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もう一度終焉を迎えている 鉄道高架事業の本質を語りたい

「もう一度終焉を迎えている
 鉄道高架事業の本質を語りたい」
 上 長谷川徳之輔
 ばかかペテン師かこの二十数年、四半世紀もの間、沼津市民の間の不毛の諭争、争いの種であった沼津駅鉄道高架事業も実質的には終焉の時を迎えているようである。
 先日の沼津駅の高架化を実現する市民の会でも、発言は後ろ向き(及び腰であり、推進しようという勢いは見られず、沼津市議会の論議も数年前とは大違いで、議会での質疑は意図的に避けられて、話題にする様子すらなく、選挙の争点にもならない。正直、誰もが、黙って顔を見合わせ「様子見をしているだけのようである。
 今の時期に、二〇〇〇億円、十五年をかけて東海道線と御殿場線の数キロの区間を高架化する事業が、沼津市の衰退を解消し、再生を図るために、ぜひともやるべき事業であり、財政的にも心配はなく、沼津市には推進する実力があると、本当に、心からそう思っているとしたら、よほどの理解力の欠落した、大ばか者だと思うし、本心ではそう思っていないのに、建前上でそう思うというのであれば、いかさまペテン師、詐欺師と言われても仕方あるまいとも思う。ばか者だのペテン師だの言い方は品がないが、昨今の行政や政治の曖昧な姿勢に、正直、誰でもが、そう感じているであろう。
 無視された中立、理性的な主張 
私も、沼津市民でもないのに、この問題にかかわって、十年以上たつ。二十年くらい昔、建設省に在籍したころ、沼津市に誘われて、都市計画について、当時の沼津軒の屋上から駅の周辺を眺めて意見を交換したこともあった。
 建設省を辞めて、大学に転じた頃、沼津市長は、高校、建設省の後輩の桜田光雄さん、彼から計画の話をうかがったこともあるし、市長が斎藤衛さんに変わった時も、意見を伝えた記憶がある。
 その後、斎藤さんと桜田さんが、鉄道高架を巡る対立で市長選挙を争った時、なぜ計画を作った桜田さんが見直しを言い、見直すことで引き受けた斎藤さんが推進だというのか不可思議だった。結果は、ほぼ同数の票で、推進と見直しに決着がついたわけではなく、桜田さんも斎藤さんも行政のプロだし、役所や故郷の先輩として、二人によく話し合って市民にとって最良の計画を考えたらどうかと提言したが、二人とも耳を貸さなかった。
 残念だと思い、その後は一市民として、一専門家として、その知識、経験から鉄道高架事業について、問題点の指摘や意見や提案をマスメディアや目分のブログに掲載し、自費で出版物まで作って、行政や市民への啓発を続けてきた。誰に頼まれたのでもなく、利害損得の全くない立場で、その本質を問う中立的、理性的な言動を続けてきたものと思っている。
 鉄道高架事業が、理論的、理性的に論争されずに、リコール運動などの政治闘争の手段となっていることで市民を批判したこともあった。多くの市民からの理解、賛同の声はあっても、行政も、政治も、いまだにその反応は乏しい。賛成にしろ、反対にしろ、行政も政治も何も言ってこないし、間違いがあったなら質すこともしない。ただ、論争を避けるために、無視して、さわらぬ神にたたりなしという消極的な姿勢しか見せてくれない。
 せっかくの私の本も市会議員さんからまとめて送り返されてきたのにはびっくりした。正論で、反論できないから黙っているのも、仕方なかろうと思うしかない。
 そんな十数年も過ぎ去った。今、終焉を迎えているこの問題に最後の主張をしたい。もう一度肉上品ではないが、思うところ正直に、露骨に、意地汚く語ってみたいので
ある。
 数字で鉄道高架事粟の本質を間う 
もう一度、鉄道高架事業の本質を、もっと易しく、数字で説明してみよう。沼津市の資料によると、沼津市の中心市街地の衰退は、東海道線、御殿場線が南北に市街地を分断しているからであり、分断を解消するには、鉄道線路をカサ上げして、高架にする、これによって沼津の衰退は解決するという話である。
