれない。ある意味では、日本に敬意を持ち、尊敬しているから干渉するのだと、大人の評価をしても、いいのでのではなかろうかとも思える。


(長谷川徳之輔エッセイ)

時と度量衡、尖閣、竹島に思う文明の相克:徳之輔エッセイ

時と度量衡、尖閣、竹島に思う文明の相克。


 尖閣、竹島の話、日本人にとって、突然の騒ぎであり、そのあまりにも激しい中国、韓国の反日の動きに驚きを禁じざるを得ない。中国、韓国の動きには、国際的、国内的な政治情勢や微妙な対日国民感情がその背景にあるのだろうが、この問題には、国家としての政治的、軍事的、経済的なパワーの問題だけではなく、民族、文化、文明としての作られた歴史意識、民族意識が微妙に顕在化しているのだと思う。今の騒動も、一時の感情的なナショナリズム、その反発の解消ではなく、日本・中国・韓国に共通する長い歴史、文化、文明の儒教社会での、孔子の教え、論語により世界で一番成熟した文明の大人の精神、文明の発露として相互理解の解決が図られて欲しいものである。私も、個人的な経験も含めて、中国、韓国、日本の関係を冷静に、適切に、客観的に調べ、勉強して、相互の考え、見方をしっかり理解したいと思う。そこで、私が出会った個人的な話をしたい。

 もう10数年昔のことだ、韓国のソウル大学で日本と韓国の都市計画を専門とする学者の研究会、勉強会があって、議論に参加したことがあった。韓国の学者たち、実に立派な紳士で、学問的な造詣にも深く、日本語も堪能な親日的な人物だった。みなさん、尊敬できる人柄で、東京大学の都市計画の教室に留学か滞在して、日本・韓国の都市計画を研究した自負心を持っている学者たちであった。その講義の一つにソウルの都市計画、区画整理の話、その成果が語られた。私の理解では、ソウルで区画整理を実施したのは、韓国がまだ、日本統治の時代であり、当然に区画整理も日本の制度、システムに従って行われたものと理解していた。それは、それでいいのだが、微妙な民族意識を招いてしまったようだ。講師の先生が、何かご質問をと言われたので、資料の土地の面積の単位に「坪」という単位が表示されていたことから、つい、面積の単位がハングルでないのは、日本時代の計量単位の「坪」を使っておられるからかと、無神経な質問してしまった。

 ところが、講師の紳士が突然、激昂してしまったのに驚かされた。「長谷川先生、貴方が間違っていますと大声で説明を始めた、日本の単位、坪が韓国、朝鮮から日本に伝達されたもので、韓国の坪が日本から伝えられたものではありません。誤解されないようにという指摘だった、その単位、日本では「坪」を京間とか江戸間とかに変形して使ってしまったのだ、そもそも、韓国の単位も中国からのもので、坪は韓国では「ピョン」、中国では「ピン」というのであり、その原単位は、中国の秦の始皇帝から始まっている、始皇帝の背丈が1間として、それから長さ、広さの単位が決まったのだという説明で、日本の坪は、中国の単位が朝鮮を経由して日本に伝わったもので、時や度量衡を見ても、日本の文明は中国の伯父、朝鮮の叔父の配下にある甥であるという説明だった。

 さらに、長谷川さん、帝の帝たる由縁をご存知ですかと畳み込まれた。知りませんというと、彼はこう説明してくれた。帝の帝たる由縁は、時と度量衡を制するにあるという。儒教の国の時と度量衡はすべからく、中国の孔子の教えにあるというのだ、儒教の国では、中国の皇帝が決める時が、時の基準であったので、国際的にも、時は中国の時を使い、日本の帝は自分の国でしか使えない年号、明治とか昭和とかを決めているだけで、その時に国際的な普遍性はなく、帝とは言えないということである。

 確かにそうだ、北京の明清帝国の牙城の紫禁城の広場には、時を示す日時計と度量を示す升形のモニュメントが飾られている。この二つの器が明清の帝の力を示しているのだろう。地球の大きさをべ一スにするメートル法も皇帝ナポレオンが文明の象徴として決めたもので、世界の標準になり、メートル原器はフランスある。経度・緯度は、イギリスのグリニッチ天文台がゼロ度で、地理的にも世界の中心である。最大の時の基準は、キリストの生誕を基本とする西暦であり、今年が西暦2012年であることに、国際的に誰も異存をつけようがない、日本、台湾やイスラムで、それぞれの時を決めているが、それは自国の建前の暦で、国際的には、ほとんど機能していないだろう。確かに、世界の文明は、いまだに、度量衡を定めた中国の極楷からも、19世紀の欧州文明が決めた時や原単位から脱することはできない、日本は、その文明の最末端にあると思われても仕方がないが、我々には、日本が世界の文明の標準になったという自負心があるのも否定できない。その微妙な、民族意識、自負心が、今回の騒動の根っこにあると思うのは考え過ぎだろうか。
(長谷川徳之輔エッセイ)

沼津駅周辺鉄道高架の本質的な問題 長谷川徳之輔メールより



沼津駅周辺鉄道高架の本質的な問題点

 世の中の誰に聞いても、今の時代に意義に乏しい、ばかげた鉄道高架事業をやるべきであり、やれる筈だと心から思っている人は、知事や市長、議員らの政治家にも、行政当局にも、市民にも、いる筈はないだろうと思います。見直しへの結論は見えているのです。問題は、全員が鉄道高架の問題点を理解しつつも、その全体像や仕組みを知ることが出来ず、どうしても自分の利害得失だけで考えてしまうことです。沼津駅周辺鉄道高架事業は6種類の事業の複雑な仕組みの上に、計画されて20年以上を経過し、時代の激変の中でその仕組みや本質が変わっているにも関わらず、所要の検証をされることなく、市民はもとより、政治にも行政当局にも、その本質、全体像を理解しない、理解できない状況に陥っているのではないかと思います。

 私は折に触れて、適切な論議が行われることを期待して、元建設省に勤務した知識経験から、誰にも見てはもらえなかった鉄道高架事業の解説書などを描いてきました。「なぜ、沼津市民は沼津駅周辺鉄道高架事業を考え治さなければならいか」2008年の市長選挙の時に市民向けに鉄道高架を易しく解説したもので、計画の内容、コスト、費用負担、その効果、財政事情、現実的な事業の提案、さらに如何にして撤退するかを、本文20ページに及ぶ文書としてまとめたものです。もう一つは2012年の有識者会議やPI委員会の論議の際に、「沼津駅鉄道高架PIプロジェクト・実施計画に関する意見」は私の意見として、大型公共事業の妥当性、利益に見合う投資効果、沼津の復権の可能性、だれが責任者か、さらに如何にして円滑に撤収するのかを専門的な視点で描き、当局に提出したものですが、県、市の当局からは忌避されて、審議されることもなく、お蔵入りになったものです。本質を知ることが怖かったからだろうと当局の無礼も許すことにしていたものです。

 この10数年、一市民、一専門家として、利害損得とは無縁に、行政当局、市民にその本質を訴えてきましたが、放置され続け、残念ながら私の意欲も無駄骨であったのかもしれません。でも、ここまで来たことに、私のささやかな正義感が少しは貢献したのとも思いたいものです。最終段階に当たり、行政、市民の間で合理的、民主的な論議が行われますよう、これら資料、ご担当の事務方にお渡しいただき、何かご利用されるなり、参考にしてくだされば幸いであります。

 2014.8.7  長谷川徳之輔  明海大学名誉教授

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