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「芙蓉市・ふよう市・FUYOUCITY」の議論の薦め 中 長谷川徳之輔

「芙蓉市・ふよう市・FUYOUCITY」の議論の薦め 中 長谷川徳之輔
 駿河国と伊豆国、微妙な格差
 三島と沼津には、長い間の歴史的なわだかまり、兄弟喧嘩の利害の対立があったと思う。律令以来の駿河の郷である沼津と伊豆の郷の三島には、歴史的に大きな違い、差がある。
 駿河の地の中心は駿府静岡であり、沼津は東の辺境の地であった。伊豆の中心の国府は三島大社のある三島の町で、駿河と便豆の国境は、清水町、長泉町の黄瀬川辺りであったのだろう。もともと伊豆は相模との一体感があったのであり、明治の初めには相模県だったということである。
 伊豆は江戸幕府の直轄地、天領であり、下田奉行や韮山代官所の支配する土地、直参の士の住む所で、気位は高い。江川太郎左衛門らの幕末の指導者が輩出し、韮山反射炉に見えるように、文化度、知性度も高かった。
 これに対して沼津の地は、三枚橋城(沼津城)の城下町であるが、幕末は水野藩五万石余の小藩の地。明治初年に沼津兵学校という重要な学術インフラが生まれたが、あっという間に雲散霧消してしまった。
 言ってみれば、伊豆国三島は幕府ご直参の臣の地、ご直参の県庁であり、これに対して駿河国沼津は田舎の小藩の陪臣の地、陪臣の市役所であり、微妙な格差意識があったのである。
 この格差意識が今でも微妙に二つの町の市民意識に残っているようだ。経済的社会的に一体の地域でありながら、歴史的、気分的に合併の機運も起きにくいのである。
 ところが、明治以降の交通インフラの整備が、それまでの沼津と三島との格差を逆転、さらに反転させてきたのだ。
 旧東海道線は明治二十二年に東京と神戸間が開通する。箱根の山は越せず、御殿場経由で富士山の裾野を蒸気機関車が走り、沼津には機関区が設置されて沼津は東海道の交通の拠点になる。沼津駅はお召し列車さえ停車する一等駅で、駅長は高等官であったようだ。
 牛臥・島郷海岸には皇室の御用邸が造営され、最高の保養地になる。沼津中学が開校して駿河と伊豆のエリートを集めている。
 三島は、鉄道に見放されて下土狩からのローカル線の田舎町になってしまう。昭和九年、難工事の丹那トンネルが開通して、東海道線は今の路線に切り替わり、三島は、もはや沼津に追いつくことはできなかった。
 沼津駅は、東西交通の結節点、御用邸は最高の保養地を作り、沼津中学が地域の教育の中心になっていく。直参の地が陪臣の地にとって代わられてしまったのだ。
 しかし、それが再び逆転したのが、昭和三十九年の新幹線の開業。駅は三島に設置され、今度は沼津が駿河の辺境の地に戻ってしまう。海は汚れて御用邸はなくなってしまったし、学区制からか沼津中学を前身とする沼津東高の中心性も失われてしまった。
 地域の中心であると自負していた沼津は衰退し、人口は減少し、若者は周辺に移っていってしまう。百年たって直参の三島は陪臣の沼津を格下に見る気分を取り戻し、今や、沼津には三島の郊外の地方都市のイメージしか浮かばないのかもしれない。沼津と三島に残る微妙な格差意識は、このような歴史の産物である。(つづく)
(明海大学名誉教授、東京都目黒区)
(沼朝平成23年10月6日号)
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「芙蓉市・ふよう市・FUYOUCITY」の議論の薦め  上 長谷川徳之輔

「芙蓉市・ふよう市・FUYOUCITY」の議論の薦め  上 長谷川徳之輔
 立ち後れた東部地区、総合的な都市計画を
 沼津市、三島市、長泉町、清水町、函南町の5つの自治体は、市民生活からも、経済活動からも、事実上一体とした都市、市街地であり、合併して、なぜ人口四〇万人としての都市機能を発揮できる地方自治体にならないのか、不思議でならない。
 静岡市、浜松市は、周辺自治体と合併して政令指定都市にまで成長した。静岡市は人口七二万人、浜松市は人口八一万人。先の東部の五自治体が一体化すれば人口四〇万人を超え、静岡、浜松に十分匹敵する都市規模となる。
 (静岡市)面積一、四一二平万㌔、人口七二万人=人口密度一平万㌔当たり五一〇人
 (浜松市)面積一、五五八平方㌔、人口八一万人=人口密度五二〇人
 (五自治体)面積三五〇平方㌔、人口四三万人=人口密度一、二二九人。
 五自治体の面積は、静岡、浜松の四分の一、人口密度は二・四倍。マクロ的に見ても、静岡市、浜松市よりずっと都市的な地域なのである。
 しかし、静岡県の東部地域は合併への機運に乏しく、地域の小事の利害に拘泥し、何事にも消極的で時代に立ち後れ、この地域の市民生活や経済活動に対応できる地方自治体になっていないと思わざるを得ない。
 誰が見ても、この地域の中心は新幹線三島駅であり、三島駅北口広場は五つの市街地の接点であり、新幹線を通じて全国に結ばれる結節点でもある。
 都市計画は、いかにしてこの接点と各市街地を円滑に結び付けるか、五つの地方自治体を一体的に機能させるかであり、沼津駅鉄道高架審業のように、沼津駅周辺にだけ限定され、沼津市の利益、利害だけの公共事業では、その役割を果たすことができはしない。一つの自治体としての、総合的な都市計画を考えなければならないのだ。
 ばらばらな思惑を脱しよう
 鉄道高架事業にしても、金も時間もかかる沼津駅周辺の高架事業より、三島の広小路周辺の私鉄線の高架化の方が遙かに安価で、事業の投資効果も大きく、費用対効果でも格段に利点が大きいはずである。
 なぜ、そうならないのかについて言えば、五つの自治体の意志がばらばらで、利害、思惑が一致しないからにほかならない。
 例えば、鉄道高架事業一つ取っても、沼津市以外の周辺の自治体、市民や町民は、沼津市にしか利益がない沼津駅付近鉄道高架事業には、表向きはとにかく、本音では賛成していないであろう。
 合併に誰がイニシアティブをとるのかも分からない。たとえ五つの自治体が合併しても、合併後の市の名称を、「沼津市」にしようと「三島市」にしようと、簡単に合意は得られまい。「伊豆市」や「駿河市」にするにしても、「伊豆国」「駿河国」といった歴史的な利害は対立するし、第一、「伊豆市」「伊豆の国市」は既に存在している。特にこの地域の中心だと自負している、かつての駿河国の沼津市の対応が、ことを決める決定的な役割だと思われる。(つづく)
(明海大学名誉教授、東京都目黒区)
(沼朝平成23年10月5日号)