 JR東海道本線3・7㌔、御殿場線1・6㌔を高架にする鉄道高架事業を中心に関連する六本の公共事業を策定した沼津駅周辺総合整備事業の全体事業費は、鉄道高架事業が七八七億円、高架関連冨業が四四五億円など全体で一九九八億円で、これまでに五四〇億円を使い、箱モノのイーラdeやコンベンション施設は完成したが、肝心の鉄道高架事業には手が付かず、全く進んでいない。
 全てこれからの事業で、その額は一四五八億円と計算され、どういう計算なのか不明だが、この事業費のうち沼津市の負担は五〇三億円、残りのおよそ一〇〇〇億円は国や県が補助し、負担するということである。
 もともと鉄道高架事業は旧国鉄への経営救済の事業でもあり、事業で生まれる施設は全てJRの資産であるにもかかわらず、JRは僅かな費用しか負担しない。大部分の費用を自治体が負担するにもかかわらず、市民の利益は、あるのかないのかも、よく分からない二十年先の南北の自動車交通の便が良くなるかもしれないということであり、市民にとっては、まことに、何のためなのか分からない、間尺に合わない事業である。
(明海大学名誉教授、東京都目黒区)
《沼朝平成25年7月18日(木)号》


「もう一度終焉を迎えている
 鉄道高架事業の本質を語りたい」
 中 長谷川徳之輔
 人口一人当たり一〇〇万円、破天荒な投資規模
 そもそも、人口二〇万人の中小都市が二、○○○億円もの箱もの事業を実施できるのかどうか、その規模が財政面から見て現実的かどうかである。大きいことはいいことだ、何でもありのバブルの時代の悪しき遺産であり、今見れば破天荒の規模である。
 二、○○○億円の投資額は、二〇万人の人口では、子どもまで含めて一人あたりの金額は一〇〇万円、世帯あたりの額は年収の三、四百万円にも相当する規模である。これをやれるとすると、人口三七〇万人の静岡県では三・七兆円、人口一億二、六〇〇万人の全国では、一二六兆円もの新規事業を進めることに等しいのではないのだろうか。
 あの東日本大震災の復興事業費一六兆円さえ、財源調達に無理をした予算規模である。人口二〇万人の都市に二、○○○億円もの新規投資は不可能であり、分不相応な投資規模だと言わざるを得ない。
 これからの事業費が一、四五八億円でも、なんとかやれるという理由として、億円を万円単位に替え、この鉄道高架事業を、家庭が住宅を新築する仕組みに例えて、こう説明されている。
 二、○○○万円の新築費に対して、収入は七〇〇万円あり、親からの遺産や補助が一、五〇〇万円あるので、自分の負担は五〇〇万円に過ぎず、七〇〇万円の収入で借金を返せるから大丈夫。だということらしいが、そんな説明で市民が納得し、話が通るものだろうか。そもそも、極度に悪化した財政難を抱えた、親だという国や県の遺産や補助が当てになるはずもない。本当に新築する気なら、その分も自分が負担する覚悟が必要なのだ。
 なけなしの収入七〇〇万円は年々減り続け、今の生活を賄うのにさえ十分ではなく、毎年借金を重ねている始末であり、鉄道高架の巨額の借金の返済に回せる余裕は全くない。おまけに過去の負債が一、三〇〇万円も残っている。
 とすると、二、○○○万円の住宅を新築するためには、過去の借金も含めて三、三〇〇万円もの負債を抱え、それを別会計で、その負債を、収入が増えない次の世代が背負っていくことになる。
 金利すら大変だ、元金が返せるはずがない。財政のフィージビリティー(可能性、実現性)をどう説明するのかが肝心であり、鉄道高架問題の根源はここにあるのだ。
 沿線人口一〇〇〇万人、どこの都市に連続立体があるのか東京駅から沼津駅まで一二九㌔、東海道線は都心の新橋駅を過ぎれば、道路と鉄道の平面交差が続き、どこにも連続立体などは見当たらない。新橋を過ぎて、品川駅まで一〇㌔あまりの区間は巨大な車両基地と鉄道線路で分断されて、横断する道路も見当たらない。陸と海岸とが完全に分断されている。