有識者会議を見て3

⑨ 長谷川徳之輔
 第6章いかにして軟着陸を図るのか
 これからどんな問題が出るか、どうして解決するのか
 さて、有識者会議は、鉄道高架事業を推進するという結論を出しました。はたして静岡県や沼津市は、この結論をどう受け止めるでしょうか。
推進するにしても、見直すにしても、重い決断を迫られるでしょうし、いつまでも先延ばしし続けることはできません。いよいよ、最終の段階にあります。
 このような事情にある
沼津駅周辺総合整備事業、鉄道高架事業は、どういう選択が行われ、これからどう進むのでしょうか。どうしたら、傷を少なくした軟着陸ができるのでしょうか。
 第一に、六事業のうち、原地区への貨物駅移転が中止されるだけで鉄道高架事業本体、残りの五つの事業はそのまま、計画通りに進むのでしょうか。
 第二に、鉄道高架事業が中止されて、南北横断道路の整備、駅舎の屋上駅、屋上広場などの新規の事業に都市計画が変更されるのでしょうか。
 第三に、既に沼津市が買収している高架事業予定用地をどう処理するのでしょうか。
 第四に、鉄道整備のために積み立てた約三百億円の基金の穴埋めをどう処理するのでしょうか。
 第五に、ここまで事業を進めてしまった行政、議会の責任をどう問うのでしょうか。
 などなど、いろいろな問題を解決しなければなりません。
 一番肝心なことは、沼津駅周辺総合整備事業を考えた時点と今の時点では、大きく経済社会環境が変わってしまったこと、
これまでの行財政の考え方、仕組みが通用しなくなっていることを、市民も行政もしっかり認識しておくことであり、過去の失敗、不作為を今になってあげつらっても、なんにもならないことを認識しなければなりません。過去は過去として処理し、これからどうすべきなのかを、考えなければならないのです。
 進むも地獄、止まるも地獄ですが、もはや先延ばしはできません。決断をしなければなりません。
過去を取り戻すことは困難であり、高い授業料を払わされた、と覚悟するしかありません。

 しっかりした決着を
 第一の問題は、都市計画は変更されず、事業がなし崩し的に先延ばしされることです。事業は止まっても、計画はそのままにしておいて、いつか復活するとして処理を先延ばしすること、責任の先延ばしであり、公共事業では、従来はこのような対応がされることが多かったと思います。
 しかし、貨物駅の移転を取りやめては、肝心の鉄道高架事業自体が進まず、残りの事業も進まないことは前述のとおりです。先延ばしすることは、問題の解決にはならないのです。全部の事業がストップして、店晒(たなざら)しになるだけです。
貨物駅移転が消えるからには、全体の計画の見直しをしなければならないはずです。
 第二に新しい計画を決める。南北自由通路や屋上駅などに変更することです。計画の作成、財源、費用負担などJRとの交渉、国、静岡県、沼津市との調整を考えると、すぐに転換することは難しく、相当長期の時間を余儀なくされるでしょう。
 現行の鉄道高架事業を中止したことで、JRの反発を買い、話が容易に決められない恐れもあるでしょう。まずは、小田原駅、清水駅などの自由通路や横断施設の事例を徹底的に調査して、情報資料を集めて、それを市民に公開して、市民全体の理解を求めることです。計画作成には、市民、商店街、専門家の参加を求めて、市民運動を高めることだし、世論の力で市民意識を高めることしかないでしょう。
 第三は、買収した用地を無駄にしないことです。富士見町地区、原地区には沼津市が買収した用地が散在しています。沼津市は、その実態を公表したがりません。しかし、そのまま放置することはできません。どう利用するか考え、円滑に資産処理を進めるには、実態を隠すことなく、しっかりした情報資料を整備して、新しい利用方法を考えなくてはなりません。
 これらの土地はバラバラですが、鉄道高架下の利用より、はるかに利用効率は高いでしょう。原地区の土地はまとまった土地であり、教育施設、医療施設や市民公園など公共的に利用できるかもしれません。
 富士見町の土地は、高架事業用地を生み出すのではなく、良好な居住環境を整備するための区画整理事業を進めていくことであり、沼津駅周辺の立地条件を生かした有効利用の道を探ることです。
(沼朝平成23年7月21日号)

⑩ 長谷川徳之輔
 使ってしまった基金の金
 第四は、市民が営々として積み立てたはずの300億円近い、鉄道高架事業を進める資金、基金がどうなっているかです。
 これまで鉄道高架事業の沼津市の負担は、基金が積み立てられているから大丈夫だと説明されてきました。確かに現金であれば、そういう話も成り立ちますが、今、果たしてこの資金がどのくらいあるかです。
 積み立てた資金は現金であるわけでなく、土地の買収、市の他の事業への流用などで、大半は使われてしまっています。基金の財務状況は必ずしも明確に示されている訳ではありません。
 そもそも、鉄道高架事業のために積み立てたという基金が、もし鉄道高架事業をやらないとした時に、どう処理したらいいのかも明確ではありません。
 基金と言っても、金に色目があるわけではありませんから、税金を積み立てたのではなく、借入金を基金に編入して積み立てたもので、原資は市の借入金でしょう。借入金は、いずれ金利を加算して返済しなければなりません。
 基金が運用上、一時的に立て替えた他の事業への流用先の資金が返済される見込みもないでしょう。使ってしまった資金を取り戻すことはできないし、買収した土地も、バブルの崩壊で地価の変動で下がってしまった土地価格を取り戻すこともできはしないのです。
 いずれにしても、三百億円近くの基金が沼津市民の大きな負担になることは避けられないでしょう。

 最終的には沼津市民の責任
 第五は、究極の問題ですが、ここまできてしまった政治、行政の責任問題です。
 これまで、ただ、貨物駅移転など鉄道高架事業に付帯した事業が、だらだらと進められてきたのは、沼津駅周辺整備事業が見直されず、毎年の予算の消化という行政の惰性の動きからであり、同時に、鉄道高架事業を見直し、中止することによって、これまでの事業に生じた損失に誰が責任を取るかを明確にすることを避けてきたことも、当事者には正直あると思います。
 二十年余り、国、静岡県、沼津市、それにJR当局が、それぞれの思惑で、鉄道高架事業にかかわってきましたが、時代の転換により、これまで適切だと思ってきたことが変質してしまい、正直に、転換や見直しを言いかねて、知らん顔して先延ばしを図り、責任を他に転嫁してきたのではないでしょうか。
 本来、鉄道高架事業の事業主体である静岡県も逃げ腰で当事者意識が希薄ですし、鉄道高架事業の施行者が都道府県と指定市に限られていたものが、事業の途中で人口二十万人以上の都市においても施行できることになったこともあり、沼津市に施行者の責任を転嫁させかねません。
 公共事業縮減の中で、鉄道高架事業の政策や計画の改革に逡巡する国も、これからの方向を決めかねて、だんまりを決め込むでしょうから、究極の責任は、本来は鉄道高架事業の施行主体でもない沼津市、沼津市民が負わなければならなくなってしまうことです。
 国も、県も、今までほとんど鉄道高架事業の予算も計上していませんし、高架事業費を負担しておりません。用地買収の費用は、すべて沼津市民が基金という名の借金で負担してきたのです。事業の転換、中止に伴う損失は、国や静岡県ではなく、沼津市が、沼津市民が負わなければならないのです。
 これから始めなければならない鉄道高架事業の本体工事、使ってしまった基金の三百億円近くに加えて、先行きの分からない事業に、これ以上の資金をつぎ込むことの愚かさは、誰しも感じているでしょう。行財政を預かる沼津市長も、市議会も、そのことを痛感しているはずです。
 三百億円近くの基金を無駄に捨てることになっても、さらに大きな負担をしないために、これ以上の事業は見直す、その損は仕方がないと、受け入れるしかないのだと思います。今さら、これまでの政治や行政の責任を問うたところで、市長や市議会は何回も変わっており、市議会も市民も当時は、この鉄道高架事業の計画を認めていたのですから、究極の責任は、沼津市民全体にあると思うしかありません。
 このような公共事業の転換に伴う損失は、一人、沼津市に限りません。八場ダムも諌早湾の騒動もそうですが、経済社会の激変の中で、日本中に似たような損失が発生していることでしょう。沼津市民は、ずいぶん高い授業料を払わされることになりますが、「これ以上の損は避ける」、そう思うことが事態の解決を進めることになるのではないでしょうか。
 県民も、市民もしっかりと、有識者会議の答申を真剣に読み砕き、次の世代、子どもや孫達の世代の利益を考えて、どうしたらいいのか、自らの意見を持つことです。
(おわり)
 【はせがわ・とくのすけ=一九三六年、沼津市生まれ。五九年から旧建設省に勤務。八五年に退官し、財団法人建設経済研究所へ。九五年、明海大学不動産学部教授となり、二〇〇八年に退官し、同大名誉教授。専門は土地問題、社会資本問題などの社会工学。東京都目黒区在住】
 訂正20日付二面、有識者会議答申に関する連載で、下から三段目最終行から、その下段一行目までが「旧国鉄は姿を消し、JR算も向上し、経営は大き」とあるのは「旧国鉄は姿を消し、JRは採算も向上し、経営は大き」が正しく、二字脱落による誤りでした。訂正します。
(沼朝平成23年7月22日号)