 品川から蒲田を過ぎて多摩川の河原まで大都会の真ん中でありながら、一〇㌔の区間に延々と平面交差の線路が続いて、自動車の横断はままならず、まともな道路は環状七号線と八号線だけしかなく、南北を横断するのに一㌔も、二㌔も迂回せざるを得ない。
 川崎駅も横浜駅も全く同じ。鉄道を潜る道路が、ようやく両サイドを結んでいる。品川駅では、巨大な駅中の歩行者だけの横断橋が南北を結んでいるだけである。どこにも、連続立体の姿はない。
 藤沢駅、平塚駅、小田原駅と、沼津市より人口が多い都市のどこの駅にも連続立体交差は見当たらない。なぜ沼津駅だけに鉄道高架が必要なのか。
 一時間に四本しか通過しない御殿場線に高架が必要か東京駅から沼津駅まで一二九㌔の沿線の人口は、東京駅南西区部二一一〇万人、川崎市一四三万人、横浜市三七〇万人と並び、全体で一、○○○万人に近い市民が生活している、当然に沿線の経済活動も、交通量も沼津市の人口二〇万人に比して、はるかに大きいにもかかわらず、連続立体はどこにも造られていない。
 蒲田駅周辺の鉄道交通量は一時間当たり、京浜東北線は四分間隔で上下三〇本、東海道線は八分間隔で上下一五本、合わせて四五本の列車が通過する。一本一〇画編成で時間当たり四五〇両の車両が通過するのであり、まさに開かずの踏切の連続である。
 他方、沼津周辺の鉄道交通を見ると、御殿場線は一時間二本の列車で、上下で四本、三両編成だから一時間に通過する車両は一二両に過ぎず、踏切はほとんど開いている。東海道線にしても、せいぜい五〇両程度であろう。交通密度に四五〇両対一二両と三八倍もの格差のある線路で、なぜ密度が極端に低い御殿場線を高架にする実益があるのか、誰しも疑問に思うはずである。
(明海大学名誉教授、東京都目黒区)
《沼朝平成25年7月19日(金)号》


「もう一度終焉を迎えている
 鉄道高架事業の本質を語りたい」
 下 長谷川徳之輔
 鉄道高架にホントにメリットはあるのか、JRだってお荷物に連続立体は、やっと完成したJR中央線や今なお建設途上にある小田急線のように、道路と鉄道の間の交通の効率化、安全の確保だけでなく、鉄道側には、運行時間の短縮や交通量の増加など経営上のメリットがあってしかるべきだが、沼津駅周辺の連続立体にその効果は全く期待できないし、JRの収入は増えるどころか、新しい設備の減価償却もかさみ、収益は増えるどころではなく、損ばかりで、メリットに乏しい。
 ただ、当面の鉄道高架の工事費が自治体の負担で、それが大半、JRの施設のために回るという短期の利益だけがメリットなのであろう。
 金行政や市民が考えなければならないことは、沼津駅周辺の鉄道高架事業は本当にメリットのある事業なのか、誰にとって、どのようなメリットがあるのかを明確にすることである。
 南北交通の円滑化という、遠い先の、不鮮明なメリットだけで巨額の負担を強いられる沼津市、沼津市民の立場が一番に不運だし、自治体の負担で鉄道高架のために不必要な貨物駅の移転や車両基地の整備などを進め、新しい設備にしたところで、JRの経営に役にたつのかどうかも分からない。
 今の時期、地方都市における効果の薄い鉄道高架事業が、本当にやるべき国策であるのか、公共事業による自治体や市民への利益は何なのか、鉄道サイドに本当の経営上のメリットがあるのか、もう一度考えることである。
 よく見れば、鉄道高架事業は、他にやるべき事業を失わせる二、○○○億円の壮大な無駄遣いだと評価せざるを得ない。
 行政、政治の無責任体制、存在意義を示せ今は、行政も政治も、経済社会の激変を前にして事態の変化に戸惑い、動けない状況にいるようだ。本来の貨物駅移転の事業主体は沼津市であり、静岡県は高みの見物であったのだろうが、土地収用法の規制から事業主体にさせられて戸惑い、有識者会議やPI委員会に討議を委ねて結論を先延ばしにし、時間稼ぎをしている。
 本来の事業主体の沼津市は、これ幸いと静岡県に責任を転嫁し、自分が事業主体であることも忘れて、PI委員会への参加もせずに知らん顔を決め込んでいる。国やJRは、全く関心を示していないだろう。
 沼津市長も静岡県知事も、責任者としての対応もなく、曖昧な発言しかしていない。誰も火中のクリを拾おうとしない、こんな状況がだらだらと続いていくとしたら、市民の不利益、負担は増すばかりである。 このまま無責任体制を決め込んで、もたもたしていたら、国や県からは、やるか止めるかは沼津市、沼津市民の決めることだと見放され、放置されるだけ、助けてはくれまい。
 周辺の自治体からは、沼津の借金のツケを回されないで済むと安堵され、沼津の馬鹿さ加減が嘲笑されるだけだし、沼津主導の合併など論外だ。沼津市民にしても、街がますます衰退すると、周辺へ逃げ出したくもなるだろう。JRから苦言が出ないとも限らない。解決を延ばしていいことはないのだ。
 今、肝心なことは、沼津市、沼津市民が自ら、時代の激変や沼津の置かれた環境、条件を素直に理解し、如何にして事態を円滑に転換させるのか、南北自由通路でも、人工地盤でも、鉄道高架に代わるべき対案を打ち出すことであり、再検討のリーダシップをとることではないのか。
 もう放置する時間もないし、無駄に時間を費やすことは、沼津市民のマイナスを増やすだけである。今こそ、逃げていてはいけない。行政、政治がリーダーシップを発揮する時だし、それが栗原裕康市長らの行政、市会議員達の政治の責任ではないのか。(おわり)
(明海大学名誉教授、東京都目黒区)
《沼朝平成25年7月20日(土)号》
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「同文同種の国の歴史論、文化文明の発露として語ろう」

「同文同種の国の歴史論、文化文明の発露として語ろう」 長谷川徳之輔
 またも歴史問題で、日本人の心が揺れている。タレントとしての人気、ポピュリズムの風潮の中で生まれた若輩の地方政治家の従軍慰安婦を語る片言隻句に、世界中のメディアも知識人も、これぞ日本問題という批判の声を上げているが、日本の中でも、女性への蔑視だという感情的な倫理問題で論じられる向きが多い。
 この声は一政治家への批判中傷ではなく、日本の歴史、文化、社会、日本人の存在への根深い国際的なわだかまり、非難中傷の見方をも表していると考えなければなるまい。
 従軍慰安婦という言葉の論議より、このような不条理な問題が、なぜ国際的な話題になるか、批判中傷されるのか、本質的な論議を避けてはなるまい。
 世界の五大国の一人、唯一の非白人国家だと夜郎自大の意識でいた日本人は、一九四五年の敗戦で、その誇りも、自信も砕かれて、飢餓の境、貧困の淵に陥った。
 しかし、幸運なことに二十世紀後半の国際情勢、アメリカ追随の恩恵を受け、平和憲法を極意にして経済活動に励み、飢餓の境から暖衣飽食の果てに、極貧の国から世界一の経済大国にまで上り詰める奇跡を生んできた。
 今や、飢える人も凍える人もいない、繁栄を謳歌し、言論や政治の自由は確保されて、基本的人権は保障され、自由を侵されることはない。教育は普及し、科学技術も進み、ノーベル賞も授与され、映画や音楽の芸術にも日本の文化、日本人の存在は際立っている。
 とりわけ六十数年、戦争という、人類の業病とは無縁の存在として平和を維持してきて、日本人の大部分が戦争の悲劇を実感できない、幸いな存在である。世界で唯一、最高の文明国、平和国家になった、と日本人は思っているのだろう。再び「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だという夜郎自大の意識を取り戻したのかもしれない。憲法改正問題も根本には、日本人が、この半世紀の日本をどう見るのかということにあろう。
 しかし我々は、その中には、世界各国に、日本や日本人への羨望と嫉妬、尊敬と軽侮が入り混じった複雑な感情が生まれてきたのに気付いていなかった。とりわけ同文同種の国、アジアの歴史・文化文明を共有する中国、韓国には、日本が成長すればするほど、逆に「反日本」「日本は何するもの」という国民感情が日ごとに強くなっていったのかもしれない。