有識者会議の答申を見て2

 ⑤ 長谷川徳之輔
 第4章 推進と見直し、二十年間の市民意臓の分裂
 どういう経過を経てきたのか
 ここで、鉄道高架事業がここまで進んできた経過を振り返ってみましょう。
 沼津駅周辺総合整備事業は一九八〇年代半ば、石油危機を脱して日本経済が再び力強く成長する勢いから、経済成長は無限に続くと錯覚されたバブルの時代にスタートし、大型の公共事業が国家的課題になっていたこともあり、鉄道高架事業は、静岡駅と浜松駅に続いて、今度は沼津駅の番だと、昭和六十三年、一九八八年のバブルの最中に、沼津市議会にも鉄道高架化促進の組織が作られました。
 建設費を積み立てるために「沼津駅周辺総合整備基金」が設置されるなど、沼津市と市民が一丸になって大型公共事業を推進する意気込みだったのは、その時代の産物であり、市民みんなが、その成果を期待していました。
 沼津市民だけでなく、日本中がバブル景気に浮かれている時代でした。日本経済は成長をし続ける、それ行けどんどんだと、誰も日本経済の先行きに疑問を持っていなかったのでしょう。
 大きいことはいいことだと、事業は膨らむだけ膨らんで、六種類、二千億円、二十年という大型の都市計画事業になっていきます。しかし、それから四半世紀を経て、バブル経済の崩壊によって成長神話は崩れ、本来は、鉄道高架事業にも、その影響が及んでいたはずです。
 しかし、バブル経済の崩壊で時代は転換しましたが、この事業に直接影響することなく計画づくりが進み、逆にバブル後の経済再生のために、一時的に公共事業の拡大が進められていたことから、二〇〇〇年に道路側と鉄道事業者との間に鉄道高架事業の計画が結ばれています。
 その後、さらに財政危機が深刻化。小泉内閣の構造改革路線が進む中でも、二〇〇三年、都市計画法に基づいて鉄道高架 事業の都市計画が決定され、さらに二〇〇六年には国土交通省により事業認可されています。経済社会の変動にもかかわらず、確かに事業化への法律上の手続きは、適正に進められています。
 他方、この事業を巡る市民意識も当初の熱気は薄れて、事態は様変わりしていきます。
 原地区では地元に押し付けられる貨物駅移転への疑問が生まれて反対運動が起こり、沼津市民全体にも、無駄な公共事業をやめるべきだという市民運動も現れます。
 改めて計画の見直しを求めて鉄道高架事業へ住民投票を求める条例制定の要求や、その条例を否定する市長に対するリコール要求など市民運動が続き、沼津市と市民の間に要らぬ不信感が生まれ、市民の間にも深刻な対立が生じてしまっています。不毛の対立は市民には不幸の極みです。
 冷静さを欠いた政治紛争へ
 この間に市長選挙も市議会議員選挙も行われました。市長選挙は、政策や計画を見直す絶好の機会だったのですが、うまく機能せず、沼津市の負担による、鉄道高架化のつけたりの用地買収だけが、だらだらと続いていきます。
 十年前の桜田光雄元沼津市長と斎藤衛前市長との市長選挙。二人は沼津東高の出身で、旧建設省では公共事業や都市間題の専門家であったのですが、先輩後輩で沼津市長選挙を競い合ったのです。
 しかし、鉄道高架事業の計画を立てた責任者の桜田さんが見直しを主張し、批判すべき立場で引き継いだ斎藤さんが推進を主張するという、摩詞不思議な逆転した立場だったのですが、結果は斎藤市長が勝利しました。しかし、市民の支持は、ほぼ半分ずつ、どちらが勝利したのか分からない状況でした。
 私は市長選挙が終わった後、推進と見直しが半々だから、専門家の二人が協力して市民の利益を考えた計画、政策を方向付けることが必要ではないか、と、同じ建設省の仲間の立場から、二人に忠告してみました。しかし、二人共、しがらみにとらわれて相互に協力することなく、それぞれの立場に固執し続けたのです。
 市長選挙という絶好の見直しの時期があったのにかかわらず、ことは解決せず、行政と市民との軋轢(あつれき)は、ますます深刻になり、鉄道高架事業は政治紛争の手段へ悪化していくように感じたので、旧建設省で仕事をし、大学で教鞭を執る立場から、なんとか公正な論理的な情報、見方を市民に知ってもらいたい、沼津市や静岡県の責任者にも伝えて、冷静な論議が行われるようにと思うに至り、論議に参加することになったのです。
(沼朝平成23年7月15日号)