 世界の大きな歴史、文化文明の流れから見れば、近代の二百年間は、十九世紀は産業革命、政治革命を経た帝国主義の、欧州主流の時代。二十世紀は世界戦争とイデオロギーの対立、経済発展が続いたアメリカ、日本の経済ヘゲモニーの時代。そして二十一世紀は遅れてきた、かつて文明国であった中国やインドなどの復権の時代なのかもしれない。
 しかし、世界には、未だに産業革命も、政治改革も経ていない中世のままの国が、アラブ、アフリカには、たくさん残っている。北朝鮮もそうで、欧州が中世以降に経験した宗教改革すら済んでいない国に、二十一世紀の論理、システムが通じるのかどうかは疑問であり、心もとない情勢にある。
 日本や日本人の文化、歴史を語る時は、このような日本の国際的位置を認識し、今は、繁栄から衰退・成熟への転換点にあり、二十世紀のイギリスが経てきたように、成熟安定した文化・文明国になる運命に置かれていることを覚悟しなければなるまい。
 従軍慰安婦などの歴史の一局面を断片的に捉え、ナショナリズムから他国を批判中傷する動きに対して、いたずらにナショナリズムによる弁護言いわけを言い立てるのでは、感情的なナショナリズムを、さらに煽るだけで、大国同士が相互に理解し合うことにはならない。
 韓国も中国も知性ある市民には、世界の歴史の流れ、日本の文化文明、日本人への理解が十分に存在しているだろう。政治が、一時の国際的なヘゲモニー争い、対立の中で、意図して、戦略的に、理解を超えた中傷非難の行動を取っているのだと、日本も、日本人もその動きを冷静に理解しなければなるまい。
 問題は、二つの文明国が、なぜ、そういう行動を取るかである。尖閣、竹島の国境問題のみならず、歴史をたどれば、中国、韓国、日本の歴史には、旧満州(現中国東北部)、琉球、台湾、日清、日露の戦争、ついには元冠や遣唐使、仏教儒教の普及、卑弥呼の時代にまで遡ることになろう。
 その昔、韓国は中国の属国、日本は朝貢国であった事実は否めない。それだけアジアの三力国の文化と歴史は豊かであり、互いに誇りと自負を持って然るべきであり、互いの歴史は、歴史として、文化論、文明論として、語り合い、理解し合うことが肝心であろう。
 短絡的なナショナリズムに便乗して非難中傷し合い、国際的な政治活動の道具にするのは、長い歴史文化を誇り、共有する文明国の在り方ではあるまい。
 まずは、歴史は文化・文明の話として、日本から、日本人から、ナショナリズムから離れて、互いの歴史を文化・文明論として語り、伝えようとする大人の姿勢を示して然るべきではなかろうか。結果は文明世界の常識に依存するしかない。
(明海大学名誉教授、東京都目黒区)
《沼朝平成25年6月2日(日)号投稿記事》

2月3日徳之輔講演:沼津図書館

「ふるさとを思う」(下)長谷川徳之輔

「ふるさとを思う」(下) 長谷川徳之輔
 沼津は自然環境でも最高の資産に恵まれている地域である。気候は温暖、日照時間は長く、全国に雪が降っても、沼津の街には雪のかけらも見えない。
 愛鷹山のゴルフ場から市街地を眺めると、すそ野に広がる市街地には行政の境も見えず、太陽を反射して光り輝く駿河湾、伊豆、箱根、愛鷹山と街を巡る山稜の峰、北流する水清き狩野川の流れ、海、山、川を一体にした自然に囲まれた街並みが広がっている。
 屈曲する駿河湾の長い海岸線では、千本浜の南面に伊豆の山々が、西浦からの北面に海を隔てて愛鷹山の山稜、その向こうには富士山の白雪の峰、東面には箱根の山稜が連なっている。
 海から牛臥、香貫山、象山とだんだん高さを増していく丘陵の群れ、淡島が浮かぶ内浦の海岸の眺め、箱庭のような景観も見え、実に見事に自然が調和した街の姿が見られる。合わせれば人口四二万人になる大都市で、こんな見事な景観は、日本中どこにもなかろう。
 富士山は高さ三七七六㍍、駿河湾は深さ三〇〇〇㍍を超え、高低差六、七千㍍にも及ぶ自然があり、この高低差のおかげで天城の山葵から深海のタカアシガニまで自然の産物が豊富で、最高の山海の珍味に恵まれたグルメの里でもある。