 ⑥ 長谷川徳之輔
 私の関与、市民の本当の利益こそ優先
 沼津朝日新聞が、この問題を熱心に報道しており、公正な世論作りが期待できると思い、沼津朝日新聞に投稿して、十数本のレポートを掲載してもらいました。
 新聞だけでは意が尽くせないと思い、論議の参考にしてほしい、と『衰退し続ける地方都市再生への道を探る、素晴らしかった沼津市を再建しよう』という沼津市の街づくり、鉄道高架事業についての分かりやすい専門的な本を自費出版して書店で販売する一方、市長や市議会議員に献本してみましたが、どうしたものか、私と議論したくないのか、議員から、せっかく送った本がまとめて送り返されてきたのには、びっくりしました。
 誰に頼まれたのでもなく、どの組織に味方するのでもなく、ただ都市間題の専門家の視点で、その在り方を冷静に、論理的に見たい、その昔には私自身が市民であったことから故郷のためにと、沼津市民の本当の利益は何かだけを考え、利害なし、損得なしの立場で論議に参加してきたつもりです。
 しかし、私の発言が必ずしも市民の理解を得られたわけではありません。当初は友人達も、せっかくの機会を邪魔するな、国や県の金が流れるのだから沼津にとっていいことだ、誰かが費用を負担してくれて、地元で事業ができるのだから、やった方が得だ、という評価であったようでした。
 役所に任せておけば問題はない、という信頼感もあったと思います。しかし、多くの市民に、時の流れとともに、その考え方にも変化が出てきており、ことの本質を考えるようになっています。
 今は、多くの市民が、国や地方が置かれた立場を現実的に見ても、市民の費用の負担や、事業の時間から見ても、長期で高額の鉄道高架事業より、短期で安く出来る南北自由通路の方が合理的であるという見方に変わっているように思えます。
「推進」「反対」不毛の対立
 この十数年、沼津市民の論議は、「推進」「見直し」と二つに分かれ、収拾のつかない政治紛争の種となる動きもあったと思います。市民の意識が分断されておりました。
 反対者は、貨物基地が移転する原地区の住民が主体であり、貨物駅の移転が原地区に押し付けられることへの反対運動から、政治紛争になってしまい、住民投票を求める動きから、さらに沼津市長のリコール運動にまで進んでしまい、かえって解決が困難になってしまったという事情もあったと思います。行政と市民の間に相互信頼が欠落して、互いに耳を貸さないという不毛の対立が、解決をさらに困難にしたという事情も否定できないと思います。
 平成十九年の市議会議員選挙では、鉄道高架事業の見直し、中止を求める数人の新しい議員が誕生しましたが、政策論議はそれなりに高まったものの、事態に変化はなく、むしろ不毛の対立が激化した面も増えたのかもしれません。
 翌二十年の市長選挙では、これまでのしがらみにとらわれないと思われる新しい市長が誕生しましたが、推進派の支援を受けていたという理由からか、長年のしがらみから脱しえず、新しい方向を打ち出せないでいます。
 今の時点での現場を見てみましょう。鉄道高架事業の本体は、まだ全く姿を現していません。関連する沼津貨物駅の移転事業だけが、原地区にその用地を選定し、沼津市による買収が続いていましたが、原地区の反対運動がますます強くなり、用地買収は頓挫してしまいました。
 沼津市は窮余の策で、残る数十人の地権者を相手にして土地収用法を適用し、強制収用を行うと発言しましたが、公共補償の代替地の用地が強制収用の対象になるのかという土地収用法の適否の問題もあって、その声はきわめて弱く、及び腰です。
 当初、原地区への貨物駅移転の施行主体は沼津市とされていたものが、これも急きょ、施行主体に静岡県を加え、沼津市と静岡県が一緒になって強制収用を行うことになったという、とんだ茶番劇が起きましたが、静岡県には施行主体としての意識も財源も欠落していて、まさに中途半端な姿勢で、鉄道高架事業自体が頓挫しかねない状況になってきました。
 そこへ川勝平太知事の沼津貨物駅不要の話が加わり、事態は、ますます混乱してきたのです。
 静岡県と沼津市は、事態を鎮静化しようとしてか、先延ばし、責任転嫁の常套手段で第三者機関の論議に下駄を預けることとし、時間稼ぎするということで有識者会議を設定し、今に至ったものです。
 原地区の用地買収は、強制収用を進めるどころか、県知事が反対しているという理由で、これ幸いと、沼津市は用地買収を放棄してしまったようで、混沌とした状況は、いまだに解決されていません。
(沼朝平成23年7月16日号)

 ⑦ 長谷川徳之輔
 第5章 再度の検証、なんのため、誰のための鉄道高架化事業か
 東海道線の東京ー沼津間のどこに鉄道高架化はあるのか
 ここで、問題を明確にするために、もう一度、なんのための鉄道高架事業であり、誰のための事業なのかを検証してみましょう。その前に、ぜひとも専門家には、東京駅から沼津駅まで新幹線ではなく、東海道線の湘南電車に乗って沼津まで来て、沿線の風景を見てもらいたいのです。
 東京ー沼津間一二〇㌔の区間に、どこに鉄道高架をした都市があるでしょうか。新橋を過ぎれば線路は平面交差が続き、品川から蒲田まで、この間の鉄道線路で街は南北に隔てられており、京浜東北線と東海道線が走行するこの区間ー一時間に百本を超える電車が走行する区間ですがーどこも鉄道は高架化していませんし、すべて平面交差です。
 踏切は、ほとんど閉まったままの開かずの踏切、六十分のうち五十分は閉まったままです。自動車が南北を横断するには、踏切を探して数百㍍も横に走らなければなりません。大都市の川崎駅にも、横浜駅にも鉄道高架は見当たりません。藤沢駅も、小田原駅も同様に、地下道路や横断道路橋で南北交通をさばいております。
 本来、鉄道高架事業は、このような地域にこそ進められなければならない事業であるはずです。しかし、JR中央線ですら立川ー新宿間の高架化が完成したのは昨年のことであり、JR京浜線には、その計画すらありません。一時間に二、三本の三両連結の電車しか通過しない御殿場線に、なぜJR京浜線を差し置いて、高架化が必要なのか、誰もが不思議に思うでしょう。
 都心の交通困難解消のために、小田急線の複線化、立体交差化が必要ですが、高架化は環境を破壊するとして、地下トンネルを求める住民の反対運動も激化して、なかなか思うように進んでいません。
 沼津駅と新宿駅の間に「あさぎり号」が走り出して、ほぼ二十年たちましたが、未だに一日四本しか運行されていません。利用効率も悪く、観光客の誘致にも、あまり役に立っていないようです。
 沼津市民には、なんの負担もない小田急線の複線化、高架化が完成することが「あさぎり号」の運行本数を増やし、沼津の観光の活性化につながることになるのだと思います。大型の公共事業にあっては、地域的な狭まれた利益の論議ではなく、日本全体、公共事業全体を見た、もっと広い視点からの論議が必要なのです。
 複雑な沼津駅周辺総合整備事業
 沼津駅周辺総合整備事業は、次の六つの事業が一体となって機能するものであり、複雑な仕組みで、全体像の理解が難しく、全体像が分かった専門家も、あまりいないのではないでしょうか。
 事業の中心が、東海道線、御殿場線の線路の鉄道高架事業、いわゆる連続立体交差事業であり、事業費は八百二十三億円、沼津市の負担は百九十三億円だと計算されています。
 鉄道高架事業を中心に六つの事業で総事業費は、ほぼ二千億円(価格修正で千八百二十三億円)で、うち沼津市の負担は六百二十五億円、事業の完成には二十年の時間が必要だとされています。
(1) 沼津駅周辺の鉄道高架化事業=東海道線三・七㌔、御殿場線一・六㌔、合わせて五・三㌔区間の東西に高さ十数㍍の高架構造物を整備する。
(2) 新貨物駅、新車輌基地四原地区への既設の貨物施設の移設と片浜地区への車輌基地の整備、沼津市の費用負担、用地買収
(3) 沼津駅南土地区画整理事業=沼津市施行、宅地、市街地の整備事業
(4) 静岡県東部拠点特定再開発事業=駅北の旧国鉄用地を中心にした土地区画整理事業、民間都市開発推進機構の施行
(5) 大手町地区再開発事業=駅前市街地の市街地再開発事業、沼津市施行、イーラdeの整備
(6) 関連道路事業=三つ目ガード、中央ガードなどの拡幅整備など
その他 キラメッセ、シネマコンプレックス、コンベンションホテルなどの民間投資
 なぜ、沼津駅付近の鉄道の高架化が必要なのかについては、こう説明されています。
 沼津市の旧市街地の衰退は、沼津市の市街地が東海道線と御殿場線で南北に分断されているからであり、沼津駅周辺の二つの鉄道線路を高架化して、南北の自動車交通を円滑化させれば、中心市街地の衰退は解消し、南北問題は解決する。
 まず、鉄道線路の高架化のために、今の沼津駅の西側にある貨物駅と東側にある操車場を高架線路の外に移転することとして、貨物駅は原地区に移す。その上で、操車場用地と貨物駅用地の跡地周辺の地域を区画整理して、高架事業の線路用地を生み出すとともに、市街地を整備する。
 これに関連するいくつかの道路整備などが加わる。さらに、駅前の土地の有効利用のために、駅南の再開発事業を行う、駅南のイーラdeはその一環です。
 このような六種類の事業をまとめて、沼津駅周辺総合整備事業と言い、鉄道高架事業は、その中心事業なのです。
(沼朝平成23年7月17日号)