 スイスの山岳とイタリアの地中海を合わせたような自然環境であり、言ってみれば、沼津の地は、スイタリアと言ってもいい土地柄ではないのか。
 それなのに、なぜ沼津市民は、ただ沼津は衰退すると嘆き、傍観しているのだろうか。沼津市民は、その豊かな自然、その自然に育まれた歴史、文化に誇りと自信を持たないのか。海の幸、山の幸、川の幸に恵まれた天然の豊かな幸の食文化を語らないのか、焼きそばやコロッケのB級グルメなどではなく、豊かな食文化を自慢しないのか。
 衰退する、沈下すると嘆かずに、このような自然環境の見事さ、歴史文化の豊かさを思い出し、故郷沼津への誇りと自信を回復することが先決ではないのだろうか。
 先の沼津市長選挙でも、投票率は三六%という低さであったという。市民三人に二人は、市政にすら関心を持たないのか、沼津の再生をあきらめて、何事にも無関心でいるのか、世の中が激変する今の時期、これでいいのだろうかと、よそから見ていて心配になる。
 肝心なことは、沼津市民にとって何の役にも立たない、金食い虫の鉄道高架に無駄な金を使う愚かさを認識して、沼津市民の誇りと自信を回復する、もっと大事な仕事を行政と市民が一緒になって進めてもらいたいものである。
 沼津市民にとって一番大切なことは、市政に関心を持ち、日本一恵まれた環境にある故郷沼津への誇りと自信を回復する意識を持つことだと思う。(おわり)
(元・旧建設省官僚、明海大学名誉教授、東京都目黒区)
《沼朝平成25年1月30日(水)号》

「ふるさとを思う」(上) 長谷川徳之輔

 
「ふるさとを思う」(上) 長谷川徳之輔
 頑張れ沼津、市民の誇りと自信を取り戻そうー年末にテレビをよく見る機会があったが、いくつかの番組に、三島、伊豆の話がよく出ていた。それに比べて隣の沼津の話題は、ほとんど目にできなかった。沼津は、まちづくりだけでなく、歴史、文化の面でも立ち遅れが目立っているように感じられる。
 NHKの看板番組、鶴瓶の「家族に乾杯」では源頼朝、江川太郎左衛門以来の伊豆の国市、三島市の歴史、風土、文化が二回にわたって放映されていたし、グルメ番組の「キッチンが往く」では箱根三島の野菜を使った高級フレンチ料理が語られていた。民放の「ぶらり途中下車の旅」では正月特別番組で三島から静岡までの東海道線沿線の名物や市民活動が興味深く編集されていた。
 しかし、沼津はグルメも、市民活動も、風土も全く扱われていない。この地域で名実共に一番の街だと自負している沼津なのに、メディアから全く相手にされず、興味のない田舎町に扱われたのだと、故郷沼津を持つ身には、そんなはずはないと、つい、ひがんでみたくもなるのである。
 三島は熱心な市民運動で富士の水に恵まれた雅な街に生まれ変わり、歴史や文化の面でも伊豆の国の府中の三島、三島宿が世に知られ、市民も自信を持っているようだ。
 一方、沼津は、人口でも、経済でも、自然の豊かさでも三島に勝るのに、行政も市民も、ただの金食い虫で市民にとって何も役に立たない鉄道高架にうつつを抜かし、時間と金を浪費してしまい、財政悪化を招くのみならず、故郷への市民の誇りと自信を喪失させてしまっている。市長も市議会も一体何をしているのかと、文句も言いたくなる。
 せめて、このあたりのグルメを語るなら、箱根の野菜と駿河湾の魚のコラボで、山海の珍味の超高級グルメを提供できる街だと紹介してほしいものだ。
 歴史や文化面でも、明治期、話題の大河ドラマの「八重の桜」の会津の話には及ばなくても、江川太郎左衛門から江原素六、井口省吾にいたる韮山反射炉、沼津兵学校、沼津機関区、沼津御用邸、沼津中学などの科学技術、軍事、教育、殖産興業などの市民が誇れる歴史も人材も沢山あるのに、市民は何も知らず、関心もない。沼津の歴史、文化に対して誇りも自信も失っている。(つづく)
(元・旧建設省官僚、明海大学名誉教授、東京都目黒区)
《沼朝平成25年1月29日(火)》

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