⑧ 長谷川徳之輔
 割の合わない沼津市、裏に隠れたJR貨物
 六つの事業は事業区分としては、別々の都市計画事業であり、施行主体も費用負担も、それぞれ異なります。鉄道高架事業は静岡県が施行主体、貨物駅の移転と用地買収は沼津市の施行、ただ、後から静岡県が加わっています。
 現貨物駅跡地の土地区画整理は沼津市が施行主体、駅北旧国鉄用地と操車場の跡地の土地区画整理は、民間都市開発推進機構が施行主体、駅南の都市再開発事業は沼津市が施行主体となっているのです。
 都市計画も制度的には個別に決められており、沼津駅周辺総合整備事業は、これらを一体としての名称であり、鉄道高架事業が、その中心に位置付けられている訳です。鉄道高架事業がなければ、残りの五つの事業は形式的には別事業でも、実質的には存在しえない事業なのです。
 沼津市は、多額の費用の負担と用地買収などの裏方を担当する、割に合わない仕事ですが、地元ということもあって、一生懸命やってはいるようです。しかし、不思議なことに、鉄道高架事業の最大の恩恵を受ける肝心のJR貨物は事業主体として、どこにも姿を現していません。

 貨物駅中止は全体の中止
 もちろん、川勝平太知事が言うように貨物駅移転をやめても、都市計画としての鉄道高架事業は形式的には存在し得ます。しかし、それには現在の貨物駅と操車場の機能を維持するために、平面の線路を、そのまま存続しなければならないのですし、鉄道を高架化しても意昧のないことになってしまいます。
 貨物駅を移転しないで、現在の貨物駅を撤去する選択もあり得ますが、貨物翰送の機能は失われるので、JR貨物が受け入れないでしょう。
 鉄道高架事業が消えれば、御殿場線の高架事業の用地を生み出すために行われる操車場用地、富士見町地区の区画整理は必要なくなってしまいます。もちろん、かさ上げを前提にした鉄道高架事業に関連する沼津駅周辺の道路整備事業も意味がなくなります。
 現在、三つ目ガードの北側で行われている道路拡幅、かさ上げの工事は全く役に立たない事業になってしまうのです。貨物駅の移転を取りやめることは、結局、全体の事業を止めるということになるのでしょう。

 JR救済の国策事業
 そもそも、沼津駅周辺総合整備事業は旧国鉄、JRの存在なくしてはありえなかった事業です。当時、旧国鉄は巨額の債務で経営不振が極まり、国を挙げての救済を迫られていました。
 中曽根内閣の行政改革では、旧国鉄の二十数兆円に上る膨大な債務を棚上げして、その債務を処理する国鉄清算事業団を作り、鉄道輸送の仕事は、JR東海など六つの株式会社に分割して、新生のJR株式会社にして再出発させたのでした。JR貨物株式会社もその一環です。
 国鉄清算事業団は、旧国鉄の資産を売却して債務の支払いに充て、不足する分を国が税金で面倒を見ることになり、全国各地で旧国鉄の資産、土地が売却されてきたのです。新橋、汐留貨物用地はその目玉だったのですが、虎の子の用地の処分も大した収入にはならず、救済のために大量の税金が投入されることになり、今でも多額の税金の投入が進められています。

 JRの利益優先の事業、負担するだけの沼津市民
 鉄道高架事業は、もちろん必要です。鉄道と道路の平面交差が自動車交通の円滑な交通機能を阻害しており、とりわけ鉄道網が密である大都市においては、都市計画の視点からも鉄道高架化の必要性は大きかったのですが、その底流には、当時の旧国鉄救済の要請から、鉄道高架事業の資金については極力、道路側の国、自治体が持つことが求められていました。運輸省と建設省の協議は、それを具体化したものであり、旧国鉄救済、支援が重要な国策であったのです。
 鉄道線路を高架化しても、線路の利用効率が上がるわけでもなく、鉄道高架事業にJR側のメリットが少ない地方都市の事業には、その費用の九五%を、自治体、道路側が持つことで事業が進められてきました。
 JRとしても、新たな投資先がなくなり、有能な技術者、土木建築の専門家が働く場所をなくしていたことから、彼らに働き場所を用意することもJR当局の経営上必要であったと思います。鉄道高架事業は絶好の働き場所になりました。その費用の大部分を道路側の国、自治体が負担するのであり、JRは自らの負担なしで職員の雇用を続けることができます。
 さらに、貨物駅や操車場のような資産の有効活用が自治体の負担で進められる。原地区の貨物駅では、貨物利用量をこれまでの一四万トンから新規に四〇万トンへ拡大するなど資産の効率化が自治体の負担で進み、経営上は絶好のチャンスと言わざるを得ないのです。
 このような流れからも鉄道高架事業について、その費用は道路側の国、自治体が負担する仕組みが、極力JRのメリットを確保する方向で進められてきたのです。しかし、時はたちました。当時の旧国鉄は姿を消し、JR算も向上し、経営は大きく改善されています。しかし、地方自治体は経済の低迷、経済構造の変化から、毎年、財政は悪化の道をたどり、財政再建が極めて重要な課題になっています。とてもJRを救済するどころではないでしょう。
 今になっては、おんぶに抱っこの形で計画に参加したと内心、忸怩(じくじ)たる思いでいるJR当局は、前面に出て説明をしたがりません。市民に接することを、あえて避けているといっていいでしょう。
 鉄道高架事業の運用方法を決め、都市計画事業を認可する国土交通省(旧建設省)、静岡県当局も、明確な説明を避けざるを得ないのです。

 最大の問題、経済財政からの実行可能性の欠落
 最大の問題は、日本の経済社会に大変動が迫っている中で、これだけの大型事業を実施するだけの財政的基盤、施行能力が、国にも、静岡県にも、沼津市にも、今あるかどうかです。
 人口二十万人の都市に全体事業で二千億円の新規の投資をすることは、市民一人当たり百万円の規模であり、人口三百七十万人の静岡県にとっては三・七兆円、千二百万人の東京都なら十二兆円、一億二千万万人の日本全体では百二十兆円の新規の公共事業を実施するのと同じことなのです。とてもできる規模だとは思えません。
 有識者会議では、肝心の経済財政の論議はされておらず、むしろ、あえて避けてきた嫌いがあります。なんのための、誰のための事業なのか、誰が費用をどう負担し、誰がどう利益を受けるのか、そもそもその仕組みが十全に機能するのかどうかを、有識者会議で論議する必要があったはずです。その答えは残念ながら出ていません。
 そこで私なりに、有識者会議で論じられなかった問題点を改めて考え、どう対処すべきかを示してみたいのです。
【沼朝平成23年7月20日(水)号】
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有識者会議の答申をみて

「沼津駅周辺総合整備事業、鉄道高架事業に関する有識者会議の答申を見て」
① 長谷川徳之輔
 第1章 妥当性に欠けた有臓者会議の答申
 失望させられた有織者会議の結論
 沼津駅付近鉄道高架事業に関する有識者会議の答申が出されました。
 答申は、鉄道高架事業の妥当性について、交通対策、地域対策、物流の視点から検証した結果、この事業は、沼津市都心部が抱えている交通環境や南北市街地の分断の問題を抜本的に解消し、県東部地域の拠点都市を形成するための効果的な事業である、とし、事業の費用便益分析にも辻会経済的に合理性があり、沼津貨物駅移転にも妥当性がある、と結論しています。
 しかし、さすがにそれだけではあまりにもお粗末で、理解されないだろうと、事業の問題点の可能性も否定しない、と逃げを打ち、さらに、事業には、地域住民の理解と協力が必要だと住民に下駄を預けているのです。
 なんとも理屈に欠けた無責任な答申であり、論理性も、社会性も、政策意思にも欠けた答申で、とても、専門家の論議を経たとも思われない、おためごがし、体制に追従するだけの抽象的な作文で、これが専門家、学者の知恵と経験の産物とは、とても思えません。
 一年間、有識者会議が、論理的、客観的な立場で広く論議することを期待していた立場から見ると、有能な専門家が集まって、一体何を論議していたのかと憤慨し、川勝県政もこんなものかと、がっかりするより、悲しくなってしまうのです。
 答申は、A4判で五〇ページを超える長文ですが、内容は、交通、地域、費用便益からの若干の鉄道高架事業の妥当性の検証と沼津貨物駅の取り扱い、それに沼津市の新しい都市コンセプトに触れるだけであり、結論まとめも、極めて抽象的な記述で、事業の妥当性の評価と沼津貨物駅の移転を可とするだけで、本質論に欠けた無意味な報告に過ぎないと思います。
 記述でも、これまで事業を説明するのに使われていた沢山の図表やグラフを掲げるだけで、静岡県当局が有識者会議への諮問で期待したであろう本質的な鉄道高架事業の計画、政策の在り方を分析した検証の結果は、残念ながら見当たりません。これでは、事態は元の木阿弥、この答申を受け取った静岡県、沼津市の当局が、どう対応していいのか、方向転換もままならず、戸惑ってしまうのではないのかと、逆に心配ですね。
 雅もやれると思っていない鉄道高架事業
 東日本大震災の大災害を機に、経済社会に大きな変化が起きているこの時期に、この無意味、無責任な答申を受けて、県民、市民はどう見るのでしょうか。県民、市民は経済社会の変動をしっかり意識して、市民意識も高まり、何事にも賢明になっています。答申の結論がそのままに受け入れられるとは、とても思えません。
 誰もが、今の時期に、たかだか人口二〇万人に過ぎない地方都市に、周辺整備も含めて二〇〇〇億円、市民一人あたり一〇〇万円の費用をかけて、二〇年もの長期の時間がかかり、大して効果もありそうもない、大型で無駄な公共事業をやれるとも、やらなければならないとも思っていないでしょう。
 答申を求めた川勝平太知事も、栗原裕康市長も、県議会や市議会の議員さんも、県や市の専門家も、多分JRの技術者でさえ、今のままの姿の鉄道高架事業を、やりたいとも、やれるとも考えているはずがないし、時世に合わせて見直したいのが本音だと思います。もし、本心でやりたい、やれると思っているなら、よほどどうかしているということです。県民も市民も、おかれた現状を素直に考えれば、そのことを容易に理解できるでしょう。
 事業に利権や損得のある組織だけが、利権がらみで、そうしておきたいと思っているだけです。問題は、誰でもが、そう思うのに、当の責任者には、誰にも正直な発言はなく、解決を先延ばしする、他人に下駄を預けることしか考えていないことです。有識者会議の論議そのものが、結論の先延ばし、当局の責任逃れの手段だと冷評されなければなりません。
 雄のための、何のための鉄道高架化事業か
 静岡県や沼津市の何人かの専門家と個人的に意見を交換したことがあります。誰もが、この事業への疑問を持ち、今の時代のあるべき地域政策を熱く語っていました。
 一番の問題は、地域経済の見通し、静岡県や沼津市の財政能力、これからの地方の在り方を考えた時に、右肩上がりが続く高度経済成長の時代の大型の公共事業がやれるはずがない、と誰もが思っていることです。体制の見方と個人の見方が大きく異なるのです。
 問われる最大の問題は、鉄道高架事業が何のための事業であり、誰のための事業かということです。誰がその利益を受け、誰がその費用を負担するかということであり、負担に対応する利益があるかどうかということなのです。本質は、この鉄道高架事業が沼津市民の本当の利益になるかどうかということです。
 静岡県には、富士山静岡空港というバブル時代の負の遺産があります。やはり二〇〇〇億円もの公共事業で、高度経済成長が終焉した今でも、静岡県に空港が要るのか、要らないかの論議が、県民を悩ましていた事業でしたが、それでも完成すれば、飛行機が飛び立ち、空港の利用価値は、それなりに発揮されています。
 人口三七〇万人の静岡県全体の事業であり、利用されれば、採算性はなくても、それなりの効果はありますが、沼津駅の鉄道高架事業は、電車の走行が増える訳でも、時間が短縮される訳でもなく、自動車の走行が、やや便利になる程度で、なんらの収入を生むことがありません。放漫財政が緊迫してしまい、静岡空港にすら逡巡していた静岡県が、人口二〇万人の沼津市にしか利益を生まない金食い虫の鉄道高架事業に力を入れる訳がないと思います。当事者である静岡県は、一体どういう意識で、この答申を受け取ったのでしょうか。(はせがわ・とくのすけ=沼津生まれ。東高出身。元旧建設省官僚、元大学教授。東京都目黒区)(次号へ。次号からは二面掲載になります)
【沼朝平成23年7月10日(日)号】

② 長谷川徳之輔
 第2章 有職者会議の答申の妥当性を検証する
 妥当性の妥当性を検証する
 最初に、有識者会議が鉄道高架事業に妥当性がある論拠として取り上げた交通対策、地域対策、物流対策、費用効果分析の検証と、その理由付けから、「妥当性がある」とした結論の妥当性を検証してみましょう。
 A、交通対策の視点
 交通対策の視点からは、現在の経済社会の現状から見ると、CO2の削減の環境対策からも自動車交通より鉄道輸送を重視して、貨物駅の移転、輸送能力の拡大は必要であるということ、また市内の自動車交通の南北間の混雑から見て、円滑な自動車交通を確保するために、鉄道施設の高架化が不可欠であるという結論に持っていくものだと思いますが、論拠は、あまりに抽象的にすぎます。
 大きな交通政策の流れとして、交通混雑、環境の悪化など自動車交通のマイナス面からも、もっと大量輸送手段である鉄道を見直すべきだという鉄道へのモーダルシフト(編集部注・貨物や人の輸送手段の転換を図ること)の議論は有益だと思います。CO2の削減も大切ですが、鉄道高架事業が、これにどう結び付くのでしょうか。完成後に多少の削減はあるとしても、周辺整備も含めて二〇〇〇億円の建設事業から生じるCO2の方がはるかに大きいでしょう。また、沼津貨物駅が、世界的な鉄道へのモーダルシフトの動きというほどの大げさな話ではないでしょう。
 確かに、現在の市内の自動車交通で、朝晩の通勤時間帯に南北の交通が混雑することは事実ですし、改善を図ることも、ぜひ必要でしょう。しかし、鉄道高架事業は完成に二〇年もかかる事業であり、それまでの間、線路のかさ上げ工事が続き、混雑はいっそう激しくなるでしょう。
 二〇年先の都市構造からは、人口の減少、経済の低迷、市街地の郊外化の終焉で市内の自動車交通量は、どう変化するのでしょうか。
 さらに、今、東駿河湾環状道路の一部分が開通しただけで、沼津市内の自動車の南北交通は緩和されているということです。三つ目ガードなど三カ所の横断地下道路の改善も進み、自動車交通量も減ってくるでしょう。
 そもそも、高齢化社会がさらに進み、通勤や買い物に、自動車を利用しなければならない地方都市の都市構造、土地利用の見直しも行われ、都心居住への転換も進むと思います。これからの経済社会の動きを見ると、南北の自動車交通の混雑を解消するために、なぜ、この時期に大型で長期の鉄道高架事業が必要なのでしょうか。
 交通政策には、いくつもの交通手段、交通機関がどう分担すべきなのかという総合交通体系、交通分担の論議が大切です。船舶、航空、鉄道、自動車などが貨物、旅客で、どう分担しあうのか、交通機関は、経済の進展、社会の変化の中で常に激しい競争が行われて、船舶から鉄道へ、鉄道から自動車へ、航空機へと効率の悪い交通手段の淘汰が進んできました。新幹線や高速道路の出現で、競争関係は劇的に変化します。JRは、新幹線の旅客輸送にシフトして、これまでの古い非効率な鉄道からは撤退しています。
 一般的に、貨物では長距離は船舶、中距離は鉄道、短距離は自動車とされていますが、鉄道の貨物輸送の後退は、歴史的事実であり、特にJR貨物の衰退は、劇的に進みました。JR貨物の輸送量は、一九七〇年には二億トンで、総輸送量の四・三%であったものが、二○○○年には四、一〇〇万㌧と五分の一に減少し、総輸送量の一%を割り込んでしまっています。
 二〇〇八年には三、三〇〇万トンと、さらに二〇%の減少を示し、旅客輸送も同じ流れにあり、大都市でのJRの輸送量は増えてはいますが、地方では減少し、沼津駅で見ると、利用客は一九九〇年から二〇〇三年の間に一、〇四四万人から八四二万人と二〇%も減少、JR輸送の凋落は顕著です。国鉄民営化の中で、貨物輸送の最大の基地であった新橋汐留も、飯田橋も、大阪貨物駅も廃止になり、跡地は民間に売却されています。
 この時に、ほとんど貨車の姿が見えない沼津駅の貨物輸送が増加し、新たな貨物駅を整備する必要があるのでしょうか。既設の四万トンの貨物処理容量を一四万トンに増加して、新たな貨物基地を造らなければならないのか、やはり不思議です。川勝知事の貨物駅移転は不要だという考えも常識的で、理解できます。
 もし、JR貨物にそれほどに新貨物駅の必要性があれば、JR貨物は、自分の費用で自らが用地を買収して整備するでしょうか。たまたま、鉄道高架事業の公共補償として、自治体がその負担で整備することから、新貨物駅に利用価値があろうと、なかろうと、経営上は好都合であるということで、受け入れているのではないでしょうか。
 このローカルな貨物駅の計画を有識者会議が、世界的な鉄道へのモーダルシフトの進展からだと、外国の大規模な輸送基地の物流機能を例に挙げて、妥当性があると評価するのは、為にする話で、お門違いとも言うものでしょう。
【沼朝平成23年7月12日(火)号】

③ 長谷川徳之輔
 B、地域対策の視点
 地域対策の目的は、衰退する沼津市の再生、東部の拠点都市になるためには、東海道線と御殿場線の鉄道高架事業が不可欠であり、都市再生の鍵であるという認識だと思います。
 しかし、沼津市のパワーの欠落、中心市街地の衰退は鉄道による分断が原因であり、鉄道を高架化すれば、中心市街地の衰退は止まり、沼津市の人口は再び増加し、経済が活性化することになるのでしょうか。鉄道高架化によって生まれる土地、高架下の用地を利用して、ここに国際会議場や大学や研究所のような高次の都市機能を整備することに、現実性があるのでしょうか。
 そもそも、沼津市の衰退の原因は鉄道により南北に分断されているからだ、という認識に疑問を持たざるをえません。
 原因は、自動車交通の進展、大型店舗や病院、学校の郊外移転という構造的な問題から生じているのであり、沼津市でも、郵便局、市立病院、沼津東高、明治史料館などの主要な都市機能が北部に移転しています。
 中心市街地、城内地域の衰退は、東海道線、御殿場線の鉄道線路が平面交差で、市街地を分断しているからだと言いますが、鉄道による分断は、今に始まったわけではありません。
 南北の地域は、東海道線が開通した一八九〇年から百二十年間、遮断されているのであり、また、高度経済成長期に地価に追われて郊外化した市街地という、構造的な問題から生まれているものであり、単純に鉄道で分断されているからではありません。
 立体化にしても機能は十分ではありませんが、三つ目ガード、一つ目(現あまね)ガード、のぼり道ガードは立体構造になっており、すでに鉄道と自動車交通は分離されています。最近の街づくりでは、郊外での開発を抑制し、これまで郊外に転出していた病院、学校、文化施設などの都心回帰を図ろうとしています。中心市街地の衰退は、郊外化した土地利用の現状が最大の問題なのです。
 鉄道高架事業により、鉄道跡地一四㌶、高架下に四・七㌶など駅周辺に新たな空間が創出され、高度都市機能を備えた県東部の拠点都市になるような効果もあると言われていますが、人口の減少、経済の停滞や沼津駅周辺の土地利用の空洞化の状況から見ても、この土地が高次都市機能の用地として有効に利用されるという効果は、全く幻想に過ぎないと思われます。
 鉄道高架事業によって生まれる土地に、国際会議場などの高次都市機能を整備して、沼津市が東部の拠点都市になりたいという意欲は理解できますが、問題は、沼津市の周辺地域が一体的な都市機能を発揮した都市群であるのにかかわらず、一体化しない、合併しようとしないのは、逆に鉄道高架事業の負の効果だと思います。
 三島市、長泉町など周辺自治体にとって、沼津駅の鉄道高架事業は、地元にはなんの恩恵もなく、それでなくても、財政困難な沼津市が、さらなる財政負担を抱えこんでしまい、合併で、そのツケが自分達に回るのを嫌っているからでしょう。鉄道高架事業は、東部の拠点都市への鍵どころか、重い負担となっているのだと思います。
 C、肝心の費用効果分析
 もともと、鉄道高架事業の費用対効果は、計画の時点では示されず、事業が認可された平成十八年度当時には2・74だと計算されていましたが、数字だけが一人歩きして、詳細の算定の基準が明らかにはなっていませんでした。今回、この算定基準を変えたことで、平成二十二年度の試算では1・3から1・7と、当初の数値から半分に減少したとされましたが、それでも、1以上だから、費用効果分析が有効であり、事業に妥当性があると評価しています。
 本当に、こんな議論でいいのでしょうか。道路整備をする場合に使われている費用効果分析、自動車交通量の時間便益や費用軽減の分析が鉄道高架事業の費用効果分析として有効なのか、どうかという論議もありません。
 もともと、ここで使われている費用効果分析は、同じ種類の事業の効果の優劣を比較する手段であり、沼津駅の鉄道高架事業とJR京浜線の鉄道高架事業の優先度を比較する場合に利用することはできても、沼津駅鉄道高架事業の絶対的な価値、費用効果を評価する手段にはなりえないのです。
 この地域の将来の姿、二十年先の人口や経済の見通し、財政、土地利用などなど、基本的な要素が不明確な費用効果分析では、道路整備の費用効果分析ですら万全のものではなく、鉄道高架事業の絶対的な費用効果の評価は困難だし、数字が出たとしても、ほとんど意味がないと思います。
 鉄道高架事業の目的は前述したように、沼津市が衰退する原因が、市街地が東海道線、御殿場線によって南北に分断されていて、南北の自動車交通が阻害されているからであり、沼津の南北間の交通事情を改善すれば、市街地の衰退が止まる、人口の減少も止まり、経済が再生し、財政も健全化して、中心市街地も復権するという触れ込みであります。
 となれば、交通機能の分担や貨物駅の役割などの部分的な効果の論議ではなく、本当に都市の復権になるのかという本質の費用効果の検証が一番に必要なのです。残念ながら、それを客観的、合理的に評価する手段、方法を行政は持っていませんし、学問的にも確立したものはないので、所詮、有識者会議に期待するのが無理なのでしょう。
 だから、自動車交通量の時間便益、走行便益という部分的な費用効果分析で代替するだけなのだと思います。費用対効果が、1以上であるから鉄道高架事業に妥当性があるという評価は、本当は意味のない分析なのです。
【沼朝平成23年7月13日(水)号】

④ 長谷川徳之輔
 第3章 財政問題こそ、本質的な問題
 時代の激変を見ずに、避けてきた本質的な論議
 有識者会議の肝心な役割は、経済社会の変化に対して、鉄道高架事業の優先度をどう見るかであり、これからの経済、財政事情がどう変わるかを見通して、国や地方の財政能力から見ての事業の位置付けを考え、その在り方を論議することだと思います。将来の国や地方の財政能力から、このような大型で長期の事業が可能かどうかを論議しなければなりません。その際、定性的な論議もさることながら、国、静岡県、沼津市の将来における財政状況を定量的に考察し、鉄道高架事業の財政的なフィージビリティー(編集部注・可能性)を分析し、考察することが求められます。
 国の財政は危機に瀕しており、財政再建は必至であり、無駄な費用の削減のみならず、大幅な増税論議も俎上に載っております。地方自治体が、その外にあるはずはありません。静岡県も財政悪化の声が高まり、非常事態が告げられています。これまで比較的財政に恵まれていた沼津市とて例外ではありません。
 しかし、有識者の中に肝心の経済財政の専門家が見えません。有識者会議では、定量的な考察はもとより、定性的な論議すら、なされてはいないようです。むしろ、この肝心の経済財政の論議をあえて避けていた感がしてなりません。
 有識者会議の座長を務めた森地茂・政策研究大学院大学教授は、土木計画学の最高の専門家、有識者であり、私もその昔、仕事の仲間として、お付き合いをしたこともあり、個人的には尊敬している学者です。
 土木学界の重鎮であり、政府の有力な助言者であり、衰退する土木学を発展させ、減少する公共事業を、なんとしてでも食い止めなければならない立場にあり、専門家集団の頂点にいることからも、その見方は、どうしても土木事業からの判断にならざるを得ず、公共事業が減少する政策には賛同しかねることは容易に理解できます。
 今、公共事業の在り方が広く論じられております。鉄道高架事業は、その渦中にあるものです。公共事業は、その体制は、政・官・業・学の一体とした利権構造で成り立っている巨大な同業者組合、ギルド体制であり、政官業学が一体となって既得の利権を維持し、拡大しようとするエスタブリッシュメント(編集部注・既成社会)の体制であり、今話題になっている原子力発電を推進する組織、政官業学が一体として機能している「原子力村」と言われる体制と同じなのです。
 それも道路、河川、農業、港湾などの省庁ごと、部門別に構成されています。鉄道高架事業、連続立体事業は都市土木と言われる部門の利権です。地方の公共事業も同じ構造を持っています。
 しかし、今回の問題は公共事業を否定するものではなく、公共事業の中で何を促進するのか、何を抑制していくかという政策順位からの論議をするべき問題であり、沼津駅の鉄道高架事業は、実施する価値があるのかどうか、実施できる事業であるかどうかであり、その視点からの論議が求められています。
 その本質的な論議を欠いて、派生的な交通対策、物流対策や道路整備の費用対効果からしか論じられていないこの報告害の結論は、森地座長が本心からは、決して満足すべき答申ではないと思っていることは、容易に理解できます。
 長年、地元でも、政治家や行政だけでなく、市民からも、いろいろ論議が行われ、推進するにしろ、見直しするにしろ、反対するにしろ、論議の積み重ねがあったのであり、それらの論点をしっかり把握し、客観的に評価してみることこそが、有識者会議の論議の前提であるはずであり、森地座長からも、推進反対の論点の整理をすることが求められていたと思いますが、地元の声を聴くこともなく、その声を封殺するような姿勢で論議が進められてきたことが残念でなりません。
 議論は、慎重な論議という名目で、本質の論点を避けようとする逃げの姿勢に過ぎなかったとも思います。
【沼朝平成23年7月14日(木)号】


